第17頁 思わぬ落とし物








「あれ……?」





 体育の授業が終わり、更衣室から教室へ戻る途中の渡り廊下のど真ん中。



 無造作に置かれた?落とされた?体操服を見つけた。





「誰か落としてる」

「本当だ。襟も縁も青いから、3年生だね。うちのクラスかな?」

「そうかも」



 のぞみちゃんの推理に相槌をうちながら、体操服目掛けて小走りすると、並んで歩いていた希ちゃんが驚いたような声を出した。



「うえっ!? 香絵かえ、使用済みかもしれないのに触るの!?」



 そう言われても、見て見ぬ振りは出来ないし、何よりもう拾い上げてしまっていた。希ちゃんの心配とは裏腹に持ち上げた体操服に汗をかいたような湿り気は無い。



「なんか、未使用みたい」

「ほんと? 湿ってない?」

「うん。カラカラ。洗い立てって感じ」





 落とし主は誰かしらと手に持った体操服を広げて名前を確認し、私は固まった。

 体操服の真ん中にデカデカと『松野』の文字が入っていたからだ。心臓がドキーッとした。別に悪い事はしていないのだけど、何となく決まり悪くて……。すると、私の肩越しから体操服を覗き込んだ希ちゃんが「ああ」と言う。



「これ、蒼唯あおいのじゃん」

「そ、そうだよね……」


“ああ、遂に図書室以外で言葉を交わす日が……”



 そんな事を考えていた矢先、私の思考に割って入るように希ちゃんの訂正が入る。





「あ、これ違う。蒼唯のじゃない」

「え?」





 言われた事が直ぐには理解出来ず、肩越しの希ちゃんを振り返ると、彼女は私が広げた体操服を指差した。




「見てみ」




 そう促されて、もう一度名前を見直すと、そこには『松野』の右下に小さく『智』と書いてある。


“智? 松野 智?”



智翠ちあきのみたいだね」

「智翠……?」

「そうそう。蒼唯の兄貴っしょ」

「松野くんの……お兄さん……」




 「まぁ、全員同い年だけど」と言う希ちゃんを他所に、私は緊張で身体が固くなっていくのを感じた。松野くん本人であっても緊張するのに、松野くんの兄弟なんて、声の掛け方すら思い付かない。

 私の心の内なんて知らない希ちゃんは、私の言った「松野くん」が引っ掛かったようだ。




「ねぇ、香絵は何で蒼唯の事を松野って言うの? 3人も松野がいるから、皆名前で呼んでるんだと思うよ?」

「そうだったんだ……。それで皆、下の名前で……。私ね、松野くん達と同じクラスになるの、今年が初めてなの」

「え」

「だから、三つ子の兄弟って実感も持てなくて」




 正直、三つ子が並んでいるところも、あまり見かけた事がないから、余計にかもしれない。私にとっては、都市伝説のようなものだった。





「ええええぇぇぇ!? まじで!?」






 耳元で響いた希ちゃんの声に驚いて其方を見れば、彼女は眉を互い違いに歪めて、大口を開けていた。



「うち、6組までしかないんだよ!? 確率1/2だよ!?」

「えへへへ、なんか上手い具合に2択の内、被らない方を選択しちゃってまして……」




 まぁ、選択したのは私ではなく、先生方であるが。その上、この性格だからバラバラと色んな場所で見かける彼らが、それぞれ別の松野くんなのか、はたまた同一人物なのか……話した事がない私には、全く分からないのだった。

 松野さん家の三兄弟、全員を見た事があるのか……それすらも怪しいと思ってしまう。




「三つ子も珍しいけどさ、香絵みたいな子も珍しいと思う」





 確かに、物珍しいと何かと有名な彼らの事を知らないのも、同じクラスになった事がないのも、とても変な事のような気がしてきた。



 手に持った体操服を見下ろす。希ちゃんとの会話で解けていた緊張が蘇る。前の授業が体育だったせいで、じんわり汗をかいたばかりなのに、もう冷や汗をかきそうである。

 体操服を持ったまま、廊下の真ん中で固まる私を希ちゃんが怪訝そうに覗き込んでくる。




「早く届けに行かないと、授業始まっちゃうよ?」

「うん……って、一緒に来てくれないの!?」



 なんて事だ。唯でさえ知らない人に声を掛けるのは少し怖いというのに、頼もしい彼女は、私を1人で行かせるつもりのようだった。何とか付き添って貰えないかと、眉を八の字に下げて彼女を見つめるが、そんな私の懇願にも希ちゃんは、ブレなかった。




「だって、私は次の数学の教科委員だもの。黒板綺麗にして、プリント配らないと」

「そ……そっか……」




 仕事があると言われてしまったら、此方が折れるしかない。






「確か、智翠は1組だから。早く行って来なよ〜」





 そう言って、私の肩を優しく叩くと彼女は教室へと駆けて行った。渡り廊下に1人残され、呆然とする。額に嫌な汗が浮かんできたような気がした。

 何とか松野くんのお兄さんに、私が直接声を掛けなくても良い方法はないかと考えるが、何も思い付かない。誰か別の人が代わりに届けてくれないだろうかと、キョロキョロ見回すが、私が1人でポツンと居るだけである。一度手に取った物を捨て置くことも出来ない。このまま、ここで授業が始まるまで突っ立っている訳にもいかない。


 ゴクンと生唾を飲み込み、ドキドキと煩い鼓動に怖気付きそうになりながら、私は1組へと足を進めた。私は5組だから、中央階段を上ってすぐの所に教室があるので、1組の方へは殆んど行かない。1組のすぐ横にある西階段は、生物学室への移動教室の時しか使う機会がないのだ。







 休み時間も終盤に差し掛かる頃であるが、まだ廊下はざわざわと騒がしくて、生徒も多かった。私は、人と人の合間を縫うように歩いた。顔は俯き加減で、誰とも目を合わせないようにして。




 

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