第3話 旧知の友人に相談を

 午前九時過ぎ、メナハが体調不良の猫をキャリーバックに入れて、バスで市街地まで出発した。それとほぼ入れ替わりに、ディルガームの乗った大型ジープが誠の家に到着し、誠の許可を得ずに段ボール箱を次々運び入れはじめた。


「おはよう、誠! こないだ日本から届いた中古のゲーム機とソフトが大量でな! 家に置くと嫁が三人ともうるさいからこっちに置かせてくれ!」


 そう言って、ディルガームは元気に走り回る。前を開けたチェックシャツとTシャツ、ジーンズは古いアメリカンスタイルで、頭に赤白のチェック柄のシュマーグを被ってはいるが裾を邪魔にならないよう留めている。


 アラブ人ながら色白のディルガームは、四十路を迎えたばかりの中年男性だ。アメリカ留学経験者であり、飛び級で大学合格、卒業後はEUの研究機関で客員研究者を務めた後、今の国王に気に入られてサウジアラビアが関与する科学プロジェクトの特別顧問やプロデューサーを歴任している。経歴だけ見れば見事なものだが、どうもアメリカ滞在中に日本製ゲームにハマってしまったらしく、立派なオタクだった。元々中東では現行機より何世代か前の日本製ゲームを中古で輸入販売することが活発で、素地はあったのかもしれない。


 とはいえ、ただのギークがやっていけるほどアラビア社会は甘い世界ではない。ディルガームは文句なくアラビア人だ、社交儀礼もきちんと身につけているし、兄の未亡人を二人娶っている。それだけの経済力があり、甲斐性もあるということだ。世捨て人同然の誠とは雲泥の差だ。


 今はもう研究の世界から離れ、ビジネスと研究者を繋げてプロジェクトを成功へ導くリーダーとなったディルガームは、必然、『メッカを浮かせた男』と交流を持った。たまたまそれが日本人でサウジアラビアに家を買うような変人だったため、こうして休日にレトロゲームをプレイするために誠の家へやってくるようになった。半ば、妻の圧力で自宅に趣味のものを置けない夫の避難先にされているが、誠は気にしない。


 誠は床に直置きしている大型テレビの前を片付け、絨毯の上に筐体が黄ばんだスーパーファミコンを並べ、一方でディルガームは甘いインスタントコーヒーやスナック菓子を用意する。座布団とクッションを並べて二人が座り込めば、犬や猫たちも周囲に集まってくつろぎはじめる。


 ディルガームが最近ハマっている『ドラゴンクエスト』をやろう、と主張し、誠はソフトの中から『ドラゴンクエストⅤ』を選んで慎重にカセットをセットする。古いスーパーファミコンは振動に弱い、うっかり蹴ってセーブデータが飛んだ子供時代を誠はつい思い出す。


 中古のソフトは元の持ち主が残したデータもあったが、互いに最初から始めることで合意し、最初の主人公の名付けシーンで一悶着あった。


「おい、名前が入らないぞ」

「この時代は四文字までだよ」

「何でだ、短すぎだろ」

「だって誠で三文字だし。それならディルでいいじゃん」

「それもそうか」


 ディルは親しい友人が使うディルガームの愛称だ。とりあえず納得したディルガームは、誠の助言を受けながら一時間でレヌール城まで攻略した。


 その間に、誠はディルガームへ、今朝のメールの件について尋ねた。『極大太陽フレア』の警告が周知されているか、そしてそれをメナハへどう伝えるかだ。


「はあ、なるほどなぁ」


 ひと通り話を聞き終え、ディルガームは手からコントローラーもテレビから視線も離さず、頷く。


「どう思う?」

「おいおい、ムスリムにシク教徒のこと考えろって?」

「じゃあスーファミのスーパーマリオRPG返せよ。俺のデータ上書きしたくせに」


 うぅむ、とディルガームは大きく唸った。誠が唯一大事に持っていた懐かしのゲームソフトを、プレミアだ何だと騒いで欲しがったディルガームへ譲ったら、クリア済みデータに上書きでセーブされたことがある。そのときはさすがの誠も憤り、ディルガームに平謝りさせたほどだ。


 誠に借りのあるディルガームは、有識者として、真面目に『極大太陽フレア』の影響について語りはじめた。


「正直に言うとだ、極大太陽フレアが来たところで、困るのは先進国だけだ」

「そういうわけでもないだろ。結局は先進国のおこぼれで生きてる発展途上国だって多い。デリンジャー現象で人類が二百年かけて築いた通信網は破壊されてデジタルでの情報のやり取りは一切できなくなるだろうし、衛星もほとんど落ちる。何ならサウジが開発してる軌道エレベーターだって完成間近なのに頓挫しかねない」

「だから、それは先進国の事情だ。もっと狭義で言えば、西洋諸国、G7、それらに与する経済的に豊かな異教徒たちの事情。もちろん、地球規模だから砂漠にさえ損害はあるだろうさ。だとしても、そもそもの考え方が違う」


 ディルガームは「分かるか?」と言葉を付け足す。誠はすぐに、その意味を察した。


「発展途上国にとっては、極大太陽フレアが来ようが今の生活と何ら変わりないのか」

「ああ、そういうことだ。砂漠の遊牧民が、衛星アンテナが使えなくなって日々の生活に困るか? 携帯電話が使えなくなって、インドの地方のダリットが差別されずに済むのか? シアトルで朝スターバックスに立ち寄ってデカフェのラテを買ってノートPCやタブレットで世界中の人間と仕事をするような人間には大打撃だろうがな、ニューヨークの証券取引所でさえ電子機器が使えなくても手作業で注文を処理していくだろうさ。昔のようにな」


 誠は反論を考えたが、自分よりも世界を見てきた人間の見解にケチをつけるだけだと諦めた。大多数が標準値の豊かさで暮らす日本人に、アメリカどころか第三世界の真の事情を理解できやしない。ボランティアの大学生だけでなく、駐在員でさえも社会の表層だけを客人として触れるだけで、実質的に現地人を馬鹿にする連中はごまんといる。


 ディルガームは決して先進国を理解していないわけではない。むしろ異邦人として内部に入り、したたかに詳細を見届けてきた側だ。だからこそ、『AIM計画』の有効性を国内有力者に説き、各派最高権力者や法学者たちを黙らせられた。異国を知る彼の言葉には強い説得力があったからだ。度重なる戦争で疲弊し、どん底の経済不況に陥ったアラビア諸国の民を救うためならば聖地を一つ差し出すことも厭わないと覚悟を証明しなければならない、この国が中東の盟主を名乗るだけの責任を果たす道を実務者レベルで模索してきた。


「とはいえ、聖地が共同管理地として月の裏側にある今、『極大太陽フレア』なんて来たらムスリムの義務の一つは永遠に果たせなくなりかねない」

「うん、月面への巡礼旅行が数世紀遠ざかるかもしれない」

「しかしだ、神の差配で培ってきたものが崩れるのなら、それを受け入れるしかないだろう。ああ、科学者として言うなら、この場合、太陽は人の業の及ばない存在という意味だ。決して偉大なる唯一神のことじゃない」

「つまり、今の人類知じゃどうしようもないから、起きた後のことを考えるべき?」

「そうとも言う。その極大太陽フレアが起きた後の世界を想像してみろ。誰が得をする? 誰が損をする? そこからがスタート地点、『残った人類』が知恵と力を振るうべきときだ」

「ふぅん、ディルは極大太陽フレアが防げないって結論なんだな」

「端的に言えばな。ところでこの妖精の森の抜け方が分からないんだが」

「下に行って右に行ってそのまま下」

「分かった」


 真面目な話をしながら、誠とディルガームはつつがなくゲームを進めていく。


 不意に、ディルガームは不穏なことを口にする。


「だが……過激派はそれも理由づけて、お前を狙うだろうな」

「そう、そこだよ。聖地を月に送ったからこんなことになるんだ、って言うに違いない」

「ははっ、どうせならエルサレム担当になればよかったな? メッカよりは少しはマシだったかもしれん」

「笑い事じゃない」


 どのみちエルサレムもムスリムの聖地の一つだ。過激派から狙われる理由には十分すぎ、加えてあちらは三つの宗教の聖地であるためより危険だった。


 片時もテレビ画面から目を離さず、やがてゲームの中では主人公が少年期を終えるころ。


 誠は自分の領域ではない、空の上について思いを馳せた。


「今頃、月軌道周辺にいる各国の宇宙ステーションは大騒ぎだろうな。できたばっかりの月面基地だって引き揚げを検討してるだろうし」

「とはいえ、かつて天気読みが占い師と同義だった意味を考えれば、信じない連中も一定数いる。対応は後手に回るだろう、間違いなく」

「宇宙気候学者にそれ言ったら怒られるぞ」

「そもそもそいつらが自分の分野をきちんと適切な場所へ売り込まなかったからそこまで信用がないんだろうが」

「確かに」

「それよりもだ、俺が」


 ディルガームが何か言おうとしたとき、胸ポケットに入れていたスマホが鳴った。誠にコントローラーを投げ渡して、ディルガームはスマホを耳に当てる。早口のアラビア訛りの英語が聞こえ、ディルガームは適当に相槌を打つ。


「ああ、今、その誠の家にいる。話しておく、分かった」


 電話を切り、ディルガームははあ、と大きなため息を吐いた。


「誠、前にGNF技術の応用で、地層の中に人工的に巨大な空洞を作ってシェルター化させる案があったよな?」

「あったな。でもあれは盛り上げた地層によほど厚みと硬性がないと成立しないし、お遊びで考えただけで」

「今すぐ、それを実験できるプロジェクトがあるとしたら、参加するか?」


 考えるまでもなく、誠は即座に頷いた。


「する。そう言っといてくれ」

「分かった。現状、希望的な情報はあるか?」


 堰を切ったように、誠の頭の中からは、問いに対する答えが溢れ出してくる。叩けば響く、膨大な知識と経験と技術が問いを現実化するために必要なものを提示した。


「メッカの周囲は花崗岩の山だらけだ。あのあたりの地質調査なら済んでるから、候補地に挙げておいてくれ」


 誠の即断即決とディルガームの行動力は、その日のうちにプロジェクトの立ち上げに必要な資料と計画案を作り出し、国さえも動かした。


 『AIM計画』に続く巨大プロジェクト、『Sanctuary Of Meccaサンクチュアリオブメッカ計画』がスタートした。西暦二〇五二年、世界各国に先駆けての『極大太陽フレア』に対抗する人類のシェルターが着工され——首都リヤドから次々と首都機能が移転し、翌年には地下都市の面積はかつての聖地メッカよりもはるかに広大な二〇〇〇平方キロ以上に拡張されていく。


 そして、西暦二〇五三年末、『極大太陽フレア』は発生から一週間後、地球へ到達した。

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