少女×コーヒー

少女×コーヒー

「いらっしゃいませ。ご注文はいかがなさいますか。」

「え、ええと。」

 何も考えずにレジの前に立った私は、慌ててメニューに目を滑らした。カフェのお姉さんの固定された笑みは、私の焦りを加速させる。派手すぎない優しいブラウンのアイシャドウに縁どられた黒い瞳が私のことをまっすぐに見つめ、己の田舎臭さが推し量られているようで恥ずかしくなった。

「ホットコーヒーを一つ。」

 ここはカフェなのだから、コーヒーはあるだろう。

「サイズはいかがなさいますか。」

 私は無難に注文を終えられたと一息ついたのだが、お姉さんの冷静な問いに再び

「ええと、ええ」

 と情けない声を出し始めるしかなかった。

 サイズ表記を見ると、「R、L」と書いてある。

 へ?S(ショート)とT(トール)は分かるけど、Rって何。

 私は混乱しながら、

「ええと、じゃあ、このRで。」

「かしこまりました。レギュラーコーヒーですね。」

 私は頭から火が出そうだった。消えたい気持ちになりながら、「はい。」と答えた。

 コーヒーなんだから、そりゃあRはレギュラーか。ていうか、何でサイズ表記があるんだ。地元の喫茶店ではコーヒーと言ったら、何も言われずにコーヒーが出てきたのに。

 カウンターでコーヒーを待ちながら、意味もなく店内を見渡した。

 東京のカフェに入るのは初めてだったけれど、木のような優しい焦げ茶色で整えられた店内は、温かみがあって落ち着いており、外の喧騒から隔絶されたドリームハウスのようだった。お客さんたちは等間隔にくつろぎ、それぞれの世界に住んでいた。

「お待たせいたしました。レギュラーコーヒーになります。」

 レジのお姉さんとはまた別のお姉さんが、小さなトレーにコーヒーを置いて差し出した。

「あ、ありがとうございます。」

 少しはにかみながらお礼を言うと、お姉さんは薄ピンク色の唇で綺麗に微笑み、

「ごゆっくりどうぞ。」

 と言った。うっかり惚れそうだ。

 今日は天気が良いので、窓辺のカウンターに座った。座った途端に体が重力を思いだし、心地よい脱力感が襲ってきた。

 大学の下見に来たのだが、大学よりも都会の騒がしさに引っ張られている。一人で都会に行くことに、母は目を潤ませて心配してきたが、私はそんなことよりも「一人で都会」に行くと言う冒険に胸が躍っていた。

 この東京に降り立って、私は色々な物を見た。横一列に並ぶ沢山の改札機、高額な駐車場代、大きなスクリーンのついているビル、説明会に集まった地元では考えられないほどの学生たち。

 テレビでしか見たことが無い物を発見したり、地元では味わえない喧騒に巻き込まれたり、楽しいといえば楽しい一日だった。しかし、さすがに疲れた。

 私は、コーヒーのカップを手に取り、そっと口に含んだ。

 コーヒー独特の苦みとほんの少しの酸味が口内に心地よく広がり、緊張していた体が一瞬で弛緩する。ごくりと飲み込むと、自然とため息が漏れだした。疲れ果てた身体を、温かいコーヒーが癒してくれているようだ。

 コーヒーは、どこでも同じ味がするんだな。

 慣れ親しんだその味は、地元の喫茶店に座っている気持ちにさせる。家から十分ほど歩いたところにある叔父の喫茶店に、私はよく母と一緒に通っていた。空き家だった古い民家を改造したお店で、娯楽の少ない近所で一番人気のお店だった。外観はそのままで中だけカフェ風に変化させており、触り心地の良い木目の椅子と机に座ることができる。さらにくつろぎたい人には、大きなソファが用意されている。

 コーヒー党でイタリアにまで留学したことのある叔父から英才教育を受け、コーヒーが大好きになってしまった。高校生になった今では、勉強場所によく使わせてもらっている。もちろん、コーヒー付きで。

 もしも、来年の受験が上手くいけば、私は東京に一人で住むことになる。

 でもきっと大丈夫だ。

 寂しい時は、コーヒーが私を地元に戻してくれるだろう。

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少女×コーヒー @rei_urara

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