第四章 太母の声と人造の寵児
#1
「エルレウム、右!」
「了解っ……と、仕留めきれなかったか」
謎の男改め、ミューに別れを告げた後、俺達は遺跡の更に奥を目指して、寂れた住宅地を進むことにした。
……ら、出発早々この有り様だ。俺達を取り囲むようにして、魔神が4体、気色の悪い薄ら笑いを浮かべながら、襲いかかってきていた。
エビをそのまま巨大化したような見た目のやつと、二足歩行する巨大な蛙みたいなやつが……たった今、一体ずつ真っ二つにしたので、残りは一体ずつ。
ともかく、それぞれエルビレアとヌズマル、という名前の魔神らしい。多分、エビの方がエルビレアで、蛙がヌズマルだろう。
「回復は大丈夫だから、削ったほうに追撃よろしく!」
「頼もしいわね。それじゃ……あなたは、そこで凍っていなさい」
まだ無傷のエビに、蹴りと逆袈裟を入れる。その勢いのまま振り返ると、瀕死の蛙にルフィナが氷柱を撃ち込んでいるところだった。
コンビを組んで一ヶ月近く。そろそろ、即興での連携も上手くなってきた……と言えるのではないだろうか。
「まだやるか?……なんて、訊くだけ無駄か」
俺の問いかけに聞く耳も持たず、最後に残ったエビの一体が、両手のハサミで斬りかからんと飛びかかって来る。
それを剣で打ち払い、相手が隙を晒したところへお返しの脳天割りを叩き込むと、今度こそ動かなくなった。その意気は買うが、といったところだ。
「しかし、魔神まで巣食ってるとはなぁ……こいつらにも聞こえるのかな、イドラの声」
「さあね。聞こえたとして、ラーリスよりも信ずるに値すると判断するかどうかは、微妙なところではないかしら」
「確かに。もともと、ラーリス信徒の集まりか」
「信徒、とは違うかもしれないけれどね。こいつらの場合は」
街路に転がった、エビとカエルの死体を見下ろしながら、そんな会話をする。
通常であれば、声を聞くことができる神様は、一人につき一神だけらしい。もしも二つ以上の神の声が聞こえたのなら、その人は天界人かなにかだろう、とも言われている。
……あんまり信仰に興味がないせいで、伝聞ばっかりになるな、俺の話。
「……もしも。もしも、イドラの声が聞こえたとして。ルフィナならどうする?その声に従う気になる?」
そんな中で、ふと頭に思い浮かんだ疑問を、そのまま口にしてみる。
ルフィナはこの質問をされることを予期していたのか、殆ど間を開けずに、
「もちろん、聞く耳を持つ気はないし、アーデニ様への信仰が揺らぐこともないわね」
きっぱりと、そう答えてみせた。
「さっきも、本物の神々がどうとか言ってたよな。やっぱり、気に入らない?」
「気に入らない、と言うよりは……そうね……存在を認めたくない、が正しいかしら。暴走している、というのもあるし」
「あぁ……それは確かに」
神というのは、人々の上に立ち、人々を導くために存在しているものだ。
それが、あろうことか暴走し、世界を侵蝕している真っ最中とあれば……あまり信じる気にはなれないかもしれない。
「……あら。噂をすれば、その神殿が見えてきたわね」
ふと、ルフィナが前を向くと同時に、そう言う。視線の先には、確かに神殿があった。少し古びていて、近くに人の姿もないけど。
入口の真上に描かれているのは……つい先程も見た、あの聖印と同じ模様だ。
「遺跡中の人があの神を崇めてるからって、神殿までそこら中に作らなくても……と思うところだけど」
「そうね。ふつう、一つの街に、同じ神様の神殿が二つ以上存在することは無いかしら」
多分そうなんだろう、と思って言ってみると、ルフィナがそれを肯定するように頷いてくれた。
まぁ、そうだよな。仮に神殿を二つ作ったとして、あんまり意味がないんだから。
「イドラの場合は、さて……何か意味があるのか、それともただ単に、人々の方が一つでは足りないと思っただけなのか」
「どうだろうな。それこそ、直接訊いてみないと分からないかも」
もっとも、この神殿の中には人はいないようだし、イドラに訊いてみようとするなんて、もってのほかなんだけど。
「中を探索するのも、なんだか怖いし……ここは近寄らないでおこうか」
「そうね。イドラ関係のものを調べるなら、もう少し準備を整えておきたいし……ミューの話を、ギルドとラシェルさんに報告しておきたいところでもあるわね」
ひとまず、消耗具合や中間報告のことも考えて、今回は一度退く判断になった。
来た道を戻るために、神殿に背を向ける───
『───我が─────受───れよ』
瞬間、まるで俺達を呼び止めるかのような、誰かの声が聞こえた……気がした。
しかし、振り返っても、辺りを見回しても、誰の姿も見当たらない。もちろん、ルフィナの声という訳でもない。
「……?どうしたの?」
実際、俺の様子を不思議に思ったのか、首を傾げているところだし。
「何か聞こえた気がしたけど、罠の可能性もあるし。調べるのは今度でいいよ」
「そう?……まぁ、その辺りの判断は貴方に任せるけれど」
それこそ、その声の正体を、ラシェルさんが知っていたりとか……というのは、期待し過ぎているか?
とはいえ、訊いてみないことには始まらないか。俺達よりもこの遺跡に詳しいのは間違いないんだし。
◇ ◇ ◇
「スペリオル……確か、ルーンフォークの身体を利用しての転生技術における、プロトタイプ達の呼称だったかな」
ディガット山脈を再び登り、辿り着いたミシェルさんの小屋で、俺は静かにそう告げられた。
なるほど、プロトタイプ……ってなんだ?
「……試作モデルのことよ。分かりやすく言うなら、実験体ね」
俺が疑問符を浮かべていることに気がついたのか、ルフィナが補足してくれた。
魔動機に関する知識は本当の本当に皆無なので、とてもありがたい。
「しかし、今になっても残っているとは……遺跡が地中に埋もれてからも、転生を繰り返し続けていたのか」
「その言い方からすると、貴女があの遺跡にいた頃から、彼は存在していたので?」
「あぁ。聞いた話だと、合わせて四体のスペリオルの開発計画があったらしい」
記憶を辿っているのか、ラシェルさんはしばらく沈黙しつつ、お姉さんが淹れてくれた紅茶を口に含む。
お姉さんは、そのスペリオル……ではないのかな。そうだったなら、もう少し反応を示しそうなものだし。
「記憶の継承を目的としたのが、君たちの出会った
やがて、ラシェルさんがつらつらと、その名と性質を述べていく。
ミュー以外は、なんとも物騒な単語が入り混じっている説明だ。
「第一原質……って、賦術を学んだ時に聞いたことがあるような」
「簡単に言えば、この世に存在する物質を構成する、根源的要素だな。賦術はそれを利用したものだ。ある意味では、魔法よりも上位の技術、と呼べるか」
簡単に言えば、と言われましても。そもそもの学が足りていない俺にとって、淡々と並べられたラシェルさんの言葉を理解するのは割と不可能に近い。
「それを直接操ることができるオメガは、イドラよりも恐ろしい存在……なのかしら」
「かもしれないな。実際に完成していれば、の話だが」
「実際に……ということは、少なくとも貴女がいた頃には、オメガは存在していなかった?」
「あぁ。オメガだけは、あくまでそういった計画が存在しているのみだった。そもそも、ミューがいる時点で、転生の技術自体は完成している訳だからな。他の三人は、延長線として計画されたものでしかない」
一方ルフィナは、相変わらずこの難解極まりない会話についていけている。
これが根本的な頭の出来の違いってやつか、と一人悲しい気持ちになった。
「しかし、ミューが残っているということは……ユプシロンとシグマも、遺跡のどこかにいるのかもな。そして、イドラの存在を抹消するために動いている君たちを、敵と見做す可能性がある」
「それは……確かに、有り得ますね。ミューが敵対しなかった理由は、イドラの支配から解き放たれるためだと、本人も言っていましたから」
「他のスペリオル達も、同じ思いだと良いのだが……まぁ、期待薄かもな」
ラシェルさんが肩を竦めて、会話に一区切りつく。
とりあえず、今回の報告はこれくらい……
……いや。もう一つだけ、確認しておきたいことがあるか。
「あの……遺跡の中って、幻覚や幻聴の罠もありますよね?」
俺がそう発言すると、二人の視線───推定お姉さんのルーンフォークは、さして興味も無さそうに暖炉の火加減を調節している───が俺に向けられる。
「確かに今のところ、その手の罠には遭遇していないけれど……どうですか?」
「さてな……“魔剣の迷宮”と化している関係で、自然と罠が作り出されることもある以上、私がいた頃の記憶はあまりあてにならないが。何故そんなことを?」
「いや……今回の探索の帰り際に、なにか声のようなものが聞こえて。でも、誰の姿も見えなかったから、そういう罠かなと思って……」
……あれ。でも、思い返してみると、なんだか変だったな。
あの声は、普通に聞こえたものだと思ったけど……なんというか、耳から音が入ってきたようには感じられなかった。
まるで、頭の中に直接響いてくるような……
「……それは、どんな声で、どんな言葉を発していた?」
「はっきりとは聞こえなかったけど……たぶん、我がなんとかを受け入れろ?とか……」
俺の言葉を聞いて、またラシェルさんが考え込む。
そして、しばらくして。
「それは……イドラの格言、もとい、人々がイドラに求めた言葉かもしれない」
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