君といつまでも

ゆーすでん

君といつまでも


多田 紘一の場合


只今、午後八時三十分。

出張の予定を大幅に短縮できたから、大急ぎで鳥羽先輩が住んでいる

街の駅に向かった。

住所は知らないけど、最寄り駅は聞いていた。

急に来るなんて、迷惑に決まっている。

でも、今を逃したら後悔すると思った。

鳥羽先輩こと真希さんは、俺が入社した時の教育係で、誰よりも尊敬する人。

仕事が出来るのに、自分のことをポンコツ呼ばわりする辺りがもどかしい。

あの笑顔が見られなくなるなんて、嫌だ。

真希さんや周りが何と言おうと、俺は真希さんが好きで一緒に居たいのだ。


スマホを取り出しアドレスから「鳥羽 真希」のアイコンをタップする。

深呼吸しながらコール音を数えていると、三コール目で大好きな声が聞こえてきた。

「多田君、どうしたの? 今、出張中でしょ? 

 商談、上手くいった?」

「相談というか、悩んでることがあって…。

 今から、部屋に行ってもいいですか?」

「はあっ!? もう、無理でしょ。」

「戻って来たんです。話したくて、どうしても。」

「戻ってきた?! 出張先から? いやいやいや、明日も仕事だし。 

 電話じゃ、駄目なの?」

電話の向こうの真希さんは、俺も心苦しい位、焦っている。

でも、ここで引く訳にいかない。

「今日はもう遅いから、とりあえず家に帰って落ち着いたら? 

 それからでも話聞くから。」

お願いだから、帰れなんて言わないで。

「多田君?」

「今、〇〇駅にいます。」

「え? うちの近くじゃない。」

「はい。」

とだけ答え、また黙った。

もう、一押ししておこう。

「お願いです。直接、話がしたいです。」

突然、激しい雨が地面に降り注ぐ。

「わかった。迎えに行くから、目の前にあるコンビニで待ってて。」

「でも、夜中に危ないです。」

「すぐそばだから。一旦、切るよ。」

電話が、切れた。

顔を上げると、眩しい明りが見える。

店先まで駆け、雫を払って店に入った。


俺がこんな突飛な行動をした理由は、今朝聞いたニュース。

「鳥羽係長、会社辞めて独立するらしいよ。

 今朝、部長に伝えてたって、総務の子が。」

「え…。」

驚きで言葉が出ない。なんで急に。

出張へ行く前、早めに会社に出て来ていた。

鞄に入れようとしていた資料を手にしたまま、固まってしまう。

このニュースを伝えに来た同期の田所は、妙に嬉しそうに隣で笑っている。

何が、嬉しいんだよ。

お前だって、真希さんに何度もフォローして貰っただろ。

数年前まで、向かい側に座って居たのに。

真希さんに目を向けると、何だかすっきりした顔をして既に仕事に

取り掛かっている。

俺の教育係だった真希さんは、部署が異動になり、今は総務と

経理事務に勤しんでいる。

せめて、挨拶くらいしたい。

笑顔が見たい、声が聞きたい。

けれど、同期の一言でそれは叶わない。

「多田君、そろそろ出発しないと新幹線、間に合わないよ。

 行こう? 出張、楽しみだね。」

何が、楽しみだ。

今度こそ、資料を鞄に詰める。

もう一度、真希さんのデスクに目をやりつつ、後ろ髪を引かれながら

会社を出た。


新幹線の車内ではご機嫌な田所のおしゃべりがノンストップで続いたが、

適当にあしらって過ごした。

それにしても、真希さん。

独立を考えているって、俺には話してくれなかったな。

俺なりに、真希さんにアピールしていたつもりだったけれど。

真希さんが、バツイチなのは知っていた。

どんな別れだったのか、真希さんは仕事に心血を注ぐ事を決めていた。

誰かとまた一緒になることを、諦めているみたい。

俺の事も、後輩としか見ていない。

ふと気が付くと、騒がしいBGMが止まっていた。

隣を、見る気にはなれない。

ただ、真希さんが居なくなるという現実を受け入れられなくて目を瞑る。

 

「…多田君。こら、多田君! 起きなさい。

 これから、大事なプレゼンでしょう。契約、取って来るんでしょう?

 仕事に集中しなさい。」

声が聞こえた気がして、瞼が上がる。

あぁ、そうだ。

真希さんなら、絶対にそう言う。

どんな人に対しても、誠実に接する処が大好きだ。

真希さんの様になりたい。

電光掲示板が、もうすぐ目的地に到着する事を伝えている。

隣の田所が、不機嫌そうに窓の外を見つめていた。

さすがに放置しすぎたか。

「田所、今日は頑張ろうな。」

そう伝えると、まだ不服そうながら『うん』と頷き返してくる。

今は集中しよう。

気合を入れるため、両頬を軽くパチンと叩いて、荷物を手に立ち上がった。


プレゼンは思いのほか上手くいき、他の契約も、とんとん拍子に交わされていく。

明日の予定だった取引先に今日に予定を変えてくれと言われて、明日の予定が

無くなった位だった。

「今日の多田君、凄い。こんなに上手くいくと思ってなかった。」

「うん、俺も。サポートありがとな。」

「そう言って、貰えて嬉しい。」

仮契約の束をスマホで写し、課長と田所にメール添付して報告を済ませた。

腕時計は、午後六時を指そうとしている。

もしかしたら、これは逃しちゃいけないチャンスじゃないか?

今なら、新幹線で帰れる。

「ねぇ、今日は二人でお祝いしない?」

「俺、帰るわ。」

「え? 多田君、わたし」

「お疲れ。すまん、これ、頼むわ。気を付けて帰れよ。」

話しているのも、もどかしい。

仮契約書の束が入った封筒を田所に預け、 駅へダッシュし新幹線に飛び乗る。

荒い呼吸を整える間も考えるのは、真希さんの事。

今夜、長く話すことになるかもしれない。

念には念をで、課長に報告メールを送った事と、仮契約書を田所に

預けた事も伝える。

座席に座りながら、自分の思いをどう伝えようか考えていた。


そうして俺は今、コンビニのアルコール売り場の前に立っている。

酒の力を借りないと、言えないことか?

俺の、真希さんへの気持ちってそんなもんなのか?

自分自身の意気地の無さに、落ち込む。

「多田君?」

そう呼ばれて、振り向くと真希さんが居た。

少し荒い呼吸に、急いできてくれたと嬉しくなる。

これから俺が話すことに、真希さんはきっと困惑するだろう。

困らせたくない。

でも、真希さんと離れたくない。

真希さんの事をこんなに好きな自分を、感じないようにするのも忘れる事も、

絶対に出来ない。

真希さんじゃなきゃ、駄目なんだ。


***********


「…俺の会社が使わなきゃ、あんたの所も困るだろ。分かっているよねぇ?

 どうしたらいいか。

 お金の切れ目が、縁の切れ目ってね。

 リベート、寄越しなよ。

 君の、将来の為だよ。

 がんばれ、新人君。

 あっはははは、はははははは。

 あの女…」

ボイスレコーダーが言葉を再生していた。

あの夜の嫌味な声を、先輩の指が止めた。

目の前には、真っ青な顔で座る男性。

音声を聞いている老年の男性と、先輩。

そして、先輩の隣で俯く、俺。

「社長は、私が居ないと思ってこんな話をしていたんでしょうけれど、

 居たんですよ。

 ここ最近の、御社の不穏な噂。

 先代には良くしていただいたから戸惑いましたが、どうしても

 見過ごせなくて。

 先代、申し訳ございません。

 けれど、御社の事を考えれば今の状況は許されることではありません。」

「あんた、何してくれてんだ。」

「お前は、黙っていなさい。」

顔面蒼白の社長に、老年の男性が一喝する。

 

会社に入って一年目。

営業職の俺は、鳥羽先輩の指導の下で業務をこなしていた。

その会社は、歴史のある会社だが、新社長が継いだ後、嫌な噂が流れた。

新社長の派手な金遣いと、運営方針に社員も離れたがっているとか。

取引額を安くしろと、強要されたとか。

その他、色々。

そして、噂が事実だと、知る事になる。


「ねぇ、君。うちの会社と、これからもずっと取引できると思ってる?」

真希先輩と、接待に来ていた。

新社長は、真希先輩が電話に出るため離れた隙に俺に話しかけてきた。

「君、新人だろ。あのお姉さんから、仕事引き継ぐんでしょ。

 そのまま、良いお付合いを続けられる、なんて思ってるの?」

「それは、どういう…。」

「俺の会社が使わなきゃ、あんたの所も困るだろ。分かっているよね? 

 どうしたらいいか。

 お金の切れ目が、縁の切れ目ってね。

 俺に、リベート、寄越しなよ。君の、将来の為だよ。

 がんばれ、新人君。

 あっはははは、はははははは。

 あの女が離れたら、うちは取引しないって決めてたんだ。

 あの頭の固い女、つまんないんだよ。

 ちょっとホテルで俺の相手をすればいいものを、きっぱり断りやがる。

 俺は、社長だ。先代は、俺に任せている。

 さて、君はこれからどうするべきかなぁ。」

俺は、何を言われているのか分からず、固まってしまった。

しかもこの人、鳥羽先輩にセクハラしてたのか?

困惑と怒りで、殴りたくなるのを奥歯を噛みしめながら、拳をぐっと握り耐える。

「黙ったままだね。それは、『お受けします』ってことだね。」

言い返せない俺に、社長がニヤニヤ笑った。

リベートなんてそんな事、出来るわけない。

震えながら口を開きかけた時、

「失礼しました。社長、そろそろお開きにしませんか。

 お帰りの車も、呼びました。」

襖が静かに開かれ、鳥羽先輩が、社長に笑顔で話し掛ける。

俺は、何も言えずに再び固まった。

「多田君、酔ってんねぇ。」

社長がからかうように、ニヤニヤした。

先輩に伝えたいのに、何故か動けない。

社長の視線が、ずっと俺を見ている。

すっと、社長の顔が消えた。

目の前には、鳥羽先輩の笑顔。

「大丈夫。全部、分かっているから。」

聞こえない様に、俺に囁く。 

そうして、見えない様に俺の背広のポケットから、ボイスレコーダーを

取り出して上着に隠した。

いつの間に?

そんな顔の俺に、にっこり笑いかけると、したり顔の社長に振り向いた。

「社長、本日はありがとうございます。

 今後とも、弊社の事、末永く御愛顧下さります様、宜しくお願い致します。」

恭しく、床に三つ指をついて頭を下げた。

社長が、見た事もない笑みで見下ろす。

まるで、先輩を自分の物にしたみたいに。

腹が立ったが、先輩の手が膝に乗せられて、何も言えなかった。

大丈夫だというように、テーブルで見えない膝をポンポンと宥めてくる。

社長を車に乗せた後、先輩が振り向いて俺に笑顔を向けた。

「頑張ったね。辛い思いさせて、ごめん。」

「あの、いつボイスレコーダーを?」

「ごめんね。もしかして担当を変わるって話をしたら、仕掛けて来るん

 じゃないかと思ったの。

 先代は、誠実な方だったけど、今の社長は若い頃から良い噂を聞かなくて。

 先代からも、実は相談を受けていたの。

 それに、私にも、何か変な事言ってきた。

 だから、私の勘を確かめようと思ったの。

 実は、お店に入る前に多田君のポケットに忍ばせて貰った。

 緊張したけど、多田君が気づかないでいてくれてよかった。

 騙すみたいな事して、ごめんね。

 でも、これで社長の事を正せる。

 先代も、きっと、それを望んでいる。」

「何で、そこまで?」

「実は、私と次男さんが同い年でね。

 先代は、本当は次男さんを社長に据えたかったらしいの。

 でも、先々代の娘である奥様の意向を無下にも出来なくて、長男さんを社長に。

 元々、長男さんは遊び好きで迷惑ばかり起こしていて。

 次男さんは、反面教師でしっかりした人物に育ったんだけど、奥様に

 可愛がられなかったみたいで。

『次男が、可哀そうだ』って相談されてた。

 私も、同じ様に育ったの。」

鳥羽先輩は、俯きながら話し続ける。

「私、姉が居るんだけど。姉が、優秀でね。

 私、ぜんぜん優秀じゃなかった。

 だから、母は姉に付きっ切り。

 母に、何か作ってもらったとか無いの。」

「鳥羽先輩。」

「騙し討ちみたいな事して、本当にごめん。」

「俺…、断れなかった。」

「怖かったね。大丈夫。

 取引先の人に、あんな事言われるとか思わないよね。

 でも、君なりに耐えてくれてありがとう。

 正直、私も今、大変な事をしてるって思う。

 多田君が、頑張ってくれたから、この問題は、きっと解決できる。」

真希さんが、笑う。

只それだけの事でも、俺にとっては幸せだ。

 

あの取引先の社長は、即日解雇された。

次男が社長になり、会社は上手く回り始めているという。

今度は、俺が真希さんを支えたい。

真希さんは、凄い。

改めて思う、真希さんは、凄いんだ。

赤の他人の為に、あんな事出来る人だぞ?

事実、取引先もうちの会社も両方救った。

ずっと今まで、真希さんを見てきた。

真希さんは、絶対にポンコツじゃない。

真希さんと一緒に居たい。

そう思ったから、一つの迷いが生じた。

俺が、求めても、いいのか?

真希さんは、俺の事を後輩としか見ていなくて、もちろん男としても、

見ていない。

けれど、本当に尊敬できる人が目の前に居て、心から好きだと思える人を

抱きしめたいと思う事は、駄目な事か?

そんな思いが溢れてきた頃、年末を迎え、久しぶりに実家に帰った。

実家は近いけれど、就職してから約三年、年末年始くらいしか

返ることは無かった。

久々の帰宅に、両親は喜んでいた。

のんびりするというよりは、真希さんの事が頭から離れなくなって、

居間で呆けていた。

そんな俺を見かねた母が、声を掛ける。

「会社で、何かあったの?」

「え…? あ、いや、何もないよ。」

「そう? じゃあ、誰かのこと?」

母が俺と目を合わせようとしているが、驚きと気恥ずかしさで、

俯いて目を合わせないでいた。

そのまま、少しの時間が流れたころ、

「私と、お父さんの事だけれど。出会った時は、大学の講師と学生だった。

 しかも、お父さんが入学した時の私は、准教授になれるかの瀬戸際だった。

 彼が私のゼミに入ってきて、質問やら沢山してくるなと思ったら、

 急に『俺と付き合って下さい』と言われたわ。

 もちろん、断った。

 かなり年上だし、大体、私をそんな風に見ているなんて信じられ

 なかったから。

 それに、自分のキャリアを考えれば、誰かと付き合うなんて

 考えられなかった。

 まあ、でも、今思えば、怖かったのよ。

 そう、ただ、怖かったの。

 だから、告白された時、私、彼から距離を置くために色々したわ。」

「怖かったって、なにが?」

こんな両親の話を、初めて聞く。

確かに、母は父よりも年上だ。

でも、今は教授である母と、設計事務所の社長である父は仲が良く、

喧嘩もするけれど、次の日の朝には、こちらがびっくりするほど

何も無かった様に微笑み合うような二人だ。

お互い忙しいだろうに、二人で家族を作り上げ、家事を分担して

家庭を維持し、俺を育て上げてくれた。

俺にとって両親は、理想の二人だ。

昔の二人は、今の俺と、真希さんみたい。

だから、聞かずにいられなかった。

「何が、そんなに怖かったの?」

「今まで、誰にも見向きもされなかった私が、告白されるなんて

 考えても無かった。

 自分以外の人と、上手くやっていく自信もなかった。

 正直、私、彼に出会う前は、誰かに褒められたことも、好きだと

 言われた事も無かった。

 それに、私の方が随分と年上だし、ご両親にだって受け入れられる

 とも思えない。

 子供だって、出来るかも、育てられるかも分からないし、

 全てが不安だった。

 建築においては自信があっても、一人の人間としては自信がなかった。

 でも、あなたのお父さん。

 私と出会った時からずっと好きだと言って、褒めて、しつこい位

 言い続けてくれた。

 今も、言ってくれるのよ。

 ある時、いつもの様に彼から逃げていたのに捕まってしまったの。

 そうしたら、

『そんなに僕のことが嫌いなら、もういっそ、きっぱり振ってください。

 でも、そうじゃないなら、俺と結婚してください。』

 って、大学の構内の、しかも外で、大声で言われたわ。」

「え? それって…?」

「公開プロポーズでもあり、公開処刑よね。」

普段、コピー機の使い方さえもおぼつかなくて、設計事務所の

事務員さんにダメダメ認定されたりするくらい大人しい父。

でも、設計に対してふざけた事を言ってくる業者に対しては、

毅然と接する父。

父さんなら、そう言う事も出来るかも。

「だから、もし、あなたに好きな人が出来なたなら、私たちは、

 賛成するわ。

 あなたが、選んだ人だもの。」

「本当に?」

「私達は、応援するわ。

 でも、周りの反応は思うより厳しいわよ。

 覚悟は、ある?」

「もちろ…」

「その人にも、覚悟はある?」

母の目が、俺を貫く。

俺は、今、俺の気持ちしか考えてない。

はっと、固まってしまう。俺は、真希さんの事が大好きだ。

好きだから、ついていけるし、支えたい。 

でも、真希さんは?

真希さんの気持ちを、考えられてない。

でも、それでも好きだ。やっぱり、傍に居たい。

「母さん、俺の好きな人はね。とても、母さんに似ている。

 でも、真希さんだから好きなんだ。」

「まきさんと、言うのね?」

「僕も、聞いていい?」

俺はその後、母さんといつの間にか居間に来ていた父さんに

真希さんの話をした。

出会いから、例の事件、真希さんの家庭事情、そして俺がどれだけ

真希さんの事が好きか。

「うん、わかるけど、ねぇ。まきさんは、紘一君の事…。」

「だから、分かっているけど。

 でも、好きなんだ。」

眉を八の字にしている父の顔。

あぁ、これじゃ、駄々を捏ねるクソガキだ。

「紘一君、勘違いしないで。紘一君の思いを伝えていいと思うよ。

 僕も、何度も、何度も伝えた。僕は、紘一君の思いを応援する。」

 捻くれそうになる心に、父が語り掛ける。

「でも、俺、真希さんの気持ちに寄り添ってないんじゃないかな。」

「好きで、一緒に居たいんでしょ?

 覚悟とか、そんなのは、後でお互い何度も話し合えばいい。

 まず、気持ちを伝えて分かり合えなきゃ、先は無いんだ。

 きっと、真希さんも、紘一君が好きだよ。

 話を聞く限り、紘一君の事、自分から好きだとは絶対に言わないと思う。

 もし、本当に好きなら、ずっと伝え続けなきゃ。

 僕、みたいにね。」

ふっと笑った父は、俺の頭を撫でた。

「あなた達、似た者親子ね。」

母が、笑いながら俺達を見ている。

二人の応援がある、俺は諦めない。

 

目の前には、真希さん。

風呂に入らせてくれて、うどんも食べた。

今は、二人でビールを飲んでいる。

さあ、ここからが本番だ。

どう伝えようかと思いを巡らせていると、真希さんから口を開いた。

「えーっと、今日って何。

 何か、出張先でとんぼ返りしなきゃいけないようなことでもあったの?」

「いいえ。」

「ん? 何か失敗やらかしたとか?」

「いいえ、むしろ出張は上手くいきました。

 思った以上に契約取れたので、それで泊らずに帰って来れたんです。」

「え、あ、そうなの? それは良かった。

 じゃあ、明日の朝は田所さんもいるのね?」

「田所さんの事は分かりません。出張先から、俺一人で帰ってきました。」

「え…、それって置いてきたって事?」

「はい。」

「うわぁ。なんか、明日大変そう。」

「何が、ですか?」

真希さん、もしかして、俺が出張先で何かやらかしたと思っているの?

それに今、何で田所が出てくるんだ?

予想外の質問に、つい頭を傾げてしまう。

困惑で頭がいっぱいになりそうになる。

「ええと、じゃあ、悩みって何?」

同じく困惑顔の真希さんに、今度は俺の思いをぶつける番だ。

「会社辞めて、独立するんですよね。それなら、俺も連れて行って下さい!」

「は?! 独立の話、何で知ってるの?」

「朝、会社に寄ってから出張に出たんですけど、その頃には噂になってましたよ。」

「へ~、そうなんだ。へ~…。」

噂になっているなど、露とも思っていなかったのだろう。

目線を泳がせながらため息をつき、壁の向こうを見ている。

「ん? ていうか、今。連れて行って下さいって、言った?」

「はい、真希さんに付いていきたいです。

 今後、真希さんが経営に専念するなら、他に営業の人間も居た方が

 都合がいいですよね?

 それが駄目なら、結婚してください。」

手をぎゅっと握り、顔をぐっと近づける。

出来ればこのまま、キスしたいくらいだ。

けれど、それじゃ二人の想いが通じ合う事は無い。

だから、真希さんの次の言葉を待つ。

「あ、あの、多田君。近すぎる。一旦離れて、落ち着こうか。」

「嫌です。真希さん、俺の事見て下さい。」

「多田君。あのさ、私の事…。」

「はい、好きです。真希さんが好きです。」

また引いていく顔を、逃さない様近づく。

「多田君。正直、これじゃ落ち着けない。

 ちゃんと話をする為にも、離れよう?」

まだ見つめていたかったけれど、真希さんも体勢が辛そうだ。

「わかりました。」

手は離さずに、少しだけ体を離す。

真希さんがビールを飲む間も、じっと見つめ続ける。

「そもそも、どうして私? バツイチの冴えないおばはんだよ?」

想定通りの言葉が聞こえてくる。

俺は只、素直な気持ちを伝えるだけだ。

「真希さんは、おばはんじゃありません。

 社会人としても、一人の人間としても、そして、一人の女性としても、

 魅力的です。

 それに、仕事も出来て、尊敬しかない。

 俺は、ずっと真希さんに憧れています。

 ずっと、真希さんの事を見てきました。

 真希さんは、自分の事を卑下しすぎです。

 なのに、すぐ『自分はポンコツだから』とか言うから、

 俺の方が辛くなります。」

そう言った後、真希さんは俯いてしまった。

辛そうで、悲しそうで。

握っている小さな手から、力が抜けていく。

真希さん、もしかして、

「真希さん、私は駄目な人間だって、また思ってません?」

「え? あ、いや…。」

また俯いてしまった真希さんに、もう一度俺の思いを言葉で伝える。

「真希さん、あなたがしてきたことは、凄い事ばかりなんですよ。

 あなたが居たから、今の俺が居る。

 あなたが、俺を守ってくれたから、今日、沢山の契約だって取れたんです。

 あなたが沢山の事を教えてくれたんです。

 だから、俺の為にも、自分を卑下しないで。

 俺は、真希さんと笑っていたい。俺と、ずっと、一緒に居て下さい。」

そう言って、真希さんを抱きしめた。

それに応える様に、真希さんも俺を抱きしめてくれる。

嬉しくて、両腕に力を込める。

けれど、急に動揺し始めたのか、真希さんが腕の中でそわそわし始めた。

もしかして、別の事を気にしだしたかな?

俺は、真希さんの耳元に顔を近づけ、

「真希さん、俺。両親に真希さんの事が好きだって話してあるんです。

 年上だって事も、バツイチだって事も。

 俺の両親も、母の方が年上なんです。二人とも、承知の上です。

 だから、俺は真希さんの事諦めません。

 絶対にね。」

「え…? むしろ、こわ…。」

真希さんが顔を引きつらせながら、離れて行こうとするのを、

「いや、嫌わないで。」

柔らかな頬に手を添え、慌てて止めた。

真希さんは、もう逃げていかなかった。

俺の左手に手を重ね、頬を寄せている。

熱を帯びた瞳で見つめられて、思わず、ごくんと喉が鳴る。

お願いだから、俺を選んで。

それだけを、願い続ける。

ふっと、真希さんがほほ笑んだ。

「多田 紘一さん。私と、一緒にいてくれませんか?」

聞きたかった言葉が、聞こえてくる。

「そ…そ…」

「そ?」

「それって…そっ、それって…」

「うん。」

「俺と、結婚してくれるってことですか?!」

「うん。まあ、そういうことだね。

 ただ…」

「やったあああああああ!」

「ちょっと、いたい! くるし…」

「よおっしゃああああああ!」

「夜中に迷惑だから、大声出さないの!」

分かっているけれど、嬉しい気持ちに、蓋なんて出来ない。

真希さんの体を、力いっぱい抱きしめる。

「俺、明日。会社に退職願を提出しますね。」

と、言った瞬間、

「いや、それは、絶対に駄目だから。」

真顔の真希さんに、引き剥がされた。

「なんで、ですか? 俺、真希さんの居ない会社には居たくないです。」

「いや、最初に言ってたのと違ってない?

 そもそも、独立して、まともに会社が回るまで何年かかるか

 分からないんだよ?

 結婚だって、落ち着いてからがいいし。」

「結婚は、今だっていいじゃないですか。」

「うんん? ま、そうかもしれないけど。

 でも、安易に会社を辞めるのは駄目!

 二人して辞めて、路頭に迷うようなことは絶対にしちゃいけないの。」

「そうかも、しれないけど…。」

確かに、二人して辞めてしまえば生活へのリスクは大きくなる。

ちゃんと話はしよう。

けれど、俺達の関係は今…。

「多田君、あのね?」

ちゃんと、明確にしておかなければ。

「その前に、俺と真希さんは、今、恋人だってことで間違いないですよね?」

「へ? あ、えと。」

「間違い、無いですよね。」

「うん。そうだよ。」

よし、これで正式に恋人に成れた。

じゃあ、アレを買いに行かなくちゃ。

「分かりました。ふふっ、恋人。

 真希さん、俺、コンビニ行ってきます。」

「え? コンビニ? 今から?」

「はい、5分で戻るので待っていてください。

 大事なものを、買ってこないと。」

「大事なもの?」

「はい。恋人ならではの必需品です。」

「え? あ、ちょ…っと…」

俺の恋人が、呆気に取られているのを横目に、鞄から財布を掴み、

玄関を飛び出した。

いきなり飛び込んできた俺に店員が固まっていたが、気にせず目的の物を

すぐさま選んで会計を済ます。

戻る間も、顔がにやけてしまう。

「お、おかえりなさい。」

真希さんが、健気に玄関で出迎えてくれた。

ああ、幸せだ。真希さんの体を、抱き寄せる。

「真希さん。これからの事は、二人でちゃんと話し合いましょう。

 でも、その前に恋人なんだから、コレ使ってもいいですよね。」

「え? これって。」

「はい。恋人たちの必需品。スキンです。」

真希さんの顔や、耳や首筋や、体が一気に真っ赤になっていく。

なんと、可愛らしい光景か。

「多田君。」

恋人なのだから、名前で呼んで欲しい。

「紘一。真希さん、俺、紘一。」

「こういち。これから、宜しくね。」

「はい、宜しくお願いします。」

どちらともなく、唇を重ねる。

温かくて、嬉しくて。

俺を選んでくれた愛しい人を、絶対に後悔させない。

そう、俺の中で誓いを立てた。

 

次の日、俺達は二人で有休を取った。

だって、今日は金曜日。明日は、土曜だ。

丸一日、思う存分愛し合って、今後を話し合った。

やはり、暫くは、俺が今の会社に残こる方が、真希さんを安心させられる

かもしれない。

でも、籍だけでも直ぐに入れる事だけは譲れなかった。

「離れて暮らさなくてもいいじゃないですか。

 一緒に暮らして、二人で色んな事を乗り越えましょう?」

「会社の人達に、からかわれてもいいの?」

「何を、言ってるんですか。

 皆、俺が真希さんしか見てないって、知ってますよ。

 真希さんだけです。俺の気持ちを今まで知らないの。」

「え? それは、無いでしょ。

 営業課の皆、田所さんと相性いいよねって、話してたし。」

「それは、仕事上の話ですよ。

 田所は、真希さんに資料作りとか色々アドバイス受けていたから、

 そういうのが上手いんですよ。

 真希さんには、適わないですけど。」

何故か、俺の恋人は、『うわ、マジで言ってる?』みたいな顔で俺を見ている。

「田所さん、紘一の事、好きだと思うよ。

 美人だし、同い年で、お似合いだなって。」

 不安そうな顔で、俺の恋人が話す。

 まだ、そんな事を言うの?

 段々と、イライラしてくる。

「真希さん。俺、真希さんしか、興味ない。

 なんで、分かってくれないの?」

少しの間が空いて、やっと上がったと思ったら、瞳に涙が浮かんでいた。

「いや、そうじゃなくて。

 ごめん。紘一と一緒に居る事を決めたよ。

 私が、決めた。

 ただ、やっぱり、私が辞めた後、会社で、紘一が、一人で、嫌な思いを

 するんじゃないかって考えるんだ。

 捉え方は、人それぞれだから。」

確かに、人それぞれだけど…。


「周りの反応は思うより厳しいわよ。」

「その人にも、覚悟はある?」


母の言葉が響く。

ああ、俺はまた、一人で突っ走ってる。

真希さんは、会社に残った俺の事を心配しているだけなのに。

真希さんの心配を、無くすにはどうする?

「ごめんね。真希さん。俺、嬉しすぎて、周りの事考えてなかった。

 でもね、俺は、何言われても気にしません。

 好きな人と、一緒に居られるんだから。

 ずっと、一緒に居られる人を手に入れた。

 だから、何言われようと、大丈夫。」

「うん。分かった。私こそ、不安にさせて、ごめんなさい。」

そう言うと、真希さんは俺の体に、ゆっくりと体を預けた。

優しく抱きしめながら、明日の土曜の予定を提案する。

「真希さん。明日、俺の実家に行きません?」

「え? いきなり?」

「はい。さっき、実家に電話しておきました。

 二人とも、楽しみにしてるって。」

「はあっ!? いや、いつの間に?

 ほんとに、こわ!」

「怖い事無いです。俺の両親に会って、少しでも安心して欲しいんです。」

「一生懸命考えてくれて、嬉しいよ。

 でも、本当に安心させたいなら、そういう事も、ちゃんと二人で決めようよ。

 私と、一緒に居るんでしょ?

 一人だけで、先に進まないで。」

真希さんの瞳が、寂しそうに滲む。

また、やってしまった。

「真希さん、ごめんなさい。これじゃあ、支えになれないですね。

 ごめんなさい。寂しくさせて。

 今から、ちゃんと話しますね。

 二人で、沢山話し合って、決めましょう。」

「おいていかないでね? 約束だよ。」

「うん、約束します。」

「約束だよ?」

「はい、約束します。」

「約束破る毎に、罰金千円ね。」

「破らないから!

 いや、はい。約束します。真希さんと、一緒に居たいから。

 愛しています。ずっと、一緒に居て下さい。」

これからも、俺が突っ走って、真希さんを悲しませてしまう事が

あるかもしれない。

そうなっても、また、こうして話し合っていこう。

何度でも、何度でも。

君と、いつまでも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君といつまでも ゆーすでん @yuusuden

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ