序章 暗い太陽と厳つき氷

#1

 ソレイユ生まれのナイトメアだって、なんと珍しい─────そう言って、旅の吟遊詩人が俺のことをまじまじと見つめてきたこともあったな。

 

 遠い昔の出来事を懐かしんでいるきっかけは、ついさっき……成人の儀を終えた次の月に里を出て、冒険者としての第一歩を踏み出すべく、ハーヴェスの街にある冒険者ギルド〈旅カラスの止まり木亭〉に入った時のことだ。


『お前……ナイトメアの癖に、なんか陽気というか……逆に不気味だな』


 冒険者登録手続きを終えて、さっそく仲間を見つけようと、近くにいた剣士らしき少年に声をかけたところ、怪訝な顔でそんな言葉を返されてしまったのだ。

 なるほど、明るく接すればいいというものでもないのか。ナイトメアが都会で生きていくのは難しい、と教わってはいたが、実際にその洗礼を浴びせられてみると、やはり辛いものがあるな。


「うーん……職員さん。誰かこう、ナイトメアだからって差別しなくって、俺に合いそうな人、いたりしませんか?」

「そうですねぇ……あまり多くない、というのが現実にはなりますが……」


 だが、この程度で挫けていてはやっていけない。

 気を取り直し、職員さんにそう訊ねてみると、名簿かなにかだろうか、書類を眺めながらうんうんと唸り始めた。

 おそらく、該当する人を探してくれているんだろう。その返答を待っている間に、店の中をぐるりと見回してみることにする。


 まず、俺と職員さんが今いるのが、受付のカウンターだ。出入口の両開きの扉……スイングドアと呼ばれるやつだ、それのすぐ目の前左手側にあって、俺みたいな田舎者でも迷うことなく辿り着けるようになっている。

 その反対側、右手側の壁にあるのは、求人の張り紙がいくつも張り出されている掲示板。蛮族退治とか遺跡の調査とかはもちろんのこと、力仕事とか商隊の護衛とか、一般人や傭兵なども対象となっている依頼もあるようだ。


 そこから店の奥へと進むと、いくつもの丸い木製のテーブルが並んでいて、この店に所属している冒険者なのであろう何組もの人達が、お酒や食事を楽しんでいる姿が見られる。

 リルドラケンからグラスランナーまで、多種多様な人が集まっている関係で、テーブルを囲む椅子の背丈はまちまちだ。

 俺が生まれ育ったソレイユの里には、客人なんて滅多に来なかったものだから、いつも自分よりも頭ひとつぶんくらい高い背もたれに寄っかかっていたんだよな。

 その時の感覚で背中を預けると、そのままぶっ倒れることになるかもしれないな。あるいはここでも、リルドラケンやソレイユ向けのでっかい椅子に座るべきか?


 閑話休題。その更に奥、突き当りの壁際には飲食店としてのカウンターと、薬草やポーションなんかを扱っている売店が並び、その隣には上階への階段が見える。

 外から見た時、二階と三階の窓には洗濯物と人の姿があったし、冒険者の店は、所属している人の宿舎を兼ねていることがあるらしい───というか俺はそれを目当てに来ている───ので、この店もおそらくそうなんだろう。


 以上が、〈旅カラスの止まり木亭〉の一階の光景だ。

 おおよそ里のみんなから聞いていた通りの内装に、俺はいくらか安心感を覚えることができた。知らない土地、知らない環境で生きていくとなって、不安もそれなりにあったのだ。

 同時に、出鼻を挫かれたせいで少し遅れてやってきた高揚感もある。ここから俺の修行の旅が始まるんだという、そんな感情が。


「お待たせしました。ええと……エルレウムさん、でしたね」

「……あっ、そうです。エルレウム・クルセナス。ソレイユの言葉で、青銀の十字って意味だそうです」

「素敵なお名前ですね。さて、丁度今、あなたにぴったりな方がひとり、店内にいらっしゃいまして」


 なんだか意味深な響きを感じつつも、職員さんが手で示した方向に視線をやる。

 その先……初夏の日中ということもあり、火も付いていなければ薪も焚べられていない暖炉の側には、椅子に腰掛けて編み物をしているエルフの女性がいた。


 飲んで食っての喧騒越し、かつ遠目からでも分かるくらい、綺麗な人だった。

 新緑のように鮮やかで美しい、黄緑色の長い髪と、陶器のように白い肌。伏し目の中にある紫の大きな瞳は、まるで水晶みたいに煌めいて見えて、それでいて儚げな雰囲気があった。

 黒いブラウスは、どちらかと言うと可愛い系のデザインに思えるけど、その顔立ちや雰囲気は、なんというか……そう、大人の女性。そんな言葉がぴったりだな、と思った。

 エルフはみんな容姿端麗だと聞いたから、もしかしたらただ大人っぽく見えるだけで、意外と若いのかも知れないけど。あいにく、それを見極めるだけの知識と経験は俺には備わっていない。


「彼女……ルフィナさんは、ディガット山脈の麓にある、スノウエルフの里の方だそうです。種族についての詳細はご存知ですか?」

「いえ……初めて聞きました。普通のエルフとは違うんですか?」

「はい。寒冷地で暮らすうちに、水の加護が変質していき、氷を操る力を身に着けたのが、スノウエルフのはじまりだとされています。その数はとても少なく、通常のエルフの一万分の一にも満たないとか」

「へぇ……氷の力か」


 どちらかと言うと、氷よりも雪の方が、あの人の雰囲気に合っている気がするな……いやでも、触れたら壊れてしまいそうな儚さという点においては、どちらも……


「……はっ。そうじゃなくて……彼女に、なにか問題が?」

「えぇ。少しばかり、物言いが厳しいみたいです。数日前に登録されていらっしゃるんですが、いまだにパーティを組む相手が見つからないようで」

「あらま……でも、大丈夫ですよ。俺はそういうの気にしないですし。それこそ、差別とかされない限りは」

「分かりました。では、彼女に直接声をかけて、パーティ結成を提案してみてください。ギルドとしても、一方的にそれを決定する訳には行きませんので」


 あくまで本人達の意向次第、ということなんだろうか。まあ確かに、勝手に決められた相手と一緒に、危険な仕事に取り組まされるというのは、あまり気が乗らないかもしれない。

 冒険者というのは、依頼の内容にもよるが、基本的には命の危険が伴うものだ。魔物との戦闘だけじゃない、迷宮の罠や、過酷な自然環境や天災だって、充分脅威になりうる。

 そしてそれらに直面した時に、命を預ける相手のことが信用できないようでは、そんなパーティは自然と壊滅してしまうもの───という話を、里のみんなから、耳にタコができるくらい何度も聞かされている。

 だから、仲間選びは慎重にやるんだぞ、とも。


 意を決し、職員さんにお礼を言って、彼女……ルフィナの方へと歩み寄る。

 近づいていくほど、その姿がはっきりと見えるようになってきて……思わず、息を呑んでしまった。

 里にいた女性はみんな、なんというか……豪快で快活な人ばかりだったから、こういうタイプの女性には慣れてない。

 胸の高鳴りに、高揚以外のなにかが混ざってきている感覚があった。ただの緊張によるものかもしれないけど。


 そのまま彼女の目の前へと辿り着くと、彼女は視線を、手元の編み物……ミトンだろうか、そこから上へ動かして、俺と視線を合わせてくれた。

 伏し目だったので気が付かなかったが、結構大きな瞳をしている。そのうえ綺麗なものだから、なるほど、こういうのを吸い込まれてしまいそうな瞳と表現するんだな、なんてことを思ったりした。

 ……なんで俺、こんな詩人みたいなこと考えてるんだ?あまりの緊張に、思考がちょっとおかしくなってるかも。


「……私に、何か用?」


 まじまじ、と言うかじろじろと見つめていると、やがて彼女の方から声をかけてきた。落ち着きがあって、澄んでいて、ずっと聞いていたくなるような声だ。

 小さく深呼吸して、息を整えてから、俺は言葉を返す。


「その……俺、パーティを組んでくれる人を探してて。どうかな」

「……ナイトメア、ね。大方、他に宛てがなくって、私の所に来た感じかしら」


 俺のを見た後、彼女は顔色ひとつ変えずに、なんとも返事に困る反応をした。

 いや、当たらずとも遠からず、といったところではあるんだけど……いざ言われてみると、いやあ実はそうなんですよ、とは頷きにくいな。

 なるほど、これは相手が見つからない訳だ……と、少し失礼なことを考えつつも、


「ま……まぁ、そんなところ。どうかな」

「そうね……組む前に、どんな依頼を受けるつもりなのか、訊いてもいいかしら」

「えっ。えーと……ゴブリン退治とか、猛獣退治とか……俺、地元では狩りの手伝いをやっててさ。だから、その経験が活かせるかなって───」

「なら、ごめんなさい。私、そういう野蛮な仕事に興味はないの」


 説得を試みようとしたが、敢え無く撃沈した。これは中々手強い相手だ。

 だが、ここで引き下がりたくはない。職員さんが紹介してくれたのが彼女だけだということは、現状他に人がいないということだし。


「そうだな……なら、こうしよう。先に依頼を決めててくるから、その内容を聞いて判断する。それでどう?」

「まぁ、それならいいけど……そこまでするなんて、あなたも仲間探しに苦労しているのね」


 首を傾げながらも、ひとまずは納得してくれたようだ。よし、一歩前進だな。


「じゃ、早速依頼を探してくるから。ここで待っててよ」


 そう言って、俺は入口のカウンターへと戻っていく。

 冒険者としての、そして修行の旅の始まりの第一歩は、どうにか踏み出すことができそうだ。


 ◇  ◇  ◇


「……なるほど。行方不明者の捜索、ね」

「そう。俺は斥候としての知識があるから、なにか探したり、調べたりするのは任せてくれていい。どうかな」


 カウンターでまた職員さんと話しあって、なんとか見つけてもらった物騒じゃない依頼というのが、それだった。

 ルーンフォークの村の近くで新しく見つかった遺跡に、村の子供がひとり、迷い込んでしまったそうで、その救助に向かって欲しい、という内容だ。

 それを伝えに、また彼女の元へと戻ってくると、少し考えるような素振りを見せてから、


「まぁ……それならいいかしら。魔動機文明、少し興味があるし」


 頷いて、椅子から立ち上がった。それに合わせて、首にかかっていた銀のペンダント……いや、聖印だろうか。それが揺れた。

 あまり詳しくないもので、どの神様の聖印かは分からないが、機織り機のような形の印が彫られているものだ。


「やった。それじゃ、よろしく……えーと……なんて呼んだらいい?」

「ルフィナでいいわ。貴方は?」

「俺はエルレウム。斥候以外だと、剣の腕にも自信がある。ルフィナは?」

「私は神聖魔法と、呪歌を少し。知識学もある程度、里の老人たちから叩き込まれたわ」


 言いながら、首の聖印を指でつまむようにして、俺に見せてくれる。

 楽器は見当たらないが、荷物袋の中にでもしまっているんだろう。常に出しっぱなしにしておくものでも無いと思うし。


「やっぱり聖印なんだな、それ。……どの神様の?」

「……糸織神、アーデニ様よ。あなた、もしかして神様に興味無いの?」

「そんな、ことは……ある、かも……うちの里、ティダン様とシーン様以外は、存在してないかのようなところだったから」

「どういうところよ、それ……はぁ。ひとまず、知識面では頼りにならないことは分かったわ」


 小さく溜め息を吐くと、ルフィナはそのまま、俺の横を通り過ぎた。

 聖印や、その出で立ちに気を取られていて気が付かなかったが、瞳が同じ高さにあるということは、俺と背丈が殆ど変わらないらしい。

 これもまた、新鮮な感覚だ。里の女性はみんな、少し首を上に向けないと、目線が合わなかったのに。


「……なに突っ立ってるの。行くんでしょう、行方不明者捜し」

「あ……あぁ。そうだな、早いほうがいいかも」


 でも、引っ張られながら生きていくことになるのは、ここでも変わらなさそうだ。

 置き去りにされる前に、振り返ったルフィナの隣まで駆けて、俺達二人は、依頼人が待つ遺跡近くの村へと向かうことにしたのだった。

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