第22話

 ――ああ、ここはハンクス辺境伯家の訓練場だ。


 リアーナはまだ手足も小さくて、頭の重さでよく転んでしまっていた。一つ下のラウエルもだ。ころころころりん。転んでは起き上がり、ケラケラと嬌声をあげて二人は光のもとに走って行く。辺境伯騎士達に教わりながら剣を振る、大好きなアルフレッドのところへ。弟と競争しながらパタパタと足音を立てて、大声を出して。


「アルー!」

「アルー!」


 そうするといつも少しだけ年上の彼は、はにかみながらもカールソン姉弟に笑顔を向けて、幼い二人が自分のもとに駆けて来るのを待っていてくれるのだ。


「リアーナ! ラウエル! ゆっくりでいいんだよ!」

「いやよー」

「やよー」

「もうすぐつくわ! まっててね!」

「ててね!」


 早く早く。小さな足ではなかなかアルフレッドのところには辿り着けない。


「坊ちゃまは大人気ですねえ。今日はここまでにしましょう」

「うん!」


 アルフレッドも二人のもとへ駆け出す。彼の足は長いから、遠かった距離はあっという間に縮まって、魔法みたいで嬉しくなる。


「捕まえた!」

「ちがうの、リアがつかまえたの!」

「ラウがなの!」

「えーと、皆いっしょに捕まえた、だよ」

「いっしょ?」

「どーいうこと?」

「皆が一着、一番乗りだったってこと! だからリアーナもラウエルも一番! 僕も一番!」

「そっかー、いちばんかー」

「いちばん!」


 ははは、と誰かが笑うと伝播して皆が笑う。


「リアはアルのいちばんなの!」

「ラウもー」

「僕が一番? ほんとに?」

「いちばんよー」

「よー」

「嬉しいな。嬉しいよ、リアーナ、ラウエル」

「そうだ、アルもかぞくになればいいよ!」

「家族?」

「そうよ! そしたらずっといっしょにあそべるよ!」

「僕も家族に? いいの?」

「いいよ! まいにちたのしいよー」

「よー」

「そうだね、僕も家族にしてもらいたいな」

「えっとね、アルがパパになるでしょ! リアがママで、ラウはこども!」

「ラウはいぬがいいー」


 はしゃいだラウエルがお尻をついてバッタンと倒れる。安定が悪くてよくこうなるのだ。

 リアーナも面白いから一緒に倒れる。寝転がって見上げる空が青い。小さな体に木々も太陽も雲も力強く迫ってくる。今はミモザの季節。黄色の花がキラキラと輝いて見える。


「アルのおめめ、ここといっしょね!」

「ここ? どこのこと?」

「ここよ! きとか、くさとか、たくさんあるでしょ? リアたちのおうちもそうよ!」

「みどりいろ!」

「ここや、緑が好き?」

「すきー」

「ぼくもー」

「僕もここや二人のお家が好きなんだ。リアとラウのことも大好きだよ。······ねえ、本当に僕と家族になる?」

「なるー」

「なるー」


 ゴロン。アルフレッドもリアーナ達の横に寝転がる。

 騎士達が動いている音、風がそよいで草木が擦れる音、鳥や虫が鳴いている音、リアーナ達が生きている音。のどかな南部のいつもの生活。それらが穏やかに聞こえて、ポカポカと暖かくて、リアーナは幸福で胸がいっぱいになって、何だか眠たくなってしまう。


 ――リアーナ、これは夢だよ。過去の夢。そろそろ起きよう。




     ◇     ◇     ◇

 



「あ、目覚めちゃった?」


 またあの匂いだ。ドロリと甘い薔薇と何かが混ざったような、押し付けがましい人工の匂い。アルバーティンという蔓薔薇のような強固な繁栄を冠した名を持つ国の騎士が何という不敬なことをしているのだろう。


「とても綺麗だったよ、リアーナさん。美人は眠っていても素敵だね。夢に愛しい人でも出てきましたか?」


 リアーナは声の方へ目を向けた。腕は腰とともに縛られ口も塞がれているが、内装を見るに随分と豪華な馬車に乗せられているらしい。息苦しいし体も痛いので身じろぎをすると、また柔らかに囁かれる。


「ああ、無理しないで。それは外せないと思うよ。動くと肌を痛めるからね」

「ふん、何を優しくしてるのよ! そんな女に!」


 向かいの席ではフレッチャー兄妹がじゃれ合うように話している。リアーナの隣には同じように縛られたビクトリア王女。彼女はまだ意識を覚ましていないようだが、リアーナとは違いブランケットとクッションの特別待遇のおかげか、苦悶の表情は浮かんでいない。


「計画をことごとく潰した女など、後でいかようにでもすればいいわ。まあ、売るなら国外がいいかもね、一応貴族令嬢ですから」

「怖がらせることを言うなよ。リアーナさんにはそんなことしないさ。僕のものにしたいところだけど、神官長に計画があるらしい」

「あっそう。美人はそれなりに使い道があるってことかしら? 教会で聖職者に飼い殺しとかゾッとしないわね」


 クスクスと笑うミリアンのそれは冷笑なのだろう。もっと酷い目に遭えばいいのに、と云わんばかりの視線は何故なのだろう?

 リアーナは隣の王女を気遣いつつも、どうしても体に染み込んでくる不快な匂いに顔を顰めた。


 アルフレッドはどうしただろう。マリーは無事だろうか。トビアスの言うことを聞けずにこうなってしまって、彼は怒っているかもしれない。

 幸いブレスレットと指輪は外されていない。未婚女性が高価な魔道具を身に着けているのは稀なので、今は見逃されているが、教会に気づかれたら無効化されてしまうに違いない。

 それまでに早く駆けつけて来てほしい。駆けつけたい。


「姫様、早く目覚めて下さいね。わたくしが心を込めてお世話しますから」


 うっとりとした声色で王女を見つめているミリアンを見ていると、言いようのない薄気味悪さを感じる。そういえば彼らはこの匂いに忌避はないのだろうか。


 馬車の車輪の音が変わった。チラリとカーテンを開けて外を確認したフレッチャーが、「お疲れ様でした。もうすぐ到着ですよ」と声をかけてくる。


「ここで王女の結婚が決まります」


 外には白いミモザが揺れていた。

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