第4話 事件
店に戻ろうと、ひとけのない集落の道を歩いた。時折軽トラックが僕の横を通り過ぎていった。
事件のことにふれられる度に、僕の脳裏に思い浮かぶのは五年前の冬――。
霊安室で横たわるヒロキ。
その上にかぶせられた白いヴェールを、僕はめくりあげた。
直後、妻の悲鳴が霊安室に響き渡った。
ヒロキの変わり果てた姿と、絶望に崩れ落ちた妻。
なにもできず突っ立っている僕。
そう、僕はあの時、惨劇の痕跡を前に呆然とするしかなかった。
この世に鬼もいたもんだよなぁ。
さっきある男性がそう言った。
その凄惨さと驚愕の犯人像から、事件は世間の知ることとなった。
容疑者として逮捕されたのは十三歳の少年だった。
彼は妻がヒロキと公園を散歩していた一瞬のすきをついて、ヒロキを連れ去った。
ヒロキが見つかったのは、その三日後。
少年が逮捕されたのはそのさらに三日後だった。
裁判のときに、容疑者の姿を見た。
取り立てて特徴のない、どこにでもいるような平凡な少年だった。少年院で品行方正に矯正されているというのもあるのだろう。特徴らしい特徴は見受けられなかった。
裁判中は大人しいもので、投げかけられた質問には淡々と回答していた。
どんな質問にも顔ひとつゆがめるもことなく、かといって汗水ひとつ垂らして見せることもなかった。
一瞬目が合った。彼は僕を被害者の父として知っているのか知らないのか、興味もなさそうに視線をそらした。
凄惨極まる事件の、その詳細を解き明かそうとする裁判中、何度か吐き気とめまいが襲った。
僕は弁護士に思わずこうたずねたことがある。
『あの少年……彼は何者なんでしょうね。本当に人間なんでしょうか。どうしてあんな風に、息子を傷つける必要があったんでしょうか。まだ五歳の子どもに……』
『彼岸からきた存在だろうよ』渋面を浮かべて弁護士は言った。『そう思わないことにはやりきれない。でも間違いなく血の通った人間なんだ』
少年に判決がくだされ、事件は解決の格好となった。
それでも、僕たち夫婦の生活は破綻したままだった。
妻は一日のほとんどをベッドで過ごした。僕は事件のことを考えるか、それ以外は自分の仕事に没頭した。
その後、妻の両親から妻をないがしろにしていることを責め立てられ、僕は反省した。
なんとか生活を立て直したい。
再起を胸に、僕たちは東京を離れ、縁もゆかりもない秋田の地に移ってきて、商売を始めることにした。
――環境を変えればすべてがうまくいくに違いない。
そんな僕の淡い期待は打ち砕かれた。
妻は回復の兆候を見せなかったし、僕も仕事に明け暮れていた。
僕はなにをしたいのだろう。
時折混乱に襲われる。
そして何もかも投げ捨ててしまいたくなるのだ。
携帯電話が鳴った。
画面に表示されたのは僕の店の電話番号だった。
「大変、大変、店長!」
堂川さんの声が言った。
「今奥さんが店に来た。店長を探してるって!」
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