覗き込んだその先
とりのめ
見たのかもしれない
初めて見た時、こんな目をしている人間がいるとは思わなかった。
墨を流し込んだのか思う程の漆黒、光の届かぬ深淵の如し。
つまり、何を考えているのか全く読めない表情の宿らぬ瞳を見ながら、俺はそんなことぼんやり考えた。
国際的な諜報機関で現場に出る者として、危険な目には多く遭遇する。自身の命を守るため、組織では定期的な訓練が行われている。まず自分が生きて動けなければ何も守れないし止められないからだ。
今回も普段会うことはない他国のチームが一堂に会している。中には多少、組んで動いたこともあるが、そうでない人間のほうが多い。
今日は近接格闘訓練が主で、ランダムに組まされ組手を行わなければならない。俺はどちらかといえば近接格闘は得意な方だし、毎回それほど苦に思ったことはなかった。相棒はうんざりした表情を崩していない。射撃が得意なあいつは、この近接格闘を苦手としていた。
「……憂鬱〜。射撃訓練にまわしてもらえないかな」
「そりゃ無理だろ。銃の腕前が凄くったって、近寄られて何もできなきゃ死んじまうぜお前」
そうなってほしくないんだよな、と言えば相棒は、わかってる、と呟いた。
「……だから苦手でも休まず出てるだろ……」
大きくため息をつき、呼ばれた相棒が訓練に向かう。頑張れよ、と手を振ると次は俺が呼ばれた。相手は見るからに標準体型の日本人だ。こいつ、こんなんでこの仕事やっていけてんのかな、と思ってしまう。筋肉質でもない、どこまでも普通の人。
歩み寄り、握手を求めるとその日本人は無表情で応じた。こちらを見上げる黒い瞳は吸い込まれそうなほどの漆黒が満ちていた。何かに似ている、なんだろうか、と思いその目をまじまじと見つめてしまった。教官からの合図で距離を取り向かい合って構える。始めの合図を聞き、一歩踏み出した時にその疑問が急に解けた。
そうだ、ブラックホールだ。
しかしどうも距離を詰めにくい。目から感情が読み取れず、動くタイミングを決めかねる。向かい合い、拮抗した時間が流れた。向こうもこちらの出方を伺っているのか、全く動こうとしない。
(……下手に動いたら逆に不利になりかねないか…?)
だがこのまま止まったままでもいられない。俺は不利になろうとも先に仕掛けることにした。そこから形勢逆転できなきゃ、現場で死ぬだけだ。
踏み込み、拳を握った右手を相手の顔面に叩きつける。男はその拳を見つめ、動こうとしない。
(……避けねぇのか……!?)
しかし、当たる直前で男の姿が消える。どうやら当たる瞬間に身体を外に捌き、逆にこちらに向かって一歩踏み込んできたのだ。
「!?」
突き出した俺の右腕に手を添えると、関節を固めてきた。このまま捻られでもしたら関節が外されてしまうと思い、タイミングを見計らって床を蹴った。男の投げ技を自ら跳ぶことでなんとか回避したことで右腕も助かった。なるほど、こいつは自分から仕掛けない分、相手の力を利用するタイプか。
だから筋肉という物理的な力に頼る必要がないらしい。これはやりにくいな。おそらく蹴りを入れても同じように、回避からの関節技を決めてくるのだろう。
(……フツー、回避って下がるもんじゃねぇ? こいつは逆だ、距離を詰めてくるんだからやりにくいにも程があるぜ)
やりにくかろうが、組んだ以上こいつを床に沈めなきゃ終わらねぇ。パターンがわかれば警戒もできる。カウンター攻撃を主にしてくるというなら、こっちからその余裕もなくなるほど、攻め込んでやる。
俺は再び攻め込むためにグッっと距離を詰める。その時、まともに至近距離で相手の顔を、その目を見た。
墨の流し込まれた深淵、光の届かぬブラックホールはもうそこになかった。
意志の強い光が宿っている。なんだ、こんなの、さっきまでなかったろ。多分、この距離でこいつの瞳を覗き込めるやつじゃなきゃ見られないのかもしれない。
何かに似てるんだよな。
そうか、これは黒曜石だ。
腑に落ちたところで、そこから先の記憶はない。
絞め落とされて意識を失ったとわかったのは、それからしばらくしてからだった。
覗き込んだその先 とりのめ @milvus1530
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