まにゅ恋

@mitikotora

第1話

 新たな高校生活──と言っても中学からの繰り上げで、校舎が違うだけなのだが、そこで気持ちも新たに俺は教室の扉を開けた。

 入学式から少し落ち着いて、放課後、運動部の声が校庭から届く中、扉の中では一人の背中が見える。まだ明るい日差しがあった。その人物はこちらに気付き、ゆっくりと振り返って、こっちを見た。

 やわらかい眼差しで、なかなか整った顔立ちだった。

 図書室の隣の物置のような乱雑とした室内に、机と椅子がいくつか並んでいて、手前側に座った背中はけっこう大きく感じて、先輩かなと思った。

「あの、ここ落語同好会でいいんですよね?」

 俺が声をかけると、その人は少し笑って、

「そうだけど──俺の他に人いないみたいだよ。さっき渡辺先生がそう言って行っちゃったんだけど……。それと、俺と同じ一年だから敬語じゃなくていいよ」

「あれ? そうなの?」

 なんで一年だとわかったのか、体格見て言ったのか不思議に思ってると、

「俺、高橋の隣のクラスだから」

 名前を呼ばれて更にびっくりしてから、俺は謝った。

「あー悪い。隣のクラスなのに俺お前のことわからなくて──えと」

「間宮──間宮理玖」

「何で俺の名前知ってるの?」

「高橋ここじゃ有名だから」

 そう言って間宮は椅子から立ち上がって、こっちに向き直った。身長あるなーと見上げながら、有名? 俺が? と、?マークが浮かんだ。

「いや俺、普通だけど」

 なんのこっちゃとつぶやくと、間宮は少し困ったように笑った。隣のクラスだと言っていたが、間宮はけっこう目立つタイプだと思えて、更に申し訳なく思ってしまう。見かけたかなーと考えていると、自分が座っていた椅子を勧められた。軽く礼を言って座ると、間宮は自分も向かい側に腰を下ろした。

「俺、渡辺先生にここ聞いてきたんだけど、誰も他にいないってどういうこと?」

 中学の終わりに図書室で落語関係の本をあさってたときに先生に声をかけられたのだ。

 高校になったらどう? と言われ、楽しそうだなー他にも人いっぱいいるのかなーと、思っていたのに間宮一人って。

「あ、でも間宮も落語好きなの?」

「図書館のCDとか借りて聞いたりしてる感じだけど」

「そうなの? 俺もよく聞くよ。親の影響でさー。あとTVとか演芸とか見ちゃうんだよね。あと今はスマホで見れるからずっと見ちゃう」

「俺もYouTube見るよ」

「ほんとに? 嬉しいなー今までこういう話誰とも出来なくてさ」

 やっぱここ来て良かったかもとご機嫌になっていると、間宮はどこかホッとしたようにこっちを見つめてくる。

「良かった。──俺ずっと高橋と話したくて」

 ? ──俺?

 不思議に思ってると、

「あの、真純って名前で呼んでいい?」

「別にいいけど……」

 じゃあ俺も名前で呼んだ方がいいかな、あれ名前なんていったっけなと悩んでいると、間宮はとても嬉しそうに笑った。大人っぽい雰囲気が子供みたいに変わって、俺はちょっと意外に思い、見つめてしまった。


「間宮、高校受験組なんだ」

 だから顔見知りじゃなかったのかなと。

 その後慌てて来た渡辺先生にあいさつして、そのまま間宮と帰る中、俺はつぶやいた。

「けっこう難関だっただろ。ここ中学受験の方が楽なんだよ」

「そんなことないよ。俺中学受験失敗したくちだから」

「あーそうなんだ。よほどここに来たかったんだー」

 一途だなぁと、感心してると、間宮は少し戸惑った後、はにかむように笑って、

「うん。その……好きな人がいて」

「────」

 ぱちくりと瞬きして、俺は少し考えてから視線を上げた。

 あぁ、それってそう言うことか。

 うち、中学から男子校なんだけど───。

 まぁ、いろんな人種がいるんだよな。

「そうなんだ。まぁ頑張って」

 無責任かなと思ったけど、そう言って俺は間宮を見上げた。それを受け止めて、まじまじと見つめてくる。何か言いたそうに、でも口ごもりながら足を止めた。俺も立ち止まって言葉を待つと、

「あの……そのっ、俺」

 落ち着きなく視線を動かす。───どうした?

「いや、そのっ」

 挙動不審な身振りを不思議に思って見ていると、間宮は急にしゃがみこんで頭を抱える行動にでた。───何何何何?

「間宮?」

 どうしたの? と覗き込んだが、困ったような瞳とぶつかった。顔が赤い。しばらく真っ直ぐ見ていたが、ふとあることに気が付いた。

「あのさ。お前帰り道こっちでいいの? 俺に合わせてない?」

 とたんにポカンとした顔に間宮は変わった。

「───え? あ、ああ。俺もこっちだから」

「ひょっとして近所だったりする? 小学校一緒だったのかも」

 座ったままだったが、穏やかな笑みが返ってきた。少し迷ったようにしてから一言続けた。

「───そうかもね」


 * * *


 ───翌日。

 朝から学校で隣の1のAのクラスを見てたが、間宮のことが見つけられず、休みかなと、放課後改めて間宮のクラスを覗き込んだ。

 ───やっぱりいない。

「なぁ、ちょっといいか?」

 近くにいたやつに声をかけると、そいつは俺を見て変な声をあげてこっちを指差した。───何だ?  怪訝に思いながら、俺は続ける。

「間宮いる? 今日は休みなの?」

 なぜか他にいたクラスのやつも一斉にこっちを見た。───だからなんだ?

「いやっ、その間宮は今っえーと」

 そいつが言いよどんでると、他のやつが割って入ってくる。

「あいつ今ちょっと準備中で!」

「準備中?」

 店でもやってんのか?

 なんなの、と思ってると、後ろからバタバタと足音が聞こえてきた。振り返ると、息を切らした間宮が疲れた様子で立っていた。───どうしたの?

「間宮。わるい今忙しかった?」

 タイミングが悪かったのだろう。謝ると間宮は「ぜんぜんっ」と全否定で答えてから、嬉しそうに俺を見て、

「俺に何か用だった?」

「朝見かけないから休みかなと思って。これから準備室行く? 俺もう行くけど」

「あ、ああ、俺は帰る準備してから行くよ」

「そう? じゃあ、またあとで」

 言って俺はその場を後にした。───しばらく歩いて行くと、

 ワアッ! と1のAのクラスで歓声が上がった。

 ───なんだ?

 足を止めて、振り返った。まだ騒ぐクラスを呆然と見やる。

 ───変なノリだな。

 気になったが、そのまま目的地に向かおうとし、そして思う。

 よくわからん。


「さっき何やってたの?」

 つーかお前のクラス変じゃないか? と図書室横の準備室で間宮に聞いてみると、

「いや、その、なんて言うか───」

 珍しくワタワタした感じで続ける。

「協力、してくれてて、いろいろ力になってくれてるんだ」

「? 協力?」

 よくわからない。

「みんな優しいよ」

「ふーん」

 そう言うだけだったので、納得するしかない。付け加えるように、間宮はつぶやいた。

「それに、シナリオとかも考えてくれたりしてるし」

「シナリオ?」

 だから何やってんだ、A組は。なんの遊びだ。

 眉間にシワを寄せていると、

「───あ、あのさ、真純」

 言葉を選ぶように間宮が切り出した。

「今度の休み……家行ってもいいかな?」

「家? 別にいいけど」

「本当に?」

 嬉しそうに笑う間宮に、なんだかなあと思った。こいつ俺にばっか構ってていいのかな。

 気になったが、とりあえずおいといて落語のCDのチョイスを始めた。


 * * *


「高橋わるいけどノート見せてくれる?」

 次の日の午前中、歴史の授業が終わると同時に堀が隣の席から言ってくる。

「いいけど、また寝てたの?」

 余裕だなーと思いながら、ノートを渡した。

「柔道部いつも朝練あるから大変だな」

「好きでやってるからいいんだ。でも今頃になると眠くて───帰りまで借りてていいか?」

 休み時間じゃ書き写せないと思ったのか、そう言うので「いいよー」と返した。そのままノートを写し始める精悍な横顔を見ながら、俺は気になってたことを話そうと口を開いた。

「隣のA組のやつらなんだけどさー。なんか変なんだよね」

「A組?」

 ちょっと視線を上げて堀が俺を見る。

「A組なら知り合いいるけど」

「あ、じゃあ、なんか聞いてる? 間宮ってやつと仲良くなったんだけど、そいつにA組のやつらがなんかしてるみたいで───」

「間宮」と一言つぶやいて、

「間宮なら俺も知ってる。佐々木とも中学からの知り合いだし」

「佐々木? 中学、間宮と同じやつか?」

 言うと堀は物言いたげに俺をじっと見つめた。

「なんだよ」

「……お前覚えてないのか? 佐々木一度同じクラスになってるだろ」

「どの佐々木?」

 きょとんとする俺に、堀はあきれたように息を吐いてから、

「いいけど……とにかく間宮は佐々木が容認したやつなんだよ」

「容認? 容認って何?」

「───言ったら、お前憤死しそうだから言わない」

 憤死って何だ? 堀もA組同様わからない感じになってきていて、眉を寄せた。そんな俺を見かねたのか、堀はおもむろにスマホを取り出す。少しいじって俺に画面を見せてきた。

「中学のときの写真。俺と佐々木と間宮」

 興味をもって覗き込むと、三人の制服姿が目に入る。二人は自分と着てきたものと同じで、一人は見覚えのある公立のものだった。───だが。

「───誰これ?」


 放課後になり、俺はA組を覗いた。

 前と同じようにクラスの何人かが、こっちに目を止める。それに構わず一人の姿を見つけ、声を上げた。

「間宮」

 その背中は一瞬体を強張らせたが、間宮は振り向かない。もう一度名前を呼んで、俺は教室に入り彼の前に立った。

 ぎょっとしたのは周りのA組のやつらだった。間宮もびっくりしてたけど、それに構わず俺は続ける。

「渡辺先生、今日視聴覚室使っていいって。俺演目選んでから行くから先行っててくれる?」

「───えっ、えええっ!?」

 身構えて、恐々俺を見る間宮は───ボサボサの髪と黒縁眼鏡で、最初に会った印象とはだいぶ異なる。別人のようだったが、堀が見せてくれた中学のときとは変わらない容姿を確認していると、間宮は慌てたように、

「なっ……なんで、俺だとわかったの……?」

「は? ああ、昔の写真見たんだよ」

「俺っ、ほんとはこんなでっ。ダメじゃない……?」

 うかがうように眼鏡越しにこっちを見る間宮に俺は不思議に思う。

「ダメってなんで? 別にどっちでもいいよ」

 変わらないし、と続けると間宮はしばらく黙ってから、ホッとしたように息をついた。

「あ、ありがと」

「なんで礼なの? とにかくまた後でな」

 言って俺は手を上げてその場を後にした。前とはうって変わってA組は静かな空気が背後を包む。

 ───なんなの?


 * * *


 ───土曜の休み。

 午前中、間宮がうちに来るって言うんで待っていると、時間通りにチャイムがなる。ドアを開けると、

「お、おはよう。朝早くにごめん」

 走ってきたのか顔を赤くしながら、間宮が立っていた。眼鏡モードだった。

「おはようー。家すぐわかった?」

「う、うん」

 うなずきながら、お土産だと言って紙袋を渡してくる。お礼を言って上がってもらうと、出てきた母親に声をかけて、二階の部屋に案内した。

「ちょっと待ってて。今お茶持ってくるから」

「ありがとう」と部屋でキョロキョロしてる間宮を残し、下に降りた。すでに用意されていたお茶菓子をおぼんにのせて部屋に戻る。

「その辺座ってていいよー」

 まだ立ってた間宮に言って、俺も腰をおろす。お茶のグラスをテーブルに並べて、改めて間宮を見る。セットされてない髪に眼鏡、デカイ図体を丸くして座る姿を観察してると、少しハイな感じで間宮が言ってくる。

「お母さん、真純とよく似てきれいな人だね」

「そう? 普通だよ」

「家も大きくてきれいだし、すぐわかったよ。すごいよね」

「すごいって言っても俺が建てたわけじゃないけど」

 言って、俺は気になったことを聞いて見る。

「なぁ。なんでその格好なの?」

「え? ああ……やっぱり変?」

 心配そうに自分の格好を見下ろす間宮に「変とかじゃなくて」と言って続ける。

「最初に会った格好の方がカッコいいんじゃないの? モテそうだし」

「か、カッコいい、かな?」

 照れたように、どこか嬉しそうにつぶやいてから、

「でもあれ落ち着かなくて……こっちの方がしっくりくると言うか……。A組のみんなは眼鏡取った方が真純の前ではいいって言ってくれたけど」

「ああ、それ。なんで俺の前ではなの?」

 A組の進言がイマイチよくわからん、と眉を寄せる。

「えっと……だから」

 戸惑った感じで髪をかきあげながら、何か言いたげに俺をじっと見つめてくる。

 ───なんだ? と見返してると、間宮は困ったように言いよどんで、目を背後の本棚に向けた。

「───後ろの。DVDとかCDとか……全部落語関係なの?」

「ああ、うん。なんか見る? 今までTVの録画したやつもあるけど、見てないのある?」

 本棚の前まで膝で移動して、手を伸ばそうとすると、

「───音楽、とかは聞いたりしないの?」

 意外と近くで声が聞こえて俺は後ろを振り返った。

「え? ……あんまり聞かない……けど」

 言いながら俺は言葉がしり込みする。───いや、なんて言うか。

 ───近い。

 予想よりも間近の、いつの間にか眼鏡を外した目にびっくりしていると、そっと唇に感触が当たる。

 何これ───。

 おや? と考えがうまくまとまらないでいると、顔をはなして間宮が俺を見つめてくる。

「───真純が好きなんだ」

「──────は?」

 なんだか頭が真っ白になっていく中、前に聞いた間宮の好きな人の話を思い出した。そこでようやく俺は気付く。

 間宮が好きな人って……。

 ───俺か。

 どうしたものかと考えを巡らせてると、自然な流れのようにフローリングに押し倒された。

 待て待て待て待て待てっ!

「ちょっ、落ち着け! こっちの気持ちも確かめろ!」

「───だって。さっきのキスは真純嫌がらなかった」

 しれっと言い放つのに絶句する。

 これ素か───? 素なのか。素の性格の方がタチ悪いぞ、こいつっ。

「嫌がらなかったんじゃなくて! お前が突飛なことするから対応が遅れただけだ!」

 ぎゃあああああっキスとか言うなっ、と起き上がろうとするが、がっしりと腕を押さえ付けられる。

 馬鹿力めっ。

「なんで俺なんだよっ」

 どいてくれえ、と念を込めるが、間宮は間近で見下ろしてきて、静かに続ける。

「真純とは……小学校一緒で……中学受験の塾も同じだったんだ。その頃から真純頭良くて……でも図書館で会ったとき勉強してるかなと思ったら

 落語のCD聞いてて……。そこで好きになったんだ」

「───えと、なんで、その説明で、その結論になるのかわかんないんだけど……」

 どゆこと? ……と?マークの俺に、

「一緒の中学行きたかったけど、俺ダメで……。真純と接点なくなると思ったけど、佐々木がいろいろ情報教えてくれたり、写真くれたりしてくれて」

 また「佐々木」か。

 どこのどいつだ、佐々木。つーか、

 写真ってなんだ。何やってんだ。佐々木。

「真純が高校どこ行くか残るかも教えてくれて、高校受かったら佐々木と同じクラスになれて……A組のみんなに俺のこと応援してくれたんだ」

 迷惑だろうが。

 余計なことを───と目くじらを立ててると間宮が首もとに顔をうずめてくる。

「ぎゃぁぁぁぁっ、だから何しようとしてんだ!」

「───だから、したい」

 何を? ───とは続けられなかった。シャツの裾から冷たい手が入り込んできた。

「うわっだから! こういうのは俺の許可を得てからにしろよっ。一方的なの犯罪だから! ───これ以上したらっ、一生口聞かないからな!」

 はた、と俺の目をじっと見て、間宮は動きを止めた。

 あ、これ効くな、と思いながら、俺は急いで間宮の下から抜け出して壁際に逃げた。

「……もう帰ってくれる?」


 * * *


 月曜の放課後。教室の席について俺は途方にくれた。

 もう今日は図書室の準備室に行かないと心に決めて、帰るかと立ち上がると、目の前に誰かが立ちふさがる。

 顔をあげると明るい髪色が目に入る。

 うちのがっこでその染めた頭ありなの? と思ってると、そいつはにっこり笑って廊下を指差しながら、

「ちょっと話いい?」

「───誰?」

 胡散臭くて思わず顔をしかめるが、そいつは構わず「じゃあここで」と、しれっと言い出した。

「間宮と少し話してくれる?」

 言われて───こいつか、と半眼になる。

 こいつが佐々木か。

「───あのさ。間宮に変にけしかけるの止めてくれる? 迷惑なんだけど」

「そんなこと言わずにさ。間宮いいやつだし、付き合ってみればいいじゃないか」

「いろいろ障害があるだろうが!」

 男とか男とか男とか! と心の中で付け加えてると、佐々木がなだめるように、

「まぁまぁ、そう細かいことは言わずにさ」

「細かくないだろうがっ。こっちは人生左右する問題だわ。関係ないのに口出してくるな!」

「関係なくはないだろ。昔同じクラスだったよしみでさ」

「昔はそう言うノリじゃなかっただろうが!」

「あれ? 覚えてる?」

 意外そうに言ってくるのに、俺はイラっとくるのを感じた。

 思い出してきた。昔はもっと真面目なやつだった気がするんだけど。何か叫び出しそうになる中、静かな声が割って入ってきた。

「───そう言う会話さ。聞き耳立てられるから、その辺にしたらどうだ」

 隣の席で帰り支度をしていた堀が言いながら佐々木に軽く手を上げる。佐々木もそれに応えて同じく手を上げる。……そうか、この二人知り合いか。てか俺も含めて同じクラスだったのか。

「堀からも言ってくれないか。間宮のこともよく知ってるだろ。いい加減高橋も責任取らなきゃだしな」

「───責任ってなんだ?」

 不機嫌につぶやくが、佐々木はこっちを無視して、

「じゃあ俺は例のあれの準備があるから、堀から高橋に説明しといてくれる?」

 ───説明ってなんだ? とイヤな予感がしながら、ひらひらと手を振って去って行く佐々木を見送って、何事? と堀を見た。

「部活行きながら言うから一緒に図書室まで行こうか───って、どうした? 今日行かないのか」

 動きを止める俺を堀は覗き込んでくる。

「なんか間宮とあったのか」

「なにもない」

 瞬時に言う俺を堀は黙って見たが、うながすように歩き出した。

「───お前中学のとき先輩だった宮田さんとか違うクラスの杉田とか覚えてる?」

「───誰?」

 唐突に聞かれてもわからず、聞き返すと、

「口説かれてたのわかってなかったろ?」

「は…………?」

 ぽかんとする俺は意味を理解しようと考えを巡らす。───中学のときってことは……ことは……。

「……同性ですか……?」

 泣きそうになりながら聞くと、堀は俺の顔をじっと見下ろす。間宮だけじゃなかったの……? と絶望的な気分に陥って、再び聞いてみる。

「俺のなにがいいの……?」

「それ俺がわかったら問題だろ」

「そうだけど……でもぜんぜん気付かなかったし、直接変なこと言われなかった……はずだけど」

「途中で俺と付き合ってることになってたから」

「…………は?」

 どういうこと? と首をかしげる俺に堀は歩を進めながら、

「お前の変なモテ避けのために、そう言うことになったんだ。一応俺県大会行ったから効果あったみたいだし」

「……知らなかったんだけど」

「だから。言うとお前発狂するだろ」

「発狂……」

 ───前言ってた憤死って、これのことか。

「あと、それに佐々木も関わってるから」

「はあ? だってあいつ、もろもろの首謀者だろうが」

 反感込めて言ったが、

「中学から俺と佐々木でお前に寄っていくやつら、蹴散らしてたんだよ。───ちゃんと礼言っとけよ」

「はあ?」

 そんなことない気がするんだけど……信じられん、と眉を寄せていると、はた、と気が付いた。

「なぁ……じゃあまだお前と付き合ってるって間宮に言ってくれない?」

 いい考えの気がして言ってみると堀は、

「とりあえず間宮もA組のやつらもフリだって知ってるから。それに俺も彼女出来たから、お前のお守りおさらばしたいんだよ」

「はああっ!?」

 ───ってなんだそれは……ってことはつまり……。

「何自分だけ幸せになろうとしてるんだよ! 聞いてないぞっ」

「言ってないからな」

「いつっ? どこの誰っ?」

「中学の終わり頃。部活の練習校のマネージャーと」

「───え? いいの? それ」

「相手校のやつらには反感買ってる」

 こいつこんな感じなの……? 大丈夫なの? と心配になったが、話を変えて堀は言ってくる。

「とにかく、お前のお守りはもう間宮に任せたいんだよ」

「なんだそれは。納得出来るか」

「で。さっきの佐々木の説明だけど、今度一年の懇親会やるんだそうだ」

「懇親会? そんなのやるの?」

「うちのクラスはA組と合同で劇やるんだって言ってた」

「劇ー? 懇親会ってジュースとお菓子で集まるだけでいいんじゃないの?」

「A組のやつらが盛り上がってて」

 そこまで聞いて、なんだかイヤな予感がした。A組……? と言葉を待っていると、

「主役が間宮で。───で、ヒロインが」

 そう言って堀が俺を指差した。

「お前」


「懇親会の実行委員誰だ!? どうせ佐々木だろ!」

 話を聞いてA組に乗り込む俺に、佐々木は数人で集まっていたが、視線を向けた。

「話聞いたんだ? なんか疑い深いなぁ。まぁ実行委員俺なんだけど」

「やっぱりそうなんじゃないのかよ! いい加減にしろよお前っ、劇なんか俺やったことねーよ!」

「じゃあいい経験になるじゃないか。貴重だろ」

「ふざけんな! 何させようとしてるんだよ!」

「大丈夫。お前に演技力とか求めてないよ。ただラブストーリーでラブシーンをさせたいだけだ」

「ふざけんなぁぁぁぁぁぁっ!」

「───まぁ落ち着け」

 背後から堀が暴れだそうとした俺を羽交い締めにする。落ち着いてられるかっ。動きを止められた俺に、佐々木がやんわりと続ける。

「その前にだからお前間宮と話ちゃんとしろよ。かわいそうだろ」

「俺はかわいそうじゃないのかよっ」

「まぁ人徳の差だな」

「───悪かったな、人徳なくて」

 目がすわる俺に、今度はA組のやつらが参戦してくる。

「ケンカでもしたのかよ。間宮落ち込んでたよー。仲良くしなよー」

「いい加減付き合っちゃえばいいのに」

「間宮いいやつだよー」

「……うるさい」

 なんなんだ、このノリは。

 なんだか脱力して、おとなしくなる俺を堀は解放する。

「とにかく音楽家のシューマンとクララの恋愛もの考えてるから、そのつもりで。こっちで勝手に脚本とか場所とか進めるから」

 佐々木が問答無用に言い切った。他の面々は笑顔ではやし立てる。

「────────」

 もう勝手にして。


 * * *


「───俺、謝んないから」

 結局その後、準備室に行かず間宮と会わずじまいだったが、次の日の放課後会うなり間宮はそう言ってきた。

 同好会は劇に集中したいという佐々木の意向と、どうせたいしたことやってないんだろうという偏見により(んなこたねーよ)お休みにしてもらって、今視聴覚室を借りて練習に入っている。A組B組の部活がない他のクラスメートが数人いる中、俺と間宮が台本片手に向き合っている。

「──────あのさ」

 イラっとくるのを感じながら、それでも冷静に俺ははっきり伝えた。

「俺お前の気持ちにはこたえらんないからな」

 だが、間宮も間髪入れずに言ってくる。

「俺あきらめないから」

「──────」

 なんなんだ、その強気は。

 半眼で微動だにしない眼鏡越しの目を見返してると、

「これから甘く切ない恋愛ものやるんだから、そんなにらみあってんなよ」

 佐々木が割って入ってくる。

 ───出たな、元凶。

 にらみつける俺を佐々木はひらひらと手を振ってなだめるようにしながら、「始めるぞー」と場を仕切り始める。……イベント好きめ。

「天才ピアニストの役だけど、どうせ高橋はピアノ弾けないだろうから、ピアノのシーンはバックに音楽流すからな。とりあえず父親にシューマンとの仲を反対されてもお互い好きだと言う気持ちを隠せないシーンからな」

 台本通りセリフを促されるが、「あー」とか「うー」とか言いよどむ俺に佐々木は「ふざけんな」と突っ込みを入れた。

「恥ずかしいんだよっ」

 台本を握りしめ叫び、顔が熱くなりながら思い付いたことを提案する。

「せめて落語調にしようよ」

「どこの世界にシューマンで落語やるやつがいるんだよ」

「じゃあ笑いに持っていこうよ。恥ずかしいんだよ」

「もうお前はセリフと段取りだけ頭に入れてこい。じゃあ、間宮ね」

 眼鏡を外した間宮が俺の間近に立った。

「まだ音楽家として名が知られてなくても───」

 静かな眼差しと言葉に、最初会ったときの間宮の印象ってこんなだったなあと思い出す。そういやシナリオがどうのこうの言ってたから、クラスのやつらがたぶんいろいろ仕込んでたんだろう。それやれてたんだから、こいつ俳優とか向いてるんじゃないかな。ぼんやりそう思ってると、

「───ずっと君が」

 言いながら、俺の肩に両手が伸ばされる。

 あれ? こんなシーンあったっけ?

 ん? と思っていると、間宮は何か言いかけて押し黙った。次の瞬間、急に手を外して教室を勢いよく出て行ってしまう。びっくりして、その背中を見送っていたが、俺は佐々木に向き直った。

「───あのさぁ。この劇かえって間宮にひどいことしてるんじゃないの? ……って、何?」

 いつの間にか周りの面々が冷たい目で俺のことを見ていた。なんだよ。

「ひどいのはお前だろ、高橋」

「あれだけ分かりやすく想いを伝えてるのに」

「どうせお前好きなやついないんだろ? だったら付き合ってみればいいじゃないか」

「なんだよっその三段跳びな論理はっ!」

 A組どころかB組のやつらも参戦して文句を言い出すのを、頭が痛くなりながら言い返す。味方がいないのはなぜだ。

「いいから追いかけろ高橋」

「なんでだよ」

 佐々木の言葉に疑問を抱くが、他のやつらも行け行け言うのでしかたなく追いかける。

 すぐ行った階段の踊り場に間宮の背中があった。

「間宮」

 声をかけて階段を下りて近付くと、目を向けるでもなく間宮は絞り出すように「ずっと」とつぶやいた。

「───ずっと真純が好きだった」

「……」

 そう言われても……。そう言うの俺じゃなくて女の子に言ってやればいいのに。

 なんで俺なんだよ。

 想いを返せないのが申し訳なくなってしまうが、どうしょもないんだけどな。

「あのさ……だから」

 もう一度断ろうとしたが、間宮は少し振り返りながら、

「……真純とずっと話がしたかった。けど話せたらそれだけじゃダメなんだ。───絶対あきらめないから」

 言い残して間宮は階段を下りて行った。

 ───だからさー。複雑な気分で俺は思う。

 どうしたものかな。


 * * *


「なんでそんな大事になってんの?」

 恨みがましい目で佐々木を見ながら俺は問いただす。

 あれから短期間で劇の練習をこなし、間宮とは事務的な言葉しか交わしてない。なんだかんだバタバタと劇当日を迎える中、佐々木はスマホやら何やら抱えて忙しそうにしていたが、俺を振り返った。

「やるからには最高のものにしたいからな」

「一年全部入れて講道館で劇やるって何よ?」

「上級生も見たいって声があって、チケットも販売したからもっと入るかも」

「金取るのかよ!?」

「ちょっと衣装代とか美術とか凝ったから出費があってな。全部さばけたし、元は取れてる」

「アホかっ。懇親会だろ!?」

「そんなこわい顔しても威力にかけるぞ」

「───うるさい」

 格好のことを言われて俺は機嫌悪く着ているドレスを握りしめた。長い髪をセットしたカツラに襟元が大きく開いた裾の長いドレス。着たことのない衣服に早くも疲れてるのに、聞いてない事柄に辟易した。そして一番ショックだったことを言ってみる。

「───女装なのにウケないのはなぜ」

「普通に似合ってるからな」

 佐々木がすかさず答える。

 ……嬉しくない。肩を落としていると、少し古風なスーツ姿の間宮が歩いてきた。こっちの方が長身で普通に似合っていた。

 間宮は目を細めてこっちを見た。なんとなくその視線に戸惑って、俺は下を向く。気まずい感じがあったが、思い直して一応釘を刺しておく。

「ラブシーン、フリな。本当にするなよ」

 間宮と佐々木が何か言いたげに俺をじっと見る。───なんだよ。

「棒読みでもセリフ間違えんなよ。あと10分で始めるからな」

 こっちのことをスルーして佐々木がそう言い残し、バタバタと動き出した。無視すんな。目付きを悪くして背中を見送っていたが、間宮と二人になり、俺はチラリと上を見上げた。すぐ視線が返される。そのままそっと手を伸ばされて腕を支えられた。

「行こうか」

 促されて、俺はなんだかなと思う。女の子扱いなんだよなぁ……。こんな格好だけど。


 * * *


 ───劇はラスト間際まで問題なく進んだ。

 けっこう人が入っていたが、やけくそですべて無視した。恥ずかしさもあって、笑いを取りに行こうとしたが、袖で佐々木が睨んでいるので我慢して佐々木脚本の台本通りセリフを言う。

 離ればなれの恋人たちが再会するところで終わるので、もうすぐだなと思いながら間宮と向かい合う。いよいよ問題のラブシーンがくるので俺は念を飛ばしながら目配せする。

 フリな、フリ。

 これで終わると思い、そっと目を伏せた。

 ───とたん、ぐいっと腰を引き寄せられた。いやいやそんな演出じゃなかったろ、と目を開けた瞬間、唇をふさがれた。

「!」

 フリって言っただろうがっ。

「……っ、待っ」

 文句を言おうと開いた口に何か侵入してくる。舌だと気付くと同時に口の中を舐め上げられて、変な感覚が背中に走った。

「……っ、ん」

 胸板を押し返そうとした手をつかみ上げられて、さらに身体が密着する。何度か角度を変えられて舌を絡み取られる。

「あ……っ、ん」

 意図せず変な声が漏れる。力が抜けそうになるのを腰にまわっていた片手で支えられた。耳に静寂が突き刺さるが口の中をむさぼる音が鼓膜に響いてカッと身体が熱くなる。

「やっ……っ。……っ、」

 状況を忘れそうになる感覚に戸惑ってると、ようやく解放される。

 熱っぽい間宮の視線がすぐ側で見下ろしてくる。ぼんやりその目を見返してると、

「───結婚しよう」

 そう言われて一瞬ぽかんとしたが、それが劇のセリフだと急に思い出す。

「これからの人生を君と……」

 何事もなくセリフの続きを始める間宮に、ふつっと何か切れるものを感じた。

 …………………………………………………ふ、

「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!!」

 ───劇が台無しになったのは俺のせいじゃない。


 * * *


「よ。有名人」

 次の日の朝。自分の席についている俺に、堀が静かに声をかける。

「有名人ってなんだ……ただの悪目立ちって言うんだ」

 機嫌悪く低音でつぶやくが、堀は無言で受け流した。そのまま隣の席に腰を下ろす。クラス中の視線もすべて無視したいが、好奇の色を感じてさらに落ち込む気分になる。……やっぱ学校来なきゃ良かった。

「いい加減、間宮に謝らせてやれよ」

 横から新たな声がかかる。

 ───出たな、元凶。

 睨み付ける先にひょうひょうと立ってる佐々木がいる。

「間宮に悪気はないんだし、許してやれよ」

「悪気しか感じねーよ。悪気じゃなきゃなんなんだ?」

「絡むなよ。酔っぱらいか」

「酔っぱらいってなんだ」

「とにかく払い戻しは一件もなくて俺は満足してる」

 ふざけんな、と文句を言い返してやろうとしたが、ニヤリと佐々木が先に言い放つ。

「いいじゃないか。どうせ前にしてたんだろ? ……キス」

「っ!? されたんだよっ!」

 言って、しまったと口を閉ざした。こっちが押し黙るのを、言質とったりな顔で佐々木が笑う。……絶対間宮から聞いてたんじゃないか、こいつ。

「……ってか俺お前に何かしたか? なんでそんなに嫌がらせするの?」

 なんの仕打ち? と聞くと、佐々木は少し黙った後、ニンマリといい笑顔を見せた。

「──────え?」

 本当に何かした? と不安になり呆然としてると、教室の外に影が動いた。デカイ図体なので、ぜんぜん隠れてないが身を小さくしている。俺は押し黙ってその影を視界から消した。

「謝らせてやれよ。かわいそうだろ」

「もういいじゃないか。話だけでも聞いてやれよ」

 佐々木も堀も目立つ廊下の人物に目をやりながら、俺に言ってくる。

 どいつもこいつもなんで間宮の方につくんだ。

 俺はガタッと椅子から立ち上がり、廊下に出た。びくりと肩を震わせ間宮がおどおどしながら俺を中腰で見上げた。込み上げるものを押さえるように一言一言区切って俺は言い放つ。

「もうっ、二度と、俺の前に、姿見せんなっ!」

 泣きそうな顔が目に入ったが、俺は構わず背中を見せた。周りの視線もからかいの声も気になったが、すべて無視する。

 ───知ったことか。


 * * *


 お昼は教室で食べるのが耐えられなくて(変な声かけられるし)俺はお弁当を持って屋上に来ていた。付き合いで堀が付いてきて二人で向き合ってお昼を食べている。他に人はいない。

 春の日差しはまだ穏やかで、風も心地いい。

 気掛かりがなければ平穏な高校生活だったはずなのに、とどうしても思ってしまう。

 ───それもこれも。

 ふつふつと沸き上がるものを感じ、俺は箸を握りしめた。

「───食事ぐらい、おいしく楽しめよ」

 堀が声を掛けてくる。

「わかってるけど」

 恨みがましく焼き鮭をつつく。時間をかけてお弁当を空にし、お茶を口にしていると、堀が静かに切り出した。

「ちょっと……過剰過ぎないか」

「何が?」

 とぼけたが、堀はデカイ弁当箱を片付けながら続ける。

「もう許してやってもいいんじゃないか。あいつずっとお前のこと好きだったみたいだぞ」

 黙って俺はペットボトルを置いた。

 ……聞いたから知ってる。

 ずっと、気付かなかった最初から間宮は俺に気持ちをぶつけてきていた。押し付け過ぎていて引いた部分もあった。真っ直ぐ自分に向かう想いは、戸惑いしかなかったけど……。

「あのさ」

 堀が胡座をかく足を組み換えてつぶやいた。

「劇でのキス、良かったの?」

「なっ……!?」

 ぎょっとして俺は暴れだしそうになった。

「何言ってんだよ!」

「いや、だってお前のあのラブシーン学校内で色っぽかったって評判だぞ。画像も出回ってるらしい」

「────────」

 佐々木の顔が頭に浮かんだ。そもそも間宮をけしかけたのも佐々木の気がしてきた。……いや、まさかと思いながら、否応なく先日の感覚がよみがえった。

 カッと顔が熱くなる。体温も鮮明に思い出して、俺は身を縮ませた。

「……変だろ、こんなの」

 吐き捨てるように言うが、堀は別に普段と変わらない口調で言った。

「いいんじゃないか。……でもどうしろって言うわけじゃないけど、間宮と少し話したらどうだ?」

「……………」

 話ってなんだ……。複雑な気分で、まだ赤くなっているだろう顔を伏せた。


 * * *


 放課後。

 俺は意を決して図書室の準備室の扉を開けた。

 びくりとして椅子に座っていた間宮がこちらを振り返る。

「───────」

 しばらく恐々こっちを伺っているので、俺は中に入り扉を閉める。

「……真純」

 間宮は急いで立ち上がって少し距離を詰めた。慌てるように言葉を続ける。

「ごめん……俺、我慢出来なくてっ、その」

 すぐに間宮は押し黙る。俺は続きがないか無言で見上げた。視線が合う。何か言いたげな眼鏡越しの目を真っ直ぐ見つめていると、不意に間宮が手を伸ばしてきた。

「!」

 びくりと身を震わせ俺は一歩下がった。

「……………」

 それを見て間宮は動きを止める。しばらくそのままでいたが、うつむいて小さくつぶやいた。

「ごめん……」

 どうしていいか分からず俺はただ間宮を見上げる。その視線を避けるように俺の後ろの扉に手をかけて出て行こうとする。

 いいんだ、と思った。

 このまま俺が嫌がってると思われて、見込みがないと分からせて、諦めさせるのが一番なんだと、それが一番いいんだと。それで全部おしまいにするのが最善なんだと。分かっていた。……いたけど。

 俺は扉にかかる間宮の腕を引き留めた。

「……真純?」

 戸惑うように間宮が声をかける。

 何やってんだ……と自分にツッコミを入れながら、それでも止められなかった。

「違うんだ……嫌とかじゃなくて」

 声が震える。耐えられなくて下を向いた。

「キスが……あの時のキスが気持ち良くて……こわくてっ」

 絞り出すようにつぶやいた。

「だからっ、嫌じゃなくて……っ」

 反応が返ってこない。ぎゅっと目をつぶって、何言ってんだ俺はっと後悔が押し寄せる。このまま逃げようと踵を変えそうとした瞬間、そっと抱き締められた。

 体温を間近に感じて、俺は顔を上げる。

 腰に手をまわされたまま、もう一方の手で後頭部を引き寄せられた。そのまま唇がふさがれる。慣れたように舌が入ってくるのを俺は素直に受け入れた。

「……っ、ん」

 どうしていいか分からず、すがるように間宮の背中に両手をまわした。

「……ぁ……ぅん」

 ゾクゾクとした変な感覚が背中を抜ける。堪らなくて間宮の制服の布地を握りしめた。密着する熱が平常心をなくしていく。

「ぁ……ぁん……っ」

 そのまま身を任してると間宮が顔をはなした。眼鏡を外して床に捨てる動作を涙目で確認する。

 再び、キスが降りてくる。俺はされるままに目を閉じて黙認した。


 ようやく解放されると、俺は床に座り込んだ。

 追い掛けるように間宮も腰を屈めて俺を抱き締める。呼吸が荒い。熱っぽい目で間宮を見上げると、食い入るように間宮が俺を見ている。

「───続き」

 少しかすれた声で耳元にささやいた。

「続き、してもいい……?」

 何を指しているか理解したが、俺はちょっと笑って言い切った。

「調子にのるな」

「……俺のこと……好き?」

「……好きじゃない」

「好きじゃないのに、キスするの?」

 間宮は笑って問い掛ける。

「最初こっちの気持ち聞かないで無理やりキスしたのお前だろ」

 文句を言うと、「そうだけど……」と不服そうな気配がするのに笑ってしまう。しばらくぎゅっと抱き締められていたが───ふと気になって聞いてみる。

「お前、劇での写真持ってるか?」

「え……っ?」

 ギクリと間宮が俺を見つめた。あー、こいつは……。

「佐々木か?」

「ええ?!」

「それも含めて前にもらったって言う俺の写真全部捨てろ」

「ええぇぇぇっ?!」

 俺のコレクション……と涙目になったが、「嫌なんだよ」と俺は一蹴する。

「実物が側にいるんだからいらないだろ」

「……は?」

 きょとんとする間宮に俺は口の端だけで笑う。

「それから試験近いから勉強しとけよ。成績落としたら俺との付き合い周りから反対されるだろうし責任取れないからな」

「……………………………は?」

 目を丸くする間宮はしばらく黙ってから、上目遣いに尋ねてくる。

「……………付き合い?」

 意味を噛み締めているかのような反応に満足し、俺は間宮の肩を借りて立ち上がった。

 なんだか道を踏み外した選択な気がしたが、今の判断としては間違ってないとなんとなく思う。

 俺は準備室の壁際の棚に立ち寄った。渡辺先生の私物だという落語のDVDを見ながら、後ろを振り返る。

「──────今日は何見る?」










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