第6話 万灯祭
無数の燃えさかる炎が、窓の外から飛び込んできた。
灯火が道に沿ってずらりとならび、その橙色のかがやきが雪に覆われた白の大地を、暗黒の大空を彩っていた。
その景色は幻想的で、うっとり息をのむような美しさだった。
「行きましょう」
妻はコートを着込んだ。
僕もダウンジャケットを着込んだ。
妻とならんで、灯火に照らされた道を歩く。メラメラと燃える炎の熱気がむき出しのほっぺたに温かかった。
妻の顔も明るく照らしだされ、血色ゆたかに生き生きとして見えた。
ドン、ドン。太鼓の音が響く。ほら貝の音色が聞こえる。
道をそぞろ歩くたくさんの人とすれ違った。皆一様にその身に明るさをまとっていた。
――彼岸はこの世とあの世の境目が
道行く人は彼岸からやってきたまれびとのように、僕には見えた。
「やあ、川村さん。奥さんも元気そうで」
三木田さんとすれ違った。笑顔を浮かべていた。
「店長、奥さんと会えたんだね。よかったよかった」
堂川の親子もいた。彼らも笑っていた。僕らは手を振りかえした。
「――ヒロキ」
妻が小さな声で言った。
次の瞬間、だれかが僕の手を握りしめた。
紅葉のような小さな手のひら。
その手は炎のきらめきのように熱かった。
覚えのある感触――永遠に失われたかに思われた感触だった。
太鼓の音が鳴る。まるで心臓の鼓動のように空気を震わせる。
僕は手を握ってきたほうに目をやった。橙色の光をまとった少年の姿がそこにあった。
「ヒロキ――」
ヒロキは僕と妻の間にいて、両方に向かって手を伸ばしていた。
名前を呼ぶ僕につぶらな瞳を向け、それからくしゃっと表情を崩した。
「ヒロキ、そこにいるのか」
僕はたずねた。
ヒロキは返答しなかった。ただその顔を向けるばかりだ。
親子三人で雪の大地を踏みしめながら、灯火のかがやきのなかを歩いた。
言いたいことがたくさんあった。
ヒロキがいなくなってどれだけ苦しかったか。
どれだけ会いたかったか。
お前のいない子ども部屋がどれだけ寂しいものだったか。
秋田の雄大な山々をどれだけ見せてやりたかったか。
それもすべて頭から吹き飛んだ。
今こうして三人でいられる、それだけいいのだ。それだけが幸せなのだ。
あぜ道を通り、川辺を抜けた。途中火文字があり、春分を表す「中日」の文字が夜空を彩っていた。
回転する大掛かりな装置の灯火もあった。
僕らはそれらをながめた。
墓場に近づいてくると、灯火の間隔は広くなり、その数もまばらになってきた。白と黒の支配する色の中に僕らは近づいていく。
「あっ!」
妻が叫んだ。ヒロキが僕たちを離れ、ひとり墓場の方へと走っていったのだ。
「ヒロキ!」
ヒロキは途中でふりかえって、胸元まで手を挙げると、そのちいさな手のひらを左右に振った。
「待って!」
妻は走り出し、ヒロキを追った。ヒロキは手を振り続けていた。その橙色の体は次第に色を失っていき、輪郭を失っていく。
「ダメだ」
僕は引きとめた。
本能で知っていた。
その向こうは暗闇だ。底なしの闇のなかに妻まで引き込まれることになる。
「君にまでいなくなられたら俺はもう」
妻の手を握りしめた。
ヒロキの形をした炎は消えた。
何の痕跡もなく、煙ひとつだって残さなかった。
泣き崩れる妻を抱き止めた。
「追いかけるな」僕は言った。「ヒロキとはまた来年会える。このまつりで」
妻は骨ばった体で僕にすがった。
「また会える」
僕は繰り返した。
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