灯りの家へおかえり。-ある日、魔女は少女を拾った-
虎依カケル
第1話 魔女と少女(1)
――この森には魔女がいるそうだ。
男の言葉に、少女はゆっくりと顔を上げた。ガタガタと揺れる荷台の上で、少女は短く暗い色の髪を耳にかけて、壁に耳を当てる。
「何言ってんだよ。魔女狩りで魔女は全部死んだはずだろ?」
壁の向こうには二人の男がいた。先に口を開いた男に、もう一人の男が怯えを含んだ声で尋ねる。
「すべての魔女が死んだわけじゃないからな。近くの村の人間はこの森に近づかない」
「どうして?」
男は固い声で答える。
「その魔女は人間を食べてしまうからだ」
「…………」
「ここは危ない。だから、人の目にもつかない。早く抜けるのが得策だ」
壁の向こうに男たちが黙る。少女は壁から耳を離すと、耳にかけていた短い髪がぱさりと頬に落ちた。彼らに気づかれないようにそっと立ち上がる。
周りにいる子どもたちは顔を上げることもしない。みんな、少女と同じようにボロボロの服を着ている。身を抱えるようにうずくまったまま、寒さに耐えていた。
少女はバランスを取りながら荷台の入り口へ歩く。そこから顔を出せば、荷馬車はすごい速さで森の中を走っていた。ここから落ちたら、ケガだけでは済まないだろう。
少女は振り向いて、子どもたちの方を見た。こちらを見ない彼らに手を振る。一人の子どもが顔を上げた。
虚ろな瞳が少女を映す。その瞳に映る自分は笑っているように見えた。
「…………っ」
荷台から飛び降りた。
肩を地面に打ち付けて、息が止まる。軽い身体が地面に転がり、小石で肌を切る。
音に気付いたのか、馬を操っていた男が「何だぁ?」と声を上げた。痛む身体を起こして、急いで太い木の幹の後ろに身を隠す。
息をひそめて様子を窺うと、二人の男が馬を止めて、荷台の後ろを見に来た。
「なんだ、何もないじゃないか」
「子どもの数は? 減ってないか?」
「それよりも早く行こうぜ。魔女が来たらまずいだろ」
そう言って、前へ戻っていく。荷馬車が離れていくのを確認すると、少女はゆっくりと立ち上がった。痛みに顔を歪める。それでも少女は暗い森の奥へと歩きだした。
冷たい風が擦りむいた頬を撫でる。木の葉は地面に落ち、木々は枝だけが残っている。人のいない森は静かで、まるで一人の世界に迷い込んでしまったように感じられる。それなのに、どこからか見られているような恐ろしさを覚えた。
少女は一歩、また一歩と歩いていたが、ふいに力が抜けて座り込んだ。木の下でうずくまり、身を縮める。ボロボロの服では寒さを到底しのげない。
少女は声を出そうとした。
痛い。
そう言いたかったのに、喉を震わせることができなかった。
お腹が空いた。痛い。寒い。眠い。
目がとろんとしてくる。どうして眠いんだろうと思った。
けれど、どうでもよかった。とても心地いい。
そのまま眠ってしまおうかと思った。いい夢を見られる気がした。膝を抱えなおして、ゆっくりと目を閉じる。
「――アンタ、ここで何しているんだい?」
誰かの声が聞こえた。
少女は瞼を持ち上げて、目だけで声のする方を見る。
「死ぬつもりかい?」
自分の顔を覗き込んできたのはローブを深く被り、顔が皺だらけのお婆さんだった。
「またやってしまったよ」
魔女は大きな溜息を吐いた。
木の椅子に腰を下ろして、一つの扉に目をやる。その扉の向こうには、人間の少女が眠っている。さきほど拾ってきた少女だ。
彼女は十歳に満たない見た目をしていた。そして、あの格好を見る限り、おそらく近くの村の娘ではない。
着ている服も村の子どもが着ているものよりも粗末なものだった。暗い色の髪は粗雑に切られている。この国では女性は髪を長く伸ばす習慣がある。だから、本当ならあの年頃の子はもう少し長い髪をしているはずだ。肌は青白く、日に焼けた様子もない。細い手足から見るに、もう何日も食べ物を食べていないような痩せ方をしていた。
そもそも村の人間なら、この家に近づかない。ここのところは豊作で食べ物に困っている様子もないから、労働力にもなる子どもを捨てる理由がなかった。
「……どこから来たんだろうね」
街からは少し距離がある。子どもの足で歩いてくることは難しい。ならば、異教徒に誘拐された子どもだろうか?
魔女はもう一度扉に目を向けると、また大きな溜息を吐く。
「それにしても、何でもかんでも拾うのは私の悪い癖だね」
視線を下に向けると、黒い猫が大きな瞳でこちらを見ていた。自分のことを話しているのだとわかったのか、「にゃー」と返事をした。
黒猫は魔女の横をすり抜けると、少女がいる部屋の前に立つ。部屋から物音がした。起きたのだろう。
魔女は立ち上がると、猫を抱き上げて退かした。黒猫が「……にゃお」と不本意そうに鳴く。魔女はそれを無視して寝室に入った。
「…………」
少女は布団を身体に巻き付けて、小さく縮こまっていた。警戒した様子で魔女を睨んでいる。
「調子はどうだい?」
魔女の問いに少女は返事をしない。魔女は気にした様子もなく、少女に近づく。少女はビクリと身体を震わせた。魔女はそれを横目に見ながら、彼女の近くのテーブルに水差しとコップを置く。
「とりあえず、水は飲んでおきな。落ち着いたらこの部屋から出て来るんだよ」
魔女はそれだけ言うと、部屋を出た。
「さあて、どうするかねぇ」
簡単には部屋を出て来ないだろう。だが、ずっと閉じこもっているわけにもいかないだろう。
「まったく、人間は嫌いだっていうのに」
口では言いながらも、魔女は心配そうな目で少女のいる寝室に見た。
魔女が長年住んでいる家は人から譲ってもらったものだ。
小さいながらも、森の奥に建っているにしてはレンガ造りの立派な家だ。いくつか部屋があり、食事を作り食べる居間、薬を作る調合室、そして寝室が二つがある。今、その寝室の一つに人間の少女がいる。
普段ならば魔女はもう一つの寝室で眠るが、その夜は居間で過ごした。少女がいつ部屋から出てきても対応できるようにするためだ。
炉に薪を入れ、部屋を暖める。「ふぅ」と息を吐き、椅子に深く腰を掛けて火を眺めた。
誰かがいる夜は久しぶりだった。自分が招き入れたくせに、この家に知らない人がいるのは妙に落ち着かない。けれど嫌ではなかった。
ガリガリと扉を引っかく音がした。少女がいる部屋から聞こえる。
「猫が入り込んでいたのかね」
魔女は腰を上げると、少女のいる寝室の扉を開ける。
「にゃあ」
黒猫の黄色い瞳が魔女を見上げる。
「やっぱりいたのかい」
黄色い瞳は魔女を見たあと、部屋の奥へと向いた。その視線を追うと、ベッドには誰もおらず、窓が開いていた。
「……逃げたのか」
魔女は息を吐きながら、肩をすくめる。
「なら、もう寝ようかね」
窓を閉めて部屋を出ようとする。黒猫は窓をじっと眺めたまま、動こうとしなかった。
「ほら。おまえもそこから出ないと閉じ込めてしまうよ」
黒猫は魔女を見上げた。何か言いたげな瞳に魔女は顔をしかめる。
「何が言いたいんだい」
「にゃあ」
「アタシにあの子を探せっていうのかい?」
「にゃあ」
「嫌だよ。どうしてアタシが人間の面倒を見なきゃいけないんだ」
「にゃあ」
「…………」
「にゃあ」
黒猫は立ち上がると、魔女の足元をすり抜けて、玄関の方へと歩いていく。
「……まったく」
魔女は黒猫のあとをついていくと、玄関を開けた。
「……今日は眠れそうにないから、散歩でも行こうかね」
その言葉を聞いて、黒猫は高い声で鳴いた。
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