メタモる

花村渺

受胎

 その箱は幅十五センチ、奥行き十センチ、高さ七センチの直方体で、ぜんたいに寄木細工がほどこされている。木材の色あいによってあらわされた文様は千代紙を貼りあわせたようにあざやかだ。かたむけるとかろかろと、いびつなひとつぶがころがってゆく音がする。力を込めてもひらかないが、よく見ると面にきれめがあり、一部の板や面そのものをすこしずつずらすことができる。これを決まった手順でくりかえすことによってひらくのだろう。そして板はひとりでに、目を離したすきにずれている。

 ぼくが箱を拾ったのは三か月まえのことだった。それは路地のまんなかにぽつんと落ちていた。たいらでまっすぐな路地だったので、ぼくはかなり遠くからそのすがたをみとめていた。道の端へ寄せようと触れた瞬間視界が目の奥にすいこまれ、迎えられた、と思った。まばたきを終えるとアパートの自室で、つくえの上には箱があった。

 箱がみずからひらこうとしているのだと気がついてから、ぼくはこまめに状態をたしかめ、板がずれるたびもどすようにしている。この箱は閉ざされていなければならないとあたまの冴えた部分で感じている。

 拾ってすぐ、放置するほど多くずれると知らない頃、確認をおこたり八工程ずらされていたことがある。そのときなかから聞こえたのはいつものかろやかな音でなく、やわらかく、やや重く、水気のあるものがゆっくりぬめる音だった。音は板を押しこむにつれかたさを帯び、さいごは聞き慣れたものにもどった。ふだんはこの反対が起きているのだろう。すべてずれて箱がひらいたとき、それは完全なからだで誕生する。

 なにか手を打たなければと思うが、ぼくは箱を手放すことができない。寺や神社、もとあった路地へ置きざりにしようとしても家を出るときには忘れていて、メモに書いても復唱してもおぼえていられない。その意図がなければ忘れることはないので、最近はつねに持ち歩き、講義やアルバイトのあいまにチェックしている。そのたびぼくはこれからのことをかんがえる。

 板のずれは一日一回から三回に抑えることができ、このペースなら箱を閉じつづけることはむずかしくない。けれどもそれはいつまでつづくのだろうか。学校を卒業して、働いて、結婚して……。そのかたわらにはいつも箱があるのだろうか。箱が何工程でひらくのか、ひらいて生まれたときにどうなるのか、なにもわからない。わからないが、ぼくはこれを閉じつづけなければならない。

 つ、とかすかな音に顔をあげる。板が一枚ずらされている。ぼくはおなじ音を立て、まといはじめた肉を削ぐ。



2024.3

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る