俺が俺であるために

武 頼庵(藤谷 K介)

だから俺は誰にも話さない……。




 『…………』

 「っ!?」


 俺が初めてに気が付いた時は、その異様な姿とそれが何も言わないで佇む異様な空間に、ちょっとした声を出すこともできず、布団を頭まで被ってガタガタと震え、ただただ早く時間が過ぎてそこから居なくなって欲しいと願う事しかできなかった。

 

 それが初めての体験だ――。



 俺は佐島幸治さじまこうじ。特に何かが得意という事も無く、特色のない普通の高校を、いたって普通の成績で卒業して、何とか滑り込める大学へと進学し、自分が何をしたいか何が出来るかなんてアピール出来るモノなどが有る訳もなく、就職氷河期時代と言われるこの頃にあって、何となく受けた小さな広告代理店に拾ってもらったという、いたって自慢できることも何もない、どこにでもいる大人だ。


 『ハッハッハッ』

 「またお前か……」

 しっしっと誰にも聞こえない声でぼやきつつ、目の前をぐるぐると回るヤツに手を振って追い払う仕草をするが、それはいつまでたっても俺の元を去る事をしないで何処までもついてこようとする。


 いくらついてこない様に追い払おうとしても、尻尾を振りながら俺の後をついて来るので、現在俺が住んでいる築数十年するボロイアパートにつくまで、追い払うものと追い続けるモノとの攻防が続く。


 アパートに着くころにはそれは一つだけじゃなく、時には無数についてくる事もあるが、それらは俺が今住んでいるアパートの敷地の中に入ってくることはない。

 アパートの敷地の片隅に小さいながらも鎮座している祠の様な、神棚を小さくしたような建物の前に俺を追いかけて来たよりも大きな犬が、それらが入ってくることを拒んでいるからだ。

 どうも俺について来る者たちはその犬が怖いようで、敷地の中には絶対に入ってこない。


「今日も御苦労さん……」

『おぅん……』

 俺がその犬に声をかけると、俺の方へと振り返り目を細めていつも返事を返してくれるのだ。


 それが俺の今の日常。



 さて改めて言っておこうと思うが、俺は変な奴じゃないと自負している。自負しているだけで周囲からどう思われているかは分からないけど、実際にその事で誰かに何か言われたことは……数えきれないほど多い。


 そもそも俺がこんな風になってしまった原因は良く知らない。気が付いたらみえるようになっていたとしか言いようがないのだから仕方がない。


 俺は生まれも育ちも地方のド田舎暮らしだった。

 父親は建築関係の仕事をしていて、春から秋にかけては地元で仕事をしていたが、冬になると仕事が減るため都会へと出稼ぎに出ていく。


 だから一年の中でも三分の一は地元には居ない。もちろん都会へと出てはいくけど月に何度か連絡が来るので全く音信不通になるわけじゃないけど、居ないのが普通とさえ感じるようになっていた。


 母親は俺が生まれて少したってから腎臓が悪くなり、週に数度の通院が必要となっていたので週に何度かは病院から帰って来ると寝たきりな状態になってしまう。

 だから母親に甘えるわけにもいかず、側で母の体調が良くなるようにと祈る事しかできなかった。


 幸いだったのは俺が住んでいた場所が、都会ではあまり見かける事が無くなってしまったけど長屋風になっている家で、周囲に住んでいる人達とは顔見知りで会った事。


 何かあればすぐに声をかける事が出来るし、まだ幼かった俺の事もしっかりと面倒を見てくれた。もちろん父親がいない時は父親代わりになって悪い事をしたら叱ってくれたし、母親が病院へと言っている時はご飯などを造って持ってきてくれたし、そのお家に招待してくれて一緒に食べさせてくれたりした。


 俺はそんな周囲の優しさに囲まれながら、ゆっくりと大きく育てられたのだ。


 そんな俺が今のようになってしまったのは、まだ幼かったからかいつの事だったのかは記憶には無いが、父親がいなかったから冬の間の事だと思う。


 当時住んでいた家は、玄関のドアをガラガラと音を立てて横へ引くと、居間となっている部屋が有り、その横に二部屋あって今の奥には木製のドアが有り、そのドアの先に風呂やトイレが有った。裏庭というかちょっとした家庭菜園のようなことができる土地もあって、父親がいる時はそこで野菜などを作り、食卓の一品となることが当たり前という生活を送っていた。


 ド田舎というのは、基本的には夕方から夜になると真っ暗になる。

 俺が住んでいるところは長屋という事もあって、建物の端から端までが長い為、ところどころに街灯が建っていたので、そこまで暗くは成ったりしないが、住んでいる場所から少しばかり離れた場所へ行こうとすると、ほぼ真っ暗な道を通ることになる。

 他人の住んでいる家はまばらで、それこそ隣家との距離が数百メートルあったりするのが普通だった。


 そんな時間になると人が出歩くことはなくなる。

 夏場は未だ虫の声などが聞こえるのでちょっとだけ耳が賑やかになるけど、冬場は雪が降ると音を吸収してしまっているように静寂が訪れる。

 朝起きて次の日には屋根ほどに積もっている雪を見る事も、そんなに不思議な景色じゃない。


 俺の初めては、そんな寒く雪が降り続ける冬の日の夜に訪れた。

 

 

母親と一緒に並んで寝ていた深夜の事。

 ちょっとした気配を感じた俺は、何とはなしに目を覚ましてしまったのだが、気配の主であるはずの母親は俺の隣でぐっすりと眠っている。


「なんじかな……?」

 眠い眼をこすりながら、柱にかかっている大きな時計に目を移すと、そこにぼんやりとした黒い影を見た――気がした。


「なんだろう……?」

 まだ暗さに慣れない眼をこすりつつ、少し目を細めてまた時計を確認するように視線を向けると、先ほどはしっかりと見えてなかったその黒い影が、時計の下に纏まっている事を確認した。


「え?」

 はじめはそれが陰にしか見えてなかったので、家の柱か街頭の柱の陰が映っているだけだと思っていたのだが、はっきりと意識が覚醒してくると共に、それが陰ではなく人影だと分かって来る。


「…………」

『…………』

 その人影は俺が見ている事に気が付いたのか、俺の方へ顔を静かに向けるけど、何も言わずただそこに佇んでいるだけ。


――え!? え!? なにあれ!? ど、どろぼう? お、お母さんを起さなきゃ!!

 隣の母親をゆすったりして起こすが起きる様子が全くない。だから慌てて「お母さん!!」と声を上げて先ほどよりも強くゆすってみるけど、母親は先ほどまでと同じように、反応して起きる事がない。


――気づかれる!? ううん……もう気付かれてるよね!?

 チラッと暗い人影の方へと視線を向けるけど、その人影は先ほどの場所から動いておらず、俺の方へと視線を向けているだけ。

 

 ただただジッと見つめてくるだけ――。


 俺は母親を起す事を諦め、そのまま布団をガバッ!! と頭まで被り直してブルブルと震えながら時間が経つのを待つことしかできなかった。


 気が付いた時には母親が起きていて、朝食の用意をする為に既に布団から出ていて、部屋の隅に布団が片付けられていた。

俺はおそるおそる時計の方へと視線を向けるが、そこに昨夜見た人影は姿かたちも見当たらなかった。


「よかった……」

 ホッとため息をついて、自分の寝ていた布団を片づけ、母親の手伝いをする為に部屋を出ていく。


 そして手伝いをしている時に、昨夜の事を母親に報告した。

「そう……気にしない様にしましょうね……」

 母親はニコッとしながら俺の頭を撫でてくれた。

 母親にそう言われたから、俺は気にしない様にしてその日を過ごし、その日から数日はなにも起こることがなく過ぎていき、次第にその日の事を忘れていた。


 


 それから数年後、忘れてしまったモノは突然その姿を現す。


 

 父親の父が亡くなったという知らせを受けて、俺達家族は父親の実家へと戻ることになり、家族総出で荷造りをしていた。

 あと数日で荷物を全て運び終るとなったその日。がらんとした家の中に家族で寝ていた所、そいつは再び俺の目の前に現れた。


 何かがいる気配がすると感じた俺は、静かに目を開ける。

 チラリと横を見ると、母親も父親も引っ越しの作業で疲れているのかぐっすりと眠っている。

 カチカチカチ


 部屋の中には時計の動く音だけが響いていた。


――時計の音?

 そっと視線を柱にかかる時計の方へと向けると、それは依然と同じ場所に同じような姿で姿を現した。

 

 『…………』

 「っ!?」

 それを見た瞬間声にならない声を上げてしまう。誰かがいると思った事によるパニックでどうしようかあたふたとしていると、その人影は俺達の方へと視線を向けると、スッ……とその場に溶けるように静かに消えて行ってしまった。


――な、何だ今の!? 消えた!? どこに!?

 布団からはい出し、それがいたと思われるところへとちょっとずつ近づいていくが、そこに誰かがいた気配は既になかった。


――あれ? 前にも同じような……。

 次の日になったら父親か母親に聞いてみよう。そう思いなおし、ドキドキする鼓動をどうにか押さえつけつつ、再び先ほどまで寝ていた布団へと移動して、すっぽりと布団をかぶり眼を閉じた。

 暫くは興奮していたのか眠ることはできなかったけど、あれやこれや考えている内にいつしか眠りへと落ちた。


 太陽が昇り、父親が起きた後新聞を取りに向かう。玄関のドアを開けるその音で目を覚ました俺は、すぐに布団を片づけ新聞を持って戻ってきた父親の元に行き、昨夜会った事を話す。


「は? 誰かいた? バカなこと言ってないで支度しておけ!! 今日は忙しくなるんだからな!!」

 怒鳴られるかのような大きな声で言われ、ビックリしながらも引っ越しの荷造りが出来ていないものを片づけ始める。

 

 そんな俺を、後ろから近づいて来た母さんの温かい腕がぎゅっと包んでくれた。


 その日以来、俺には視えるようになった。


 

 確かにそこに何もないはずの場所に、誰か、何かがいるなんて言い始める子がいれば、間違いなく頭がおかしい子と思われてもしょうがないのかもしれない。


 初めの頃はそれが何なのか誰にも理解されず、誰に言っても「何それ?」「嘘を吐くな」と言われるばかりで、本当にそこに居るモノに興味がないというか、見えていないのだから理解していないという事が俺自身には理解できなかった。


 俺の眼には、普通にそこに居るのだ。俺達と同じようにフルカラーで生きているような姿かたちをしているものが。

 他人の形をしたものだけじゃない。ツンとすました顔をした猫も、尻尾で空が飛べるんじゃないかという程にブルンブルンと振り続ける犬も、俺には視えている。


 でも、他の人には見えていないという事がようやく理解できたのが、小学校も高学年になった時。

 既にその時には『変な子』として周囲には視られるようになっていたし、その事が原因でいじめが始まったりもした。

 

 小学生も高学年になると、自我というか自分が『上位』な存在と思い始める奴も出てくる。そういう奴らには俺はていの良いターゲットだったという訳。変な奴だ嘘つきだと言われる俺の事など気にする同級生や先生なんていない。


 いや中にはいじめを受ける俺の事気にかけてくれる先生は存在したけど、結局基になっていることがなのだから、見えない人には結局最後まで信じてもらう事なんてできない。


 小学校を卒業しても、中学校に入ったとして地元のやつらがそのまま進級して行く事になる。私立の中学校に行くやつなんて多くないのだから、それまでと変わらず――いや、新たに他の小学校から進級してきた奴らも増加して、俺の事を同じように扱う事が当たり前といった風潮になっていた。


 それに対抗する手段は一つしかない。

――だれにも、もうこの事は言わない様にしよう……。そして俺は存在をなるべく消して生きていこう。

 決断してからの俺はそれまでと逆に、何かされても何もせず、声も上げずただひたすらに耐え続けた。

 学年が上がっていくにつれ俺に何かしてもリアクションが無い事を面白くないと感じたのか、次第に数は減ってきたのだが、それでも執拗に俺を狙ってくる奴はいる。

 そんな時間を過ごしていると、高校受験の学年になり、進学という学校的にも大事な学年になった事で、俺の事ばかりを構っていられなくなったのか、俺をいじめる奴らは側に寄ってくることが無くなり、受験勉強も正念場と言われる季節になった時には、俺の事を気にしている生徒はいなくなった。


――これでいい。これでいいんだ……。

 独りで帰る家路で、誰にいう事も無く心の中でそうつぶやく。

 

『ウォン!!』

「…………」

 そんな俺の周りには、視えない奴らがいつでもいた。


 



 そうして高校は町にある公立高校へと進学したけど、何人かは小さい頃の俺を知っている奴もいる。しかし高校で出会った新しい奴らとの交流が増えると、次第にそういう奴らとの関係も無くなっていく。

俺もありのままの俺を隠したまま、新しくできた友達と静かに三年間を過ごし、大学へと進学することが出来て、大人になった今も、昔と変わらないまま過ごしている。



 何かの拍子に、俺の秘密が誰かに知られるかもしれない。また同じように俺の居場所がなくなってしまうかもしれない。危うさと隣り合せな生活だ。



「そうなの? それがどうしたの?」

 

 俺の隣で、そんな事を言ってくれる人が現れるのを夢見ながら、今日も独り俺の周りで騒ぐと共に生きている。

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