第6話

「こんにちは、カールソン嬢。今朝はお二人に当てられてしまいましたよ。てっきりあいつが法螺を吹いているのかと思っていたのですがね」

「えっ?」


 ナトギータ街を出て数刻。昼を大分過ぎてから立ち寄ったのはフレスという中央教会のある大きな街だった。この先はしばらく宿屋のある町はないということで、少し早いが今日はここに留まることになった。リアーナ達がいるからの対応なのだろうが、交易が盛んな街ということで大きな隊商宿がある。彼らもベッドで眠れるとさして気にした風を見せないのでありがたく受け取ることとした。

 アルフレッドがまだ狙われているかもしれないという状況では、少しでも防犯のしっかりした場所の方が望ましいのだ。


 リアーナは夕食のためにアルフレッドと街へ買い物に行き、さあこれから用意しようかというところだったのだが、お皿を借りに降りたところでホフマンに出くわしてしまったのだ。


「いや、だってあいつが婚約者と連れ立って夜会に出るところも見たことがなかったもので。婚約者がいるなんて公言するのは普通に考えたら女性避けですが、穿った見方をするなら女遊びをするために敢えて言っているのかと」

「わたくしは南部の領地にいつもおりますので、王都には滅多に参りませんの。ですから······」


 リアーナが話を打ち切ろうとしても、ホフマンはわざと快活に話を続けた。


「心配でしょうが、そういう男は多いのです。特に騎士はね。婚約者がいても忙しくてなかなか交流出来ない上に、人気の職業なものだから見目の良い者は女性にモテる。だからてっきり······」

「何がおっしゃりたいのでしょう?」

「ああ、あいつが遊び歩いていると告げ口をしに来た訳ではありませんよ? でもあいつの言う『俺のリア』とカールソン嬢とではイメージが少し違うなと思っただけです。他の女性を想定して話しているのかと誤解するくらいにね」




     ◇     ◇     ◇




 むっすりとしたリアーナをマリーが宥めながらではあるが、食後にまた団長の部屋に集合して話し合いを持った。その時にリアーナはホフマンの話をしたのだが、ノーヴィックとアルフレッドは明らかに渋面を浮かべた。


「あいつはなあ······アルフレッドと同期入隊なんだが、自分よりも先に昇進していくのを良く思っていないんだろうな。普段からやたらとアルフレッドに突っ掛かって行くんだよ」

「そうなんです。俺はなるべく淡々としてるんですけどね。模擬戦でも俺相手にだけいつもムキになって来るんですよね」


「でもその方、ちょっとおかしくないですか? お嬢様をそそのかして、アルフレッド様からわざと引き離そうとしている可能性はないですか」

「仲違いをさせて、もう一度アルに一服盛ろうとしているってこと?」


 ――ついに怪しい人物が動き出したのだろうか。

 

 リアーナがいきり立ちそうな風を見て、慌ててアルフレッドが肩を擦って落ち着かせる。だが、ノーヴィックは意外にも冷静だった。


「ホフマンは仮にも第三騎士団の隊長の任にある男だ。私怨で同期に何かしようとするような人間ではないと思うが、まあ気にしておこう」

「······団員の方を疑うような発言をしてすみませんでした」


 やはりそう簡単に容疑者など現れないか、とリアーナが目に見えて落ち込んでいると、ノーヴィックが盛大に吹き出した。

 今の流れで笑うところなんてあったかとリアーナが不審げに見やると、口に手を当てながら彼は謝ってきた。

 

「失礼。しかしカールソン嬢は貴族令嬢らしからぬというか、ずいぶん素直なのだな」

「お恥ずかしいです。いつもは擬態しているのですが、アルフレッドがいるとそれが剥がれてしまうのです」


 昨年学院を卒業後、領民と過ごすことの方が多い生活を続けていたので、リアーナはすっかりそれに慣れてしまっていた。特に家族や昔から知っているアルフレッドのそばなどでは、なかなか擬態が難しい。今回も学院生の時のようにしようとしていたはずなのだが、やはりアルフレッドがいて調子が狂ってしまったのだ。


 そんな事を思いながらつい眉間にしわを寄せてしまうリアーナを見て、アルフレッドは何故か得意そうな顔をした。


「可愛いでしょう?」

「そうだな、可愛いな」

 

 それなのに、ノーヴィックのなんてことない相槌に、途端に目を剥いたアルフレッドは焦ったように立ち上がった。


「団長、駄目です! リアーナをたぶらかさないで下さい!」

「何だよ、同意しただけなのに。面倒くさい奴だな」

「アルフレッド、団長の前ではそんなにラブラブしなくていいんだよ?」


 呆れるノーヴィックに謝りつつリアーナが窘めるが、何故かアルフレッドの怒りは収まらない。


「何を怒ってるの?」

「王都に着く間だけでもずっと『アル』と呼んでいてくれ」

「ええ? どうして?」

「その方が色々いいからだ」


 首をひねってみても、アルフレッドはそれ以上答えてくれない。

 嘘がバレないように? でもすでに彼には大体がバレているような気がするから地を出してもいいかも思ったのに、ここでは糖度低めの演技が必要なのかしら?


「お嬢様、私もその方がいいと思います」

「え? マリーどうして?」

「ホフマン様の狙いがお嬢様自身の可能性もあるからです」



 

     ◇     ◇     ◇


 


 あの後も色々と話したが、マリーの発言で完全にアルフレッドが黙り込んてしまったので、ホフマンのことは様子見しようということ止まりで散会した。


 三日目となる今日の朝食は、昨日買い込んだ惣菜を温め直したりして、アルフレッドと揃って食べた。それでも余った串焼き肉は、マリーが細切りにして甘辛いタレと和えてパンに挟み込み、お昼の一品に仕上げてくれた。それに茸のキッシュとこの土地の特産であるルビー菜のザワークラウトも作った。長期逗留用のミニキッチン付きの部屋があって良かった。マリーは大きな瓶も買っていて、日持ちするピクルスを漬け込むと張り切っていた。


 リアーナはマリーが切った野菜を瓶に詰めるだけだが、今回はピクルス液を煮立たせるというのを初めて担当した。砂糖やらお酢やらあれこれ混ぜた液体の鍋をじっと見ていると外側からプツプツと泡が立ち、沸騰したら火から下ろして冷ましたら完成。


 「アルコールを飛ばすと酸味の角が取れてまろやかになります」というマリーの言葉の意味はまったく分からないが、これが料理なのだ。

 リアーナが今回料理づくりを経験してみて分かったことは、まず料理には多くの「Aを作るにはBをする」といった方程式があって、それを最低限教養としてマスターしていなければ料理は作れないということ。

 それから切る、炒める、焼く、煮るなどの身体的技術も向上させなければいけない。卵を割るのもとても難しかったのだ。

 マスターまでの道のりは遠く険しい。「料理も鍛錬なのね!」と気合を入れているリアーナを、マリーは微笑ましく眺めていた。




「リア、今日はピクルスを作ったんだってね」


 出発の点呼前。アルフレッドは隊列の見回りをした後、リアーナの馬車にまでやって来た。ここは周囲にラブラブを見せつけるところだ。リアーナは女優開始とばかりに小さく頷くと、満面の笑みを浮かべて答える。


「そうなの! フレスの野菜がとても豊富で、しかもうちの領地にはないものもあったから、マリーが試してみたくなったのですって! 丸くて柔らかいチーズも入れてみたのよ」

「モッツァレラのことかな? このところ王都でも流行り出した旨いチーズだ。牛乳とお酢だけで作れるんだとか」

「アルも好きなの? 作り方を聞いておけばよかったわ······」


 恋人の好物を作ってあげられなくて残念だというように目を伏せると、マリーが声をかけた。


「お嬢様、実は市場でレシピを教わって来ています」

「さすがマリーだわ! アル、作れるって! 今度やってみるわね」


 このチーズ、試食させてもらった時にフレッシュな牛乳の味がしてとても美味しかったのだ。マリーが覚えてくれれば今後は領地でも食べられる。それからあの市場は珍しい白いミモザがたくさんあって華やかだったが、街の中心から王都方面に行くにつれ南部と同じ黄色に変わるのが面白かった。知らずに笑顔になっていると、演技中だというのにアルフレッドの眉間が険しくなっている。


「アル、ここ怖くなってるよ」


 ラブラブ演技を続行しようと、リアーナはアルフレッドの眉間を伸ばそうとすると、その手を取られてしまった。


「えっ」

「あんまり人前で笑顔を見せないでほしい」

「淑女は微笑みをたたえるものなのに?」

「他の奴らの記憶の中にリアの可愛い顔を残したくない」

「······えーと、『可愛い』の基準は個人によって違うわよ?」

「不安にさせないでくれ。とびっきりの笑顔は奴らにもったいない」


 アルフレッドの切ないような言葉に、演技と分かっていてもどぎまぎしてしまうが、ギャラリーの団員達は慣れてきたのか、「はいはい、いつものいちゃいちゃですね」「誰も邪魔しませんよ」と呆れ気味だ。


「でもさ、リアちゃんって話で聞いてる時はもっと庇護欲を誘うような子かなと思ってたけど、度胸もあるしテキパキ動くしクールなところもあって不思議な子だね」

「うん、きっと副団長の前では気を抜いて甘えちゃうタイプなんだろうね。普段はわりとサバサバしてるというか」

「なんか思ってた『俺のリア』像とちょっと違う気もする」

「でも可愛い」


 聞こえてきた他の団員のひそひそ話に肝が冷えた。アルフレッドの理想の婚約者『俺のリア』は妄想の産物で、リアーナとは別物なのだ。

 一生懸命『俺のリア』らしく振る舞い、彼もそれにあわせて甘々な態度を取るようになった。いつもと違うアルフレッドにドキッとはするが、でもこれは演技だから本気にしてはいけない。リアーナはちゃんと――知っている。アルフレッドはリアーナのことなど好きではないのだから。


 「出発」の号令がかかるまで、リアーナはぎゅっと唇を噛み締めていた。

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