推しメンバーの色は、赤だった。

海猫ほたる

推しメンバーの色は、赤だった。

 その日、僕はたまたま忘れ物をしてしまった。


 家の鍵を、バイト先のロッカーに忘れたままだった。


 深夜だったけど、まだ店長は店にいるはずだし、そもそも鍵がないと家に入れないし。


 従業員入り口を開けて、本来なら店長以外は誰もいないはずの、店内に入った。


 そして僕は、見てしまった。


 店長が床に倒れている。血まみれで。


 僕の目の前には、黒いレインコートを着た、小柄な人が、背中を向けて立っていた。


 その人は銃口を丁寧に拭いて、薬莢を拾い、返り血のついたレインコートを脱いで、小さく折りたたみ、背中のバッグにしまった。


 そして、振り向くと、僕の存在に気がついた。


 僕は、その人の顔を見てしまった。


「は……羽仁井はにい絵留える……本物……だ」


 間違いない。


 羽仁井はにい絵留える——小柄で、品が良く、端正な顔立ちの、誰もが憧れる僕の推しのアイドル、神楽坂666のセンター。


 彼女のメンバーカラーは赤だった。


 そんな羽仁井はにい絵留えるは、僕を見て思わずチッと舌打ちした。


「ターゲット暗殺の現場を見られた。こいつも殺す」


 ……は?


 今、なんと?


 僕の推しのメンバーカラーは赤の絵留えるは、今、なんと?


 ……僕を殺す?


「まて、そこではマズい。場所を変えろ」


 絵留えるの耳に付けられているイヤモニから漏れ聞こえる声に、絵留えるは小さく頷いた。


「分かった。こっちに車を回せ。こいつは山に連れて殺す」


 どうも、本気らしい。


 僕は殺されるのか……?


 短い人生だった。


 まあ、推しに殺されるなら……悪くないかもしれない。


 絵留えるはきっと、プロの殺し屋なんだろう。


 なら、苦しまない様に殺してくれるに違いない。


 なんで人気アイドルの絵留えるが殺し屋なんてやっているのかは分からないけど、それを知る事は出来なさそうだ。


「車が到着した。おい、そこのお前、移動する。行くぞ」


 推しに話しかけられるなんて、一生無いと思っていた。


 まあ、もうすぐその一生も終わるけど。


「逃げようと思わない事だ。こちらは別に、ここでお前を殺しても構わない。変なそぶりを見せたら……」


「だ……大丈夫です。僕はもう、覚悟を決めました……」


「ほう……」


「ファン……なんです……絵留えるさんに殺されるなら、僕は……構わない」


「そうか……なら、さっさと移動するぞ」


 絵留えるはハンドガンをバッグに仕舞った。


「外に車が停まっている。そこまで歩いて、車に乗り込め」


「わ、分かりました」


 僕は、来た時に開けっぱなしだった扉を抜けて、店の外に出た。


絵留えるは、僕の後ろにピッタリとくっついている。


 僕の背中に鋭利な刃物の先端が当たる感触がする。


 絵留えるが、小型のナイフを僕の背中に突きつけているらしい。


「大丈夫です。逃げませんから」


 僕の声は少し震えていた。


 推しに会えたことの緊張なのか、それともこれから殺される事の恐怖からなのか、分からない。


 店の外に出ると、黒いセダンが停まっていた。


 背中に突きつけられたナイフの感触が消えた。


 漸く、ナイフを仕舞ってくれたのだろう。


 ここまできたら、もう逃げようとしても無駄なので、と言ってもハナから逃げるつもりも無かったけど、僕はセダンの後部ドアを開けて中に入ろうとした。


 その時、一瞬眩しい光が僕らを包んだ。


「チッ!」


 また、絵留えるの舌打ちが聞こえた。


「おやぁー、そこにいるのは人気アイドルの絵留えるさんじゃないですかー」


 声の方を向くと、そこには知らないおっさんが立っていた。


 おっさんは、カメラを持っていた。


「いやー、いい写真を撮らせてもらいました。あ、俺、週間パパコアラの者です」


 おっさんは、腕に嵌めた腕章を指差しながら、ニヤリと笑う。


 おっさんは週刊誌の記者らしい。


「そこの方は、恋人ですかー?いいですなー、若いって……」


 僕は何が起こっているのか、分からなかった。


 絵留えるはおっさんに向かって、中指を立てる。


「おい、その写真を寄越せ」


 明らかにイラついている絵留えると、対して、笑顔を絶やさないおっさん。


 どっちがアイドルか分からない。


「恋人ではないなら、その男の子は誰なんでしょうかねー」


「うるせ。おっさんには関係ない。さっさとカメラ置いて去れ」


「それはできませんなぁ。この写真は来週の週刊誌に載せるつもりですからねー」


「くそっ……勝手にしろ。おい、さっさと車に乗れ。行くぞ」


 絵留えるは僕を無理やり後部座席に押し込めるように押した。


 絵留えるの手は小さくて柔らかい感触だった。


「デートですか、良いですなー若いって」


 記者は相変わらず笑みを絶やさない。


 なんか逆に怖くなって来た。


「んな訳あるか」


「あ、因みにですね。その子が行方不明になった暁には、もう一つ別のスクープも用意してますんで、楽しみにしててくださいよー」


「くそが……分かってるさ……」


「それでは、夜のドライブを楽しんでくださいな」


「おい、さっさと出せ」


 絵留えるも後部座席に乗り込んで、ドアを閉める。


 セダンが発進した。


「ど、どう言う事……何ですか」


 僕は頭がこんがらがって、何が何やらで、思わず絵留えるに聞いてしまった。


「どうもこうも無い……お前は行方不明にはならないし、死体にもならない……って事だよ」


「殺さない……んですか?」


「あいつに撮られたからな……今お前を殺したら、こっちの身が危ない。仕方ない」


 僕はほっと胸を撫で下ろした。


 絵留えるに殺される覚悟はしたけれど、殺されないならそれに越した事はない。


「分かってると思うが、今日の事は他言無用……だぞ」


 絵留えるの顔が近い。


 推しの顔を近くでみると、やっぱり可愛い。


 僕は絵留えるの目を間近で見ながら、首を縦に何度も振った。


「だが……このままお前を野放しにしておくって訳にも行かないな……」


 絵留えるは、ナイフを指でくるくると回しながら、少しの間考え込んだ。


 そして、ナイフをピタっと止めて言った。


「よし、だったら、こうしよう……どうせあいつに写真を撮られてるんだ。このまま、本当に付き合うことにしよう」


「っ……ええっ!」


 一瞬、絵留えるが何を言ったのか、理解ができなかった。


 絵留えると付き合う……僕が?


「だって仕方ないだろ。お前には俺の正体を見られているんだ。勝手に遠くに逃げられると困るから、お前は側にいてもらわないと……あいつに写真を撮られて、顔を見られているしな」


「だ、だから付き合う……?」


「もちろん、形だけだ……それに、近くにいれば折りを見て殺せるしな」


「あ、殺されるのは確定なんだ」


「安心しろ、事故を装ってやる。だが、しばらくはあいつの目があるからな。当分の間は生かしておいてやる」


 喜んで良いのか、複雑な気分だ。


 だが、結果として僕は命が助かった。


 ……それだけじゃない。


 後日、週刊誌に僕と絵留えるのスクープが載った。


「はーいみんな、元気してた?みんなのアイドル、絵留えるだよ!」


 アイドルとしての絵留えるは、やっぱり最高に可愛い。


「みんな、隠しててごめんねー。絵留えるの恋人、本当はちゃんと発表したかったんだけど……みんな、まだ絵留えるの事、応援してくれるかな?」


 僕は絵留えるの恋人として、正式に絵留えると会うことが出来るようになった。


「じゃあ、みんな、今度のコンサート楽しみにしててねー」


 だけど、僕は絵留えるの本当の顔を知っている。


 僕にだけ見せてくれる絵留えるの本当の姿。


「これからも絵留えるの事、応援してねー」


 それは、暗殺者だ。


 推しメンバーの色は、赤だった。


 それは、血の色だ。


 いつか僕は、絵留えるに殺されるだろう。


 事故に見せかけて、ひっそりと。


 だけど、その時は今じゃないらしい。


 じゃあ、その時まで、絵留えるとの恋人生活を、少しでも謳歌するとしよう。


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推しメンバーの色は、赤だった。 海猫ほたる @ykohyama

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