第3話 日常編【孤独】

 運命の女性と出会い、一番初めに気付いたのは自分がいかに面倒くさい人間であるかだ。
そもそも自分がいかに面倒くさい人間であるかを内心理解していたからこそ、27年もの間一人だったわけだ。

 人付き合いに煩わしさを感じていたのは、自らの難解な性質を理解してもらおうと努めること自体に諦念があったからだ。勿論そうなったのは家庭環境にも理由があった。




 実家が寿司屋だった私は、中学に入学するまでは学業を終え帰宅すると、母親と共に店に通う毎日。
放課後に同級生と遊んだ記憶が全くなく、相手は常に倉庫兼子供部屋に備え付けられたテレビか、バブル期の太っ腹な大人のお客さんだった。

そのせいか中学に上がってからは同年代との接し方が分からず、次第に周りの人間に対して言葉も態度も乱暴になっていった。


 始業のチャイムに合わせて、腹立たしいと感じた同級生の頭に膝蹴りを入れたこともある。想いを寄せてくれていた女子にひどい言葉を浴びせて泣かせたこともある。


いじめる側、いじめられる側も経験した。


自身がいじめられていても、他人に期待をすることはしなかった。

いじめる連中にも無反応で返した。何かしらの反応を返すということが、承認欲求の奴隷達には最もしてはならない活力を与える間違った術だと信じたからだ。
そうして人に余計な感情を持たないでいると、いつしか人と一緒に居る理由がなくなっていた。


 そんな私にも一応友人は居た。私と同じようにいじめられていた彼は、それでも人と関わり続け、何があっても笑いを絶やさなかった。
特定の人物にいじめられていても、彼にはちゃんとした友人が沢山いたし、守ってくれる仲間達もいた。


高校時代、そんな中塩君との忘れられないエピソードがある。


 中塩君はいわゆる陽キャと言われるやつで、私は本来なら彼のような人種とは無縁の陰キャ。彼と知り合い友人となったのは、彼の自宅が私の家から徒歩200m程の近い場所にあった事。たまたま同じ軟式テニス部に入部した事。それだけの理由だった。


事実彼と私の趣味嗜好は全く噛み合わず、彼は友人と釣りにキャンプ、サバゲーと日がな一日中出掛けていたのに対し、私は自宅に引きこもりテレビゲームをするぐらいだった。
 

中でも車が大好きだった中塩君を夢中にさせていたのは、山に走り屋(山岳道路を改造車でスピードを出して走る人達)を見に行くことだった。(言うまでもなく私はただの一度も見に行くことはなかった。)


走り屋のお兄さんに、無免許であるにも関わらず車の運転をさせて貰い、見事にガードレールに突っ込んだこともあった。

 


 そんな彼が、私を唯一誘って遊べる場所がカラオケだった。幼い頃は人前で歌声を披露することにひどく羞恥心を覚えたものだが、兄の結婚式で歌ったことがきっかけとなり、人の注目を浴びることに少なからず快感を覚えたのだ。
 

私と中塩君は男二人で晩から翌朝にかけて、カラオケでオールをするのが毎回のお決まりで、世間話をするでもなく淡々と朝まで歌い続けていた。
時間が長ければ当然同じ曲を何度か歌い回すなんてザラで、そんな時は決まって彼は当時流行っていた、ビジュアル系バンドシャズナのメルティラブばかりを歌っていた。


『溶けるような愛って何やねん…』


 等と鼻で笑いながら手拍子をするでもなく、画面に映し出される一世代前の事々しい演技を無表情で眺めては、数秒後には退屈そうに次に自身の歌う曲を検索する。
そして私が歌い回す曲は決まって尾崎豊の傷つけた人々へだった。 


 そんな唯一の付き合いも、私には次第に面倒くさいものとなっていった。
約束はしてみるものの、直前になって突然億劫になってしまうのだ。
そうなってしまったら最後、中塩君が既に待ち合わせ場所で私のことを待っていようが私が来ることは決してないのだから、彼はずっと一人のまま苦虫を潰すしかない。
そして中塩君がそんな私の我が儘に、不承不承に返事をする際必ず付け加える言葉が

『とりあえずわかった…』だった。


 とりあえずの意味が、魚の骨のように刺さる。少なくとも納得はしていないことだけは確かだ。魚の骨を欺瞞で流し込む。それがいつしか自己欺瞞であると知りながらも、飲み込んだ骨はもう溶けるしかない。
溶けて、消えて、無くなるだけ。


 彼には友人は沢山いる。それも同じ趣味を共有出来る私以上に有能な友人が。そう考えれば必ずしも自分である必要はないはずだ。どうしてもカラオケに行きたいのであれば、他の誰かを誘えば済む話だ。それに私は一人でいる方がやはり楽だった。

いつしか、そんな日を繰り返すようになると、当然中塩君からの誘いはなくなり、こちらから連絡することがなくなれば、それはもう友人ではなくなる。



 いつでもそうして生きて来た。そうしないと生きられなかった自分がいた。

ひとりぼっちは寂しいけれど、人と心通わせることが出来ない自分を見ている方が、もっと寂しかった。惨めに思えた。


 尾崎豊の曲を歌っている時だけは、自分という人間が許される気がした。


誰かに見せる自分は、誰にも見られたくない自分を守る為の形代。穢れているのは善い人間を演じる自分の方だった。
人は一人では生きられない。けれど一人で生きてはいけないわけじゃない。
心の内を明かすより、月並みな嘘を生きる方が余計な関心を集めなくて済むし楽だった。


 そして、私が27年間一人だった理由がもう一つある。それは単純に趣味を共有出来る人間が周りにはいなかったのだ。


私は車やバイク、ヤンキー漫画や格闘技、酒にタバコ、野球やサッカー、大抵の男子が思春期に興味を示すであろうものには一ミリも興味がなかった。
むしろ占いやオカルト、天使や悪魔、神といった神話に心惹かれていた。いつも店の倉庫で一人遊びをしていた私にとっては、空想だけが唯一裏切らない友人だった。そんな私だからこそ、彼女(後の妻)に初めてDMを送った時の心境はこうだった。


『この人も…自分と同じように空想を生きている。』


 彼女は自身のページで『龍神の形をした雲を見た!』とか『ダブルの虹を見た!』等、明らかに普通ではない投稿をしていた。


当時スピリチュアルには興味はあったが、オカルトと混同していたし、龍神と聞いても幼い頃に流行った【魔神英雄伝ワタル】に出てくる主人公の操るロボット龍神丸しか出てこなかった。
 

虹は虹でしかなかったし、雲は雲でしかなかった。それをまるで奇跡でも見るかのように語る彼女に何故か惹きつけられた。
 

勿論下心がなかったかと言えば嘘になるが、間違いなくそれ以上の何かがあった。


 そして、そんな彼女からの返信もそう時間はかからなかった。


『はじめまして!最近宇宙ばかりを見ていたんで、ページを開いた時に宇宙が出て来てびっくりしました!』


 確かに当時私のmixiのホーム画面はアイコンが地球。背景が宇宙の星々の画像だった。それが彼女にどのような一驚を与えたのかは分からないが、その時の彼女の文面からだけでは全てを読み取ることが難しかった。

しかし、龍神、宇宙、虹…この時はまだこれら三つのキーワードが後になって意味を成すことなど、想像だにしていなかった。いや、それは勿論私と彼女の世界だからこそ意味を成したのかもしれないが。それでも運命の歯車は寸分の狂いもなく、この時から回り始めていた。
 

 

【人生には二通りの生き方しかない。ひとつは、奇跡など何も起こらないと思って生きること。もうひとつは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること。アインシュタイン】

【続く】

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