ありがとうの仲介人 作:F=kd

「すみません、これ自分のじゃないんですけど、明らかに誰か忘れているかなって感じの腕時計が落ちていて、ここで預かってもらえますか?」

 大学生くらいの年齢だろう、背のすらっと高く前髪をワックスで掻きあげ、黒の襟のついたすらっとしたシルエットを演出する黒色のコートを着た男性が、スケルトンの腕時計をデスクの上に差し出した。

「はい、落とし物という風に処理をさせていただくということでよろしいでしょうか」

 私はデスクを向かいに従業員専用のスペースからこう対応した。

「そうしていただけるとありがたいです」

「では、見つけた時の状況などを訊くことになっておりますので、少しお時間いただいてもよろしいですか?」

「あ、わかりました」

「ご協力ありがとうございます」

 私はデスクの下から質問紙を取り出し、見つけた場所や時間帯を訊いた。それを記入したのちに、

「わざわざお届けいただきありがとうございます」

と誰目線かわからない言葉を連ねた。


「さすがに、持ち主は現れそうだな」

 思わず、こう独り言をつぶやいていた。


 落とし物は届けてくれる人たちが、善意で行ってくれてはいるものの、受け取り手が見つかるかどうかは怪しいところではある。事実、ありふれた廉価版腕時計の落とし物を受け取った時には、また廃棄処分かと肩を落とした。落とし物センターに届くものは、普通の傘や安っぽい手袋から、スマートフォンやキャリーケースまで、様々だ。しかし、その多くは受け取り手が見つからず処分されてしまう。キャリーケースが処分期日を過ぎた時には少し抵抗があったが、だからと言ってずっと預かっておくわけにもいかない。落とし物センターは荷物を保有するためのロッカールームではないのだ。


 あわただしく落とし物センターにひとりの男が入ってきた。財布を落としたらしい。いつ頃落としたかを隣の担当員が訊き、それに対して懸命に藁にも縋る思いで答えていたが、私は男のほしい回答に望みが薄いことを知っていた。今日、届けられた財布は私の記憶している限りなかった。それに、中に入っているお金は幸福の対象としてみんながみんな欲しがるものだ。財布自体が見つかったとしても、中身がすべて残っている可能性は低い。

 財布が届いてないことが伝わったらしい。その男は、どうして落とし物に届いていないのかが理解できない様子で、落とし物を見つけたらここに持ってくるのが道理だろう、と、職員をひどい剣幕でまくしたてていた。そうは言われても、届けてくれる人がいなければ、こちらとしても頭を下げるのが関の山だ。

「使えねぇな」

と捨て台詞を吐いて、大股で落とし物センターを出ていった。

「お力になれず、申し訳ございません」

 この言葉はマニュアルに書いてある。一番最初に言い慣れる言葉だ。

 だけど、言葉とは裏腹に、さっきの男の落とし物がどうか見つかりませんように、だなんて思ってしまう。多分あの男は、拾った人がいてもその人に感謝することはなく当然のことだと思うんだろうし、落とし物を見つけても、きっと見て見ぬふりをするんだろうなんて、心の中で舌打ちした。もちろん、ただの憶測にしかすぎないことではある。

 そんなことだからメンタルが持たないのだろう。おおよそ落とし物を確認しに来る人が正の感情をもっているわけがない。ものがなくなっていて、なおかつ大切な物を探しに来るのだから、なくしてしまった焦りと不安によって心臓の鼓動は浸食される。他人に対しての態度はいつもよりも攻撃的になるのは明らかなことなのに、受け流せず、愚直にいら立ってしまうのだった。


 もうすぐで昼休憩に入りそうだと、右腕につけた腕時計をちらりと確認した。今日も持ち主の見つからないものばかりが届けられている。朝、一番最初に届けられた、スケルトンの腕時計を思い出した。軽く見積もっても五十万円はくだらないだろう。売ったらいくらになるだろう。きっと何回もおいしいご飯が食べられるような額になるかもしれない。そう思えば、あの青年はよくやったと思う。拾ったものを勝手に自分のものにしてもよいのだ。それを適当に法螺を吹いて質屋に売り出せば、お金が手に入っただろうに、よくぞ、届けてくれたものだ。誰かに気づかれる道理などほとんどない。それから、いくら反論されようが、落とした方に責任があるのだ。わざわざ届けてくれるあの青年にこそ、その幸せを分け与えたいと思った。


「すみません、腕時計を落としたのですが、届いてないですか?」

 茶色のシルクハットをかぶり、黒で縁取られた眼鏡をかけ、きれいに整えられた髪の毛には少し白髪の混ざっている、いかにも老伯爵の名が似合いそうな男性がひとり、落とし物センターへと現れた。シャツの上にセーターを着ていて、右肩にかけていたショルダーバッグは革で出来ているようだ。

「現在、こちらでは複数の腕時計を保管しております。どのような腕時計か、いつごろから紛失されたかなどをお聞きしてもよろしいでしょうか」

 私はデスクの下から専用の紙を取り出し、そこに必要事項を記入した。

「すみません、ありがとうございます」

 老伯爵は丁寧にお辞儀をした。

「どのような腕時計でしょうか? 何か特徴があれば教えてください」

「特徴ですか……。そうですね、古くて普通の腕時計です。もう三十年くらい、電池を替えながら使っていますから」

「なるほど、わかりました。では、次の質問です。いつどこで、なくなっていることに気付きましたか?」

 私はその後もいくつかの質問を続けた。その質問に、その老伯爵は丁寧に一つひとつ答えた。

「現在保管している中に候補となるものがありますので、すぐにお持ちします」

「よろしくお願いします」

 また老伯爵は丁寧に会釈した

 ようやく、持ち主へ落とし物が返せると思い、ほっとした。今日は朝から一つも返していなかったのだ。三十年も大事に使っているのだから、相当大事にしてきたのだろう、と、スケルトンの高級腕時計を手に取った。綺麗すぎるかもしれなかったが、あの老伯爵なら三十年という長い時間でも、きれいに使い続けることができるらしい。普通の腕時計というあたりも謙虚さがにじみ出ていて、やはり格の違いというものを感じさせる。感心せざるを得なかった。一応、事務所には腕時計の落とし物があと六点ほどあることは確認してデスクに戻った。

「すみません。お待たせしました。こちらの腕時計で間違いなかったでしょうか?」

 私はスケルトンの腕時計を白い手袋をつけて老伯爵のもとへ差し出した。

「はぁ」

 老伯爵は首をかしげて、唸った。そして、

「私が探しているのはこの時計ではないです」と首を振った。

「そう、ですか……」

 私は文字通り、肩を落とした。このスケルトンの腕時計の持ち主が老伯爵であることにいつの間にか期待していた節があったのだ。きっと老伯爵の身振りに似合うと思った。期待の高さからか、ぶつけるべきものがなくなってすかされた、空虚感が私の心を支配した。


 この老伯爵はきっといろんなところを丁寧に回っていたのだろう。昨日の夜に腕時計がないことに気付いたそうだ。それでも、焦りと不安がありながらも、冷静に応対してくれた。きっとこんなリスペクトがある人にこそ落とし物が見つかるべきだろう、と心から思った。そして、久しぶりに、心から、言い慣れた言葉を口にしようとした。その時、かぶせるようにして老伯爵が言葉を発した。


「この形の時計なんですけれど、やっぱりないですかね」

 老伯爵がスマートフォンの画面を差し出した。そこに映し出されていたのは、白の下地に黒の文字が書かれているシンプルな腕時計だった。

「えっ?」

 思わず拍子抜けした声が飛び出た。

「このCASIOのスタンダードのものを探しているんです」

 老伯爵がまた丁寧に問う。

「昨日から探しているんです。昨日の分も見せていただけると嬉しいです」

「このモデルなら、確かに事務所にあるような気がします。少しお待ちください、確認してきます」


 私は急いで事務所に戻り、机の上にあった写真と似たモデルの腕時計があることを確認した。昨日の午後六時に見つかったという旨のシールが貼ってあった。そして、それを手に取ると、飛んで帰った。


「もしかしたら、こちらじゃないでしょうか」

 私は、乱れた髪を少し気にしながら言った。老伯爵は腕時計の裏側を見た。そして、

「あぁ! これです。ずっと探しててもうなくなってしまったと思っていたら。ありがとうございます」

 まるで涙を流すかのように感極まった声で、ほほを紅潮させた。

「見つかってよかったですね」

 私も、久しぶりに良い仕事をしたと思った。

「そうだ、ちょっと時間いいかい?」

「どうしました?」

「ほら、この裏側に私の名前が書いてあるんです。これは息子からもらったものでね」

「息子さんからですか」

「ちょうど、小学校五年のころだったかな。私が家内と一緒にカタログを見てたんだよ。そろそろ新しい時計が欲しいな、なんて言いながら。そしたら、ちょうど私の誕生日にね。私の息子がプレゼントしてきたんだよ。この時計を」

「へえ」

「それでさ、それで、私はお小遣いをその当時、月に五百円渡していたんだよ。だから、この時計は少なくとも半年の間、貯めてたお金で買ったことになるんだ。だから、五百円玉を六枚くらい握りしめて行ったんだと思う。月に五百円なんてさ、使おうと思えば一瞬でなくなるじゃない? だから、どうして私にこんなものを、と言ったんだ。そしたら、何て言ったと思う?」

「さあ」

「おとうさんがつけたらかっこいいと思ったからって言われたんだ。それから、いつもありがとうって。もう本当にうれしくてね。その時に思ったんだよ、あぁ、一生大事にしようって」

「いい話ですね」

「まあ、自慢話の一つだ。いい息子を持ててうれしく思うよ。でも、だからこそ、なくした時は焦った。どこを探し回っても見つからないんだから。本当に最後の希望だったんだ」

「ははあ」

 老伯爵はひとつ、呼吸した。

「ありがとう。助かったよ。それから、長話にも付き合ってくれてありがとう」

「いえ、とんでもない。いい話を聞かせてもらいました」

「辛いと思うけれど、頑張ってくださいね。あなたには感謝しています。ありがとう」

 そう言って老伯爵は落とし物センターを後にした。

 感謝するべき相手は私ではない気がしたが、少しうれしくなった。私はありがとうの仲介人をやっているのかもしれないと思った。


 帰っていく上機嫌な老伯爵を眺めていると、先輩から業務の休憩に入れという指示を受けた。事務所に戻ると、そこにはスケルトンの高級腕時計があった。ここにあるいろんなものはそれぞれに価値があるものだと考えだすと、面白くなってきた。

 きっとあの老伯爵が、スケルトンの高級腕時計を、これが落としたものだと言ったならば、私は渡していたかもしれない。あれだけ価値の高いものを間違って渡していたかもしれないのだ。

「どれほどの価値があるだろうか」

 私はひとつ、ぽつりとつぶやいて、昼休憩のためにバックヤードへと向かった。

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