第26頁 浮遊する記憶




 2人は、「それもそうか」と言いながら、何処か腑に落ちないと言いたげな顔で俺を見た。




「まぁ、頑張ったのは智翠だ。あとは、課題の提出期限、守れよ?」

「はいはい、分かりましたよ〜」





 前センは、俺のいい加減な返事を聞くと、何処かへ行ってしまった。






 食堂で昼食を取ると、谷は部活があると言って、部室へと行ってしまった。俺も特に用がないので、真っ直ぐ家に帰る事にした。


 家の前に着いた時、茜祢が自室の窓を開けて、外へ顔を出した。



「茜祢ー」



 声を掛けると、茜祢はすぐに俺を見つけた。




「おかえり」

「ただいま」





 図書室で、俺が蒼唯あおいのふりをして高橋さんと話しているのを聞かれて以来、茜祢と俺の間で、その件について話題に上がる事は、一切無かった。茜祢も態々尋ねて来ないし、それでも全く影響が無いと言い切れないのは、最近茜祢あいつに避けられている気がするからだ。茜祢が何も言ってこない以上、突くのは藪蛇って奴だとは分かっているのだが、もう俺の方が限界で、何でもいいから言い訳をさせて欲しかった。茜祢が他所で吹聴するとは思っていないけれど、今のような宙ぶらりんな状態は、時限爆弾を抱えているようで、体にも精神にも悪い。




「あのさ、ちょっと付き合って欲しいんだけど」

「……」

「話をさせて欲しいんだよね。この前の……」




 茜祢は一度考えるように視線を泳がせてから、家の中を振り返り、こちらへ視線を戻した。




「……今、家に誰もいないよ」

「んー。じゃあ、そっちの部屋に行くね」





 茜祢が窓から出していた顔を部屋の中へ戻すのを確認して、俺も家へ入った。



 家の中はシーンと静まり返っていて、もんもんと暑かった。どうやらリビングのエアコンは切ってあるらしい。少し悩んだけれど、結局冷房は点けずに2階へと上がった。

 茜祢の部屋のドアをコンコンとノックすると、中から「どうぞ」と声がした。茜祢は、勉強机の椅子に腰掛けて、俺を待っていた。俺は茜祢の前まで歩いて行って、正面から向き直る。




「鞄くらい、置いてから来ればよかったのに」

「え? あ、あぁ」




 スクール鞄も何もかも、外から帰ってきた状態のまま、茜祢の部屋へ押しかけていた俺は、改めて指摘されて、若干気まずさを感じた。



「じゃあ、置いてこようかな……」

「うん」




 部屋自体はすぐ隣なので、廊下から自室へ鞄を投げ入れて、さっさか茜祢の部屋へと戻った。茜祢は、微動だにしていなくて、その静かな佇まいに緊張が煽られる。





「座らないの?」

「あー……座る」




 促されて、茜祢と向かい合うように床に胡座をかいて座った。そうすると茜祢を見上げる形になって、叱られているような気分になった。

 茜祢のベッドに座らなかったのも、何処か負目のような物のせいな気がする。

 


 茜祢は、俺が話を切り出すのを待っているようだった。じっと此方を見つめて黙っている。暫くの沈黙の後、俺はごくりと生唾を飲み込んだ。





「この前の事……言い訳させて欲しくて」

「何も聞いてないし、責めた覚えもないんだけど」

「分かってるよ。でも俺が話したくて」

「……分かった」





 茜祢が頷くのを見て、俺は深呼吸を一つした。腹を据えて、一思いに言ってしまおうと茜祢を見つめ返した。





「実は……俺、本が好きなの」

「……うん」





 突然の告白に面食らったとでも言いた気な……そんなキョトリとした表情で、何拍か後に茜祢は頷いた。




「読書が好きなの。漫画とかじゃなくて」

「うん」

「本当に大好きなんだけど、それが恥ずかしくて……」

「恥ずかしいって、なんで?」

「キャラじゃないって言うか……」

「……まぁ、確かに意外だったけど」




 その言葉に、やっぱりかと思って、喉から苦味が広がって行く気がする。まるでそれを察したかの様に茜祢が続けた。





「意外だったのは、そんな素振りを見せないからだけど。つか、キャラって何?」

「えーと……お馬鹿系?」

「お勉強出来なきゃ、本を読んじゃいけないの?」

「そうは思ってないけど……」

「思ってるんでしょ? 恥ずかしいって、そういう事でしょう」




 茜祢は、表情を変えずに俺を見下ろした。



「けど、頭が悪いのに、頭の良い人の真似事をするのは、やっぱり……」




——————お前は、格好ばかりで、おつむが追いついとらんじゃないか




「俺、馬鹿の癖にって笑われるの、一番嫌いだ」








 浮いて出た幼い頃の記憶に反発するように、俺は苛立ちを隠せていない声で言った。茜祢は、やっぱり表情一つ変えなかった。




「頭の良い人が、皆好んで本を読んでるわけじゃないでしょ。アキくんは、本を読むのが好きな人なんだから、周りの馬鹿共が何と言おうと関係ないって思うけどね。それに、アキくんは昔から、国語は得意だったし」

「だってお前……日本人だし」

「それでも、小学生の時、国語のテストだけはアキくんに勝てなかった」





 茜祢は唇を窄めて悔しそうに「毎回満点取られたら、やる気無くす」とボヤいた。それを聞いて、そう言えばそんな時もあったなぁと懐かしくなった。今じゃ勉強に関して、茜祢には一切歯が立たないけれど。



「好きなら好きで良いじゃない。何に拘ってるのか、全く分からない。人を笑う馬鹿共は、俺の中では底辺なんですよ」

「辛辣」

「だから、そんな馬鹿に振り回されるの、勿体無いよ。俺はアキくんの趣味、良い趣味だって思うけどね」

「はははは。そっか、良い趣味か」

「うん」

「……でも……やっぱり、まだ茜祢以外には、言いたくないなぁ……」

「……なんで」




——————格好付けたいばっかりで、知ったよくな口をきくのは恥ずかしい事だ。馬鹿は、弁える。そういう事は、早いうちにおやめなさい





 悔しさと恥ずかしさが、昔の記憶と共に湧いてきて、眉間に力が入る。






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