都会に疲れた社畜はスローライフを望んでいる

結城暁

第1話:一日目

 今日も日付の変わる寸前の電車に乗り込み、アパートに帰り着いたはま壊人かいとは濃い隈のこびりついた眼を瞬かせた。家賃三万のボロアパートのポストにチラシが入っている。


『移住者大歓迎! 今なら住居をご用意! 家賃タダ! 先着順!』


 至極分かり易い謳い文句に久しく感じていなかった脳内のシナプスが弾ける感覚を味わった。移住先は聞いたことのない村で、掲載されている写真はどう見ても過疎化の進む田舎だった。

 これだ。自分はこれを求めていたのだ。


「そうだ、田舎へ行こう」


 そのまま連日の勤務と残業で鈍くなっていた頭と勢いで、壊人は退職届を書き上げ、チラシに付随している移住希望者の欄を埋めていく。

 二通の封筒に切手を貼ってポストに投函すると満足したように肯き、アパートに戻ってから死んだように眠った。

 ──なので、家賃タダの下に小さく描かれた※条件ありの文字には気付かなかった。



 それから一ヶ月。

 壊人は念願の田舎にいた。

 移住先の人身ひとみ地区の御供おとも村は壊人の故郷によく似た自然の多い村で、壊人は懐かしい思いで胸がいっぱいになっていた。

 退職を決めてから今まで元勤務先から溜まりに溜まった有給や時間外労働費をぶん取ったり、会社のブラックさを労働基準局に報告しチクったりと忙しかったが、ようやくゆっくりとした日々を遅れるのだ。荷物が少なかったとはいえ、荷解きも一時間で終える気合いの入り様である。

 引越し蕎麦を手土産に、村長の烏山うさん久才蔵くさいぞうに挨拶に行く足取りも軽いというものだ。


「おはようございます、烏山さん。移住してきた浜壊人です。今日からお世話になります、よろしくお願いします」

「やあやあこれはご丁寧に、こちらこそよろしく。話は聞いているよ、浜さん。この度はおめでとうございます。

 もう荷解きが終わったのかい、早かったね。ついでに今日の掃除も済ませておきなよ」

「? 家の掃除ならざっと済ませましたけど……」

「神社の掃除だよ」


 烏山はチラシを壊人に見せた。壊人のアパートのポストに入っていた移住者募集のチラシだ。


「ほら、ここ」


 烏山がチラシを指差す。よくよく見てみると、家賃タダ! の下に小さく※条件ありと書かれている。


「住居契約の時に説明があったと思うんだけど……」

「すみません、署名するのに必死でぜんぜん説明を聞いてませんでした」

「ええ……、そんな曇りのないまなこで……。ま、まあ、ここに書いてある条件というのが神社の掃除なんだ。浜さんの家の隣に林があるだろう、そこに神社があるんだ」


 言いながら歩き出す烏山に壊人もついていく。

 壊人のすむ家の隣にある林は朝だというのに薄暗い。間伐も必要かもしれない、と冷えた空気の中で壊人脳内メモをした。

 林の中を少し歩くと小さな神社が姿を現した。最低限の手入れはされているようだが、神主はいないようで、寂れている。


「この神社の掃除を一日一回、それが家賃を無料にする条件だよ。境内を掃いてくれればいいから」


 掃除用具の置き場所とゴミ捨て場を教えて烏山は帰っていった。それを見送り、壊人は気合を入れる。


「よし、やるか!」


 掃除が苦になるという人もいるが、壊人は嫌いではない。むしろ得意だった。

 一日一回、境内の落ち葉を掃いてゴミ袋に詰めるくらい朝めしまえだ。

 手早く境内を掃き終え、まとめたゴミ袋をゴミステーションに置いてから家に帰ると玄関にどんぐりが落ちていた。

 リスか狸の仕業だろう、と壊人はちりとりに集めて庭に備え付けられていた焼却炉に捨てておいた。山がすぐ近くだから野生動物が下りてくるのだろう。

 もしかしてトト□の仕業だったりして、とほんわかしながらその日は眠りについた。

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