第2話:出発
わたしたちは看護婦なので治癒魔法は使えない。医療関係もサッパリだ。せいぜいできることは傷を縫うことと包帯を巻くこと、そして負傷者を担いでキャンプまで全速力で逃げ帰ることくらい。
わたしをはじめ、すべての部隊員が一回に運べる人数は騎士一名。鎧のない一般兵であれば最悪二人運ぶことも可能だが、これは機動力を削ぐことになるため部隊からきつく禁止されている。
第411衛生兵大隊をはじめとする戦場看護婦軍団は女性が過半数を超える特殊な部隊だ。男性は皆騎士団に所属するか、一般兵として戦場に出かけてしまった。
ああ、あとは魔法院の魔導士部隊くらい? お医者様もいるか。
「ねえリリス、
昼食の片付けをしている時、マリアが後ろから話しかけてきた。
彼女の言う『ダベンポート様』とはマリアが今ぞっこん入れ込んでいる魔法院の若い魔導士だ。まだ年若いにも関わらず、彼の戦績はずば抜けている。あれはそう、ある種の天才なんだろう。
ただ、人付き合いはとても悪い。マリアはわたしから見ても可愛らしい女性だが──茶色く長い髪をシニヨンにまとめ、大きな空色の瞳に小柄なマリアは可愛らしい。しかもわたしと違ってマリアにはちゃんと胸がある。最初は悔しかったけど、今ではもう諦めた──、マリアの猛烈なアタックにダベンポート様が眉を動かすのを見たことがない。
何か不思議なものを見たような表情で少しマリアを見つめ、そのままふいっと歩いて行ってしまう。
どうやら人間関係にはまるで興味がないみたい。
もっとも、騎士団の若手剣士であるグラムさんとは別だ。
どうやら彼らは気が合ったみたいで、いつも夕方になると駅前のパブでエールを飲みながらおしゃべりしている。
黒髪で痩せ型、長身のダベンポート様とトウモロコシ色の短髪、しかもやたらと上半身が分厚いグラムさんが何を肴に飲んでいるのかはわからないが、その時だけはダベンポート様も楽しそうだ。
「来ると思うわよ。ダベンポート様は魔法院の切り札だから」
食器を洗いながらマリアに答える。
「そっかー、じゃあおしゃれしなくちゃ!」
マリア、その発想は間違ってるわ。戦場でおしゃれしても誰も見てくれなくてよ?
ましてや、あの朴念仁のダベンポート様がそんなことで心を開くとはとても思えない。
でもマリアは一人で舞い上がるとフラフラと地下のキッチンから出て行ってしまった。
仕方がない。今日はマリアも当番のはずだけど、きっと今頃は鏡の前でああでもない、こうでもないと悩んでいることだろう。マリアが開けた穴はわたしが埋めるか。
+ + +
昼食の片付けを終え、マリアほか六人で使っている居室に戻る。トランクを取り出し、とりあえずの下着の着替えと予備の隊服、それに細々としたものをガサガサと流し込む。
どうやらマリアはまたどこかに行ってしまったらしい。部屋にマリアの姿が見当たらない。
「まったく、どこに行っちゃったのかしら?」
わたしが言うのもなんだが、マリアはおしゃれさんだ。ちゃんと自分のチャームポイントを意識しているようで、たまに大隊長が眉を顰めるようなブローチを胸元につけていたり、シニヨンをまとめるリボンの色も毎日変えている。
一方のわたしと言えばおしゃれにはまったく興味がない。下着をつけて隊服を着ればそれでおしまい。アクセサリーも持っていないし、そもそもブローチなんぞをつけていたら目立ってしまう。
戦場看護婦は敵の監視を掻い潜り、前線に突撃するのが主な任務だ。
途中で目立ってしまってはいくら戦場で隠密行動をとったところでそれがフイになる。
マリアには悪いが、わたしは同じことをする気はない。
わたしの身体はほぼ平均的だ。身長五フィート四インチ(百六十二センチ)、体重は百四十三ポンド(約六十五キロ)。
隊の仲間はみんなわたしのことを美人だというが、わたしはそうは思わない。
確かに鼻梁は細く瞳は大きい。だが、この体重が全てを台無しにしている。ウエストは二十二インチ(約五十六センチ)と細めなのに腿と上半身が重すぎる。
これはもっぱら筋肉によるものが大きい。この三年間、わたしは吐く直前までタンパク質を飽食し、一日中訓練に明け暮れている。
毎日走っているおかげでわたしの肌はほんのりと色づいている。王国はほとんど常に曇天だからと油断した。どうやら太陽の光は薄曇りの雲程度なら貫通するらしい。
髪の色は綺麗な金髪、瞳は翠。どちらも少し色が濃いが、家系だから仕方がない。これをマリアと同じくシニヨンにまとめ、看護婦帽の中に押し込んでいる。
髪の纏め方は人それぞれだ。マリアとわたしは相談して髪をシニヨンにまとめることにした。だが、わたしよりも経験の長い戦場看護婦の中には長い髪の毛を一本の三つ編みにまとめて垂らしている人もいる。ショートカットにしている人も多い。さすがに長い髪をまとめていない人はいなかったが、ポニーテールやツインテールの隊員は少なくない。
きっと彼女たちは出会いを求めているのだろう。
騎士団の若手と恋仲になればしめたもの、確実な老後が約束される。
「リリスー、準備できた〜?」
と、マリアが大きなトランクを片手にドアを開けた。
まったく、トランク持ってどこに行っていたんだろう? お風呂場だろうか?
「……マリア、まだお化粧するには早いよ」
紅を差しているマリアの唇をみて思わずつぶやく。
「そうかな〜。移動中もちゃんと誘惑しなくちゃじゃん」
「誘惑するって、誰を誘惑するつもり? 馬車にはわたしたちしか乗っていないんだよ?」
「んー、騎士団の人たちとか?」
「騎士団はもうとっくの昔に出発したわ」
「じゃあお医者さん! あ、魔導士さんたちでもいい」
「軍医さんたちはともかく、魔導士部隊は騎士団と一緒にもう出かけて行ったよ」
「ダベンポート様と同じ馬車だったらいいな〜」
「……たぶん、それはないと思うわ、マリア」
マリア、人の話聞いてる?
ああ、頭が痛い。
+ + +
わたしたちは三十台の馬車に分乗すると、一五〇〇時ちょうどに魔法院を出発した。
馬車一台につき看護婦が六人。これに雑用係が四人加わる。二百三十人の大所帯が魔法院の無骨な黒い装甲馬車に乗って移動する。
お医者様たちは専用の少し豪華な馬車に乗っていた。ただ、この馬車には手術道具等も満載されているため居住性はあまりよろしくない。
それでも軍医さんたちは文句も言わずに静かに馬車に揺られている。
このほかにキャンプ設営のための設備馬車が加わる。これは一大キャラバンだと言って良い。
馬車は魔法院の大きな門を潜ると街道へと向かった。
魔法院からはまっすぐ駅に向かって街道が伸びている。これは数年前に開通した汽車のための街道だ。
汽車のレールは
「ねえねえリリス、向こうの方から汽車が走って来るよ!」
興奮したマリアが窓の外を指差す。
確かに、地平線の彼方で黒い煙がたなびいている。
わたし自身は汽車の旅はあまり好きではない。騒がしいし煙たいし、それに何より椅子が硬い。
だから衛生兵大隊が主に馬車で移動していることを知った時にはほっとした。汽車は悪魔の乗り物だ。他の人たちは鉄道が地方都市をセントラルと繋げてくれたと喜んでいたが、わたしは馬の方がいい。
馬なら話ができるし、それに優しいもの。
隣では相変わらずマリアが騒いでいる。
(少し寝よう)
わたしは夜に備えて少し眠ることにした。
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