第25話

「······余計な話は不要だわ」

「まあそう言わないで下さい」


 支度して待っている、という神官長は席を外し、フレッチャーと取り残されてしまった。


 しん、とする厳かな場所では、どこからか鳥のさえずりが聞こえているが、それを楽しむゆとりはない。


 リアーナが無言でいるのを了承と取られたのか、いつもの笑顔を消して彼がポツポツと話し出した。


「崖の山。今は忘れ去られているマーヒリという山があるのですが、ご存知ですか? そこに僕らの祖母は住んでいました」


 リアーナは黙って頷いた。マーヒリは東国に

あるという切り立った崖に覆われた、人の侵入を拒む高山のことだろう。そこに住んでいる人々がいたというのは初耳だ。


「高山植物というのは不思議なんです。低地とは違う過酷な環境でしか育たないものの中には、稀に特殊な効果を持つ薬草が生まれたりする。古来よりそこに住む者に口伝で教えていた製法の薬もあったそうです。

 だが、世間から断絶されたような場所に住んでいた彼らの元にも、徐々に他者がやって来るようになる。そしてその薬草の効果を知られてしまった。

 薬として使うだけではなく、死に瀕した者の不安を取り除き、心穏やかにする効能。それが良くなかったのです」

「もしかして······」

「ご想像のとおりです。ルニラ真教はそれに目を付けた。一種の恍惚状態トランスで万能感を持たせて洗脳するという事を思いついたのです。

 崖の民族は怒りました。これはそういうものではない。人が神の庭に向かう際に安寧をもたらすためのものだ、と。しかし健康な体に使うと酩酊効果が高くなり、そこに『神の囁き』がよく効いた」


 肝が冷える。ビクトリア王女に今まさに行っていることが、これなのだ。

 他にも多くのご婦人ご令嬢が『蜜蜂の休息所』にてあの匂いに中毒症状を覚えている。王都だけでもどれだけ蔓延しているのか。


「崖の民族は抵抗しますが、その時はすでに祖母のお腹の中には、ルニラ真教の子がいたのです。祖母は善良な遭難者を助けたはずでしたが、はじめから狙われていたのでしょう。こうしてルニラ信徒と崖の民族の血が交じります。崖の民族では堕胎は赦されないことでしたから、――やがて月が満ちて母が生まれました」


 淡々とした声なのが逆に悲哀を帯びる。リアーナはいつしかフレッチャーの話に聞き入っていた。

 

「そして崖の民族は少しずつ崩壊して行ったのです。母がマーヒリ山を捨て、フレッチャー子爵と結婚したことでアルバーティンの民となった後も、祖母は亡くなる最期まで悔いていました。ですが、騙すつもりで近づいて来た者に対抗など出来ないでしょう。祖母は、そういう手練手管のない、隔離された|崖の民族ファミリーしかいない地に住んでいたのですから」

「······マーヒリ山には、まだ住んでおられる方がいるの?」


 掠れたようなリアーナの問いに、フレッチャーはあっさりと首を振る。


「いいえ。崖の民は我が家をきっかけに安住の地を奪われ、あの薬草は焼き捨てて流浪の民となりました。そしてアルバーティンの東の外れ、マーリヒの地に似た風土の荒れた高地に住み着いたのです。

 そう、荒地の名を取って、いつの間にか彼らはガルド難民と呼ばれるようになりました。

 彼らは以前暮らした崖と似た東部の場所で、捨てたはずのあの薬草の種を撒いてひっそり育てて行ったのです。今度は武装をし、容易に他人に立ち入られないように用心をして」


 フレッチャーの赤銅色の髪が、彼の顔に影を落とす。そういえばこの髪色はガルド難民の人達に多く見られるものだった事に、今更気がついた。それなら先の遠征で崖の民族と何かあったのか?


「それでも一度ルニラ信徒と交じったことが良くなかったのでしょう。彼らはあの薬草がまだマーヒリ山に残っていたことを知り、かの地を霊山と称して独占し、薬草の効果をより高めた『魔草』を栽培し出しました。

 魔草の数を増やすと、今度は宗教を使った他国征服を思い立ちます。ルニラの布教が薄い国の王族を意のままにしようとしたのです。それが度を超えて、ハプラムにマーヒリ山ごと潰されるまで欲望は増幅していきました。彼らも謎の万能感に取り憑かれたのだと思います。

 そうして、ルニラがなくなり、崖の民も消え、あの薬草のことは誰も知らないものになるはず、でした」


 突如あたりから音が無くなったように感じた。フレッチャーが何を拠り所にして生きていたのかは知らない。だが、自分のルーツの地や憎むべき相手も全部が消えてしまった喪失感は、一言では到底言えないものだということは分かる。

 その彼は声を一段と低くして、残りの言葉を吐き出した。


「それなのに、ルニラ真教から鞍替えした者を信徒に迎え、オーラメリー教はある時気付いたのですよ。――『神の囁き』を起こすあの薬草のことを」

「悲しいわね。その薬草が悪いわけではなかったのに、誤った使い方が人を狂わせたのね」


 それがこの中央教会を主とするオーラメリー教なのか。いつの間にこの国の宗教はこんなにも腐敗していたのだろう。上層部だけだとしても吐き気を催す話だ。

 リアーナはしばらく伏せていた目を上げて息を吐いた。


「あなたの目的は何なのかしら? 教会や妹さ んの考えとはもしかして違うんじゃないの?」

「リアーナさんは優しいですね。薬草を大切にしていた我らのことも慮って下さっている。

 ······そうですね。僕は言いたかったのかもしれません。僕らを制圧し、勝手に環境を変え、そちらのルールを押し付けてくる人々に。そっちが上だと思い込むな、と」


 そう言うフレッチャーの言葉は思った以上に強かった。ここはオーラメリー教の総本山、中央教会なのに。


「ならば何故、教会の言う通りにしているの?」

「していませんよ。もうすぐ分かります。でもリアーナさん、あなたは『聖女』として王女の婚姻式に出席してほしい。それで事が進みますから。演技は得意でしょう?」




 

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