第7話 魔女の娘(3)


「――起きな」


 灯りを持って入ってきた魔女に、レベッカは目を擦りながら起き上がる。


「なぁに」

「出かけるよ」

「こんな夜更けに? アリスはいいの?」


 レベッカは隣で寝ているアリスを見た。こんなに話していても、起きる様子がない。


「その子は一度寝たら起きないんだ。もし起きたとしても、書き置きをしていくから大丈夫だよ」


 レベッカは心配そうにアリスを見てから、優しく頭を撫でる。


「アリス。アタシたちは少し外に出るからね。アンタが起きるころには戻ってくるよ」


 魔女は寝ているアリスにそれだけ言った。アリスは口を少し動かすだけで、目を開けなかった。レベッカは言われるままに一枚羽織ると、魔女と一緒に外に出た。


 冷たい空気に体を震わせると、魔女が手を差し出す。


「これに乗るよ」


 箒にまたがる魔女を見て、レベッカは小さく笑う。


「ふふふっ。夜の空の散歩。久しぶりね」


 箒に乗ると、ふわりと浮かび上がる。木よりも高く浮かぶと、辺りがよく見えた。地面にあるものが小さくなっていき、レベッカが住んでいる街が目に入る。暗くとも、灯りをともしている街はここからもよく見えた。


「綺麗ね……。こんな高いところに来るのは久しぶり」

「人間は空を飛べないからね。不便だろうよ」


 魔女の言葉にレベッカは「あら」と返す。


「馬には乗れるわよ。一人で自由にどこにでも行けるわ」

「だからといって、婦人がズボンを穿いて馬を乗り回すんじゃないよ。アンタの旦那が可哀想だ」

「理解のある旦那だから、大丈夫よ」


 自信満々に言う彼女に、魔女は「やれやれ」と息を吐く。


 連れてきたのは、小さな丘だった。星空を見上げながら、地面に腰を下ろす。

 魔女はカバンからポットとカップを取り出した。カップにミルクを注ぐと、まるで温めたばかりのように湯気が立つ。

 レベッカは魔女からカップを受け取ると、「ふふふっ」と笑った。


「私が眠れないとき、母さんはいつも連れ出してくれたわよね。こうやって温かなミルクをお供にしておしゃべりしたの、よく覚えているわ」

「さあ、どうだったかな」


 とぼけた振りをする魔女にレベッカは笑みを浮かべる。カップを見つめながら、レベッカは言葉を漏らす。


「……ねえ、母さん」

「何だい?」

「私はね、まだ自分は母さんの子だと思っているの。家を出た身だけれど、あの家はまだ私の居場所のひとつなんだって、そう思っているのよ」


 魔女はレベッカの方を見ない。星空を見上げながら口を開いた。


「アンタはアタシと関わらない方がいいのさ」

「どうして?」

「……魔女狩りを知っているだろう?」


 レベッカは魔女の言葉を聞いて、カップを置いた。


「話は聞いたことあるわよ。魔女だというだけで処刑されるのよね。今はかなり落ち着いたけど、なくなったわけじゃないもの」

「そうさ。だから、魔女の関係者だって知られない方がいい。アンタだって、ここで暮らしていたことを隠しているんだろう?」


 レベッカは不満そうな顔をして「そうよ」と声を荒げた。


「そうしろって旦那に言われているのよ。商人の息子としてこの家を出入りしていたくせに。私がこの家のことをどれだけ大切にしていたか、わかってて言っているのよ……本当は納得してないわ」

「わかっててもそれを言わなければいけないほどに、魔女と関わりがあることを知られるのは危ないってことだ。アンタの旦那が正しいね。魔女の関係者だって知られたら、アンタが魔女だって疑われる可能性だってあるんだからね。……あの小僧にアンタを預けて正解だったよ」


 魔女はレベッカの方を見る。魔女の表情は柔らかかった。


「この国の人間は血のつながりを大切にする。けれど、アンタとアタシには血のつながりがない。なら、アタシと関わる必要なんてないんだ」


 レベッカは膝を抱えて黙り込んだ。その顔は拗ねた子どものようだった。


「……ねぇ、聞いてもいい?」

「何だい?」

「どうして血のつながりのない私を育てようと思ったの?」


 魔女は一度口を閉じる。少し考えるようにしてカップのミルクを飲むと、大きな月を見上げた。


「……昔、アタシを拾った紳士がいてね」


 魔女はぽつりと話しはじめる。


「魔女狩りで家族を処刑されたアタシをあの家で育て上げたんだ。アタシにとっては親のような兄のような存在だったよ」

「初めて聞いた」

「そりゃ、話してないからね。その人は魔女狩りで婚約者を失った。魔女だと疑われたのさ。人間なのに裁判にかけられて、処刑された。本当なら、原因となった魔女を憎んでいるはずなんだ。なのに、アタシを拾った」


 魔女は少し口籠ると、小さく言った。


「……知りたかったのさ。自分とは違う種族の生き物を育てる気持ちを」


 魔女は娘の方を見ようとしない。娘は「それで」と口を開く。


「人間を育てて、どう思ったの?」

「大変だったよ。泣く、喚く、言うことを聞かない。人間はやっぱり恐ろしい生き物だと思ったね」

「子どもなんて、そんなものでしょ?」

「あのときはずっとこんな日が続くのかと思えたけど……想像していたよりもすぐに人間は自立するもんだね」


 魔女は娘の顔を見ないまま言う。


「……自分の娘がこうやって大きくなってくれたのは、嫌な気持ちじゃないよ」


 魔女の表情は見えない。見せたくないのだろう。レベッカは笑みをこぼした。


「……そう」


 二人はそれ以上話さないまま、星空を見上げていた。


 箒に乗って、灯りの家に戻ってきた。家に入る前に魔女が小さな声で言う。


「……あの子の親を探してくれないか」

「アリスの?」

「ああ。拾ったばかりのあの子の手は労働を知らないように綺麗なものだった。お金のある商人の子の可能性が高い。アンタならつながりがあるだろう?」


 魔女の言葉にレベッカは考えこむ。


「人攫いに連れていかれた子はたまに聞くけど……見つかるかどうかわからないわ」

「わかる範囲でいい。もし返せるのなら、あの子には普通の幸せな家庭に戻ってほしいからね」


 用件は終わったとばかりに、魔女は扉を開けて家に入っていく。そんな彼女の背中にレベッカは言った。


「私はこの家で過ごせて、とても幸せだったわよ」


 魔女はその言葉に振り返らなかった。


 居間では、アリスが目を擦りながら朝食の準備をしていた。書き置きをちゃんと読んだようで、不安の表情が見えない。


「アタシは薬の仕上げをするよ」


 朝食を終えて、魔女はすぐに席を外した。レベッカは後片付けをするアリスに話しかける。


「私、まだ母さんの娘だったみたい」


 集中しているようで、アリスはレベッカの方を見ない。


「アリス、ありがとうね」


 アリスはぴくりと体を震わせる。けれど、すぐに後片付けを続けた。




 昼前になると、一台の荷馬車が家の前に着いていた。薬を受け取りに来たのだ。


 馬から降りてきたのは、身なりの良い少年だった。レベッカとよく似た金色の髪を持っており、十代半ばほどに見える。少年はレベッカを見るなり溜息を吐いた。


「母さん。突然予定を変えるものじゃないよ。父さんが『母さんを怒らせたんじゃないか』って、すごく不安がって……」


 少年はふいにアリスに視線を向けた。不思議そうに彼女を見つめると首を傾げる。


「あれ、この子……隠し子?」


 魔女の方を見て尋ねる。魔女はふんと鼻を鳴らす。


「アンタら、本当にそっくりな親子だね」


 呆れる魔女を尻目に、少年はアリスに手を差し出す。


「僕の名前はエリック。レベッカの息子だよ」


 アリスはエリックに手を差し出して握手をした。


「その子の名前はアリスよ。言葉は話せないけど、とても良い子よ」


 レベッカの言葉にエリックは気にした様子もなく微笑む。


「そうなんだ。よろしくね、アリス」


 使用人に薬を積ませると、レベッカはアリスの方に来た。


「ねえ、アリス。あの人を母さんと呼んでみたらどうかしら? きっと喜ぶと思うの」


 アリスは少し考えた様子を見せると首を横に振った。


「あら、どうして?」


 その問いにアリスは微笑む。レベッカは彼女の様子を見て「そう」と答えた。


「きっとあなたのことだから、何か考えがあるのね」


 荷物がすべて積まれたと聞き、レベッカはアリスに手を振る。


「また、話を聞かせてね」


 二人が荷馬車に乗って去っていく。魔女を盗み見れば、彼女は優しそうな表情で離れていく荷馬車を見ていた。



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