第2話(一)

 身支度を整え、家の玄関で俺は腰を下ろしていた。

 スマホの時間を確認して、目線を上げるタイミングでチャイムが鳴る。待ってたんかと思いながらドアを開けると、間宮が嬉々とした様子で立っていた。長身に黒ぶち眼鏡、髪はこの頃きれいにまとめている。俺を見るなり、ふにゃりと笑って、

「おはよう、真純」

 あいさつから始める。

「おはよう───あのさ。別に毎朝迎えに来なくてもいいんじゃない?」

 荷物を背負い、そう言ったが、

「少しでも早く真純に会いたくて」

 と、真っ直ぐ目を見て言ってくる。

「──────」

 普通に恥ずかしいんですけど。とりあえず間宮の言葉はスルーして、親に声をかけて家を出た。

 通学時間にはちょっと早いので、まだ人通りは少ない。上背のある間宮が隣に並び、頬を赤らめながら手を差し出してきた。

「手、握ってもいい?」

「───────あのさ」

 乙女か、とツッコミを入れつつ、俺は出された手をどうしたものかと見て、

「この辺近所だから。変な目で見られたくないんだけど」

「誰か来たら手離すから」

 強気だ。うーんと思ってると、右手を握ってくる。結局こっちの意見なんか聞かないんじゃないかと睨み付けるが、間宮はにっこりして握った手を引き寄せた。観察するように俺の手を見ながら、つぶやく。

「指、細くてきれいだよね」

「───いや、普通だよ」

「爪の形も整っててかわいい」

「だから普通だって」

 何言ってんだかと居心地が悪くて手を離そうとしたが、ぎゅっと握り込んでくる。そして軽く指先に口付けた。

「っ、って何やってんだよっ」

 カッと顔を熱くして文句を言ったが、イタズラっぽく俺を見る。

「真純、好き」

 言って幸せそうに笑う間宮に、耐えられなくてたぶん赤い顔を伏せた。

 なんか流れで付き合うと言ってしまったが、もうどうしていいかわからない。こういうことは本当向いてないと思う。

 男とか女とか以前の問題だと思う。参考までに落語の恋愛話を思い出そうとしたが、夫婦の話しか思い付かず、いや、そうじゃなくてっとますます動揺してしまう。

「─────そういうこと言うの外では禁止、な」

 結局手は振りほどけないまま不機嫌に言ってやったが、間宮は目を細めて笑っただけだった。


 * * *


 この頃A組のやつらも同じクラスのB組も、俺と間宮のことを言ってくることはなかった。

 これはあれだ、と思う。ノリでからかってたけど実際そうなると引いてるんだろうな、ってことだろう。間宮の協力者というか味方というか、いろいろ間宮に加担していたA組の佐々木は、最近俺を見るなりニッと笑って、そのまま去って行ってしまう。

 ───言いたいことがあれば言ってけよ。

 イラっとその背中を見送る日々だったが、最近はまた忙しそうだった。

「体育祭があるからな」

 佐々木は燃えていた。

「───ほんとそう言うの好きだな」

 廊下でばったり会った意気込んでいる佐々木に俺はつぶやく。

 試験も終わり、夏が近づくお昼休み。制服も夏服になり、窓から入る日差しは強くなってきたが、そこまで暑くない気温に快適さを感じる。本格的に暑くなる前に体育祭をやるみたいで早くも実行委員は集まってるらしい。佐々木もその一人で、その集まりに参加しているようだ。イベント事に情熱を燃やしていると思っていた佐々木だが、試験の結果の学年トップはこいつだった。───いつ勉強してるんだ。

「そのうち生徒会もやるの? 佐々木は」

 気になって聞くと、

「やるよ。つーか中学のときもやってたんだよ」

「あー、そうなんだ。知らなかった」

「お前は?」

 急に聞かれて俺はぱちくりと瞬きする。

「は? 俺? ……俺そう言うの向いてないし」

 言うと佐々木は大げさにため息を吐いた。

「お前はそう言うやつだよな」

「なんで断定なんだよ」

 ケンカ売ってんのか、と思ってると、佐々木は口角を上げて意味ありげに笑った。

「どうでもいいがお前間宮にさせてやれよ」

 ───なんのこと言ってんだよっ。

 カッと顔が熱くなった。

「お前そう言うことまで介入してくんなよっ───つーか間宮と何話してんの?」

「聞きたい?」

「─────いや、いいです」

 なんだかこわくなって俺は拒否した。


 * * *


 責任者と言う名目の渡辺先生は他の部活の顧問もやっていて、落語同好会の図書室横の準備室にはなかなか来なかった。いつもは勝手に渡辺先生が置いていった落語のDVDをあさって間宮と視聴覚室で見たりしていたが、最近では───。

 腰に両手をまわされてむさぼるように唇を合わされている。

「……っ、ん、……ぁ」

 声が漏れる。すがるように間宮の背中にしがみついて、どうしたらいいかわからない舌を強引に絡め取られる。恥ずかしくて逃げ出したいのに、でも変な感覚が熱を灯してやめて欲しくなくて、間宮のシャツを握り込む。もっと、と思ってしまうのを、なんだそれはと自分にツッコミを入れて、そのうち息苦しくなって眉を寄せると間宮が顔を離した。

「……ぁ、」

 なんだか残念な声が出てしまう。うわっとなんだこれと思ってると間宮が満ち足りたような笑顔で見下ろしてくる。

「……なんだよ?」

 濡れた口を手で拭って文句を言うと、

「今日、家泊まってもいい?」

 低く聞いてくる声に内心ざわついたが、前に家に来て押し倒されたことを思い出して、さらにいっぱいになってしまう。

「───お前前科あるんだからな」

「前科って……犯罪者じゃないんだから」

 抵抗する言葉に、間宮が不服そうに反論してくる。諦めきれない態度で俺を抱き締める力を強くしながら、

「……駄目?」

 耳元で囁く声に、そのまま流されそうになる。

 いいかな、とも思ってしまう。───でも、とどうしてもストッパーがかかる。

 うつむいて黙るのを、これまでも何回かあったやり取り通りに、間宮は諦めたように笑った。

 そっと、おでこに口付けを落とす。

 何も言わない俺を、それでも優しく間宮は抱き締めた。


 続く。

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