第14話 自分たちの都合に過ぎない
ざわざわとした空気の中、有栖は必死に玲にしがみついていた。少なからず、翡翠眼を見られてしまっている以上、誤魔化してどうにかなるものではない。見間違い、ではすまない。
どうにかしないと、と必死に思考回路をフル回転させて、有栖は玲に小声で話しかける。
「…玲」
「何?」
「今から、気絶したフリするから」
「分かった」
「…桜華」
『承知した、姫様。樟葉を呼んでこよう』
言わずとも察してくれた親友と桜華に感謝をし、がたがたと震えている素振りを見せながら、有栖は顔を隠すようにして下を向きつつ、足から力を抜いていく。
とりあえずは転ばないように気を付けて、体からもくたりと力を抜いて、心の中で『重くてゴメン、玲!』と言いながら玲にぐったりともたれかかった。
「有栖…?…やだ、有栖しっかりして!」
そして玲は大げさに騒ぎ立ててくれるから、呆然としていたクラスの女子たちは、ここでハッと我に返ってくれる。
家に報告しなければいけないという感情をどこかに放り投げるような、玲の切羽詰まった声(演技)によって、集団心理を玲も有栖もうまく利用することにしたのだ。
「ねぇ、有栖!!やだ、お願い、しっかりしてよぉ!」
「え、あの、砺波さん、どうしたの?」
普段は有栖を先陣切って虐めている女子が、おずおずと聞いてくるけれど、玲はそれを聞こえないふりをしてやり過ごす。
友だちが心配でたまらなくて、でも、お前たちの入る隙なんかないとでもいわんばかりに。
実際、彼女たちに有栖を心配なんかしてほしくないと、玲は思っている。
「(あらまぁ、何とも掌返しが早いこと…)」
へらへらと笑いながら近寄ってくるクラスの女子を、玲はぎろりと睨む。
睨まれた側、そして傍観を今まで決め込んでいた側は、思わずたじろいでいるが玲は容赦しなかった。
「今まで虐め倒したくせに、今更どうして有栖を心配するの?」
凛とした声が、全員に突き刺さる。
真実だが、今ここで引くわけにはいかないのだと言わんばかりに、クラスの女子たちは必死に言い訳を探すが、どうにもうまい言い訳が出てこなくて焦ってしまう。
「だ、だって倒れたんだよ!?」
「そうだよ、クラスメイトの心配くらいするじゃん!」
何を今更ほざいてくれるのか、と玲は冷めきった目を向ける。
そして、そろそろやって来るに違いない樟葉に聞こえるように、と思っていたけれど、玲が入ってきた扉とは逆の扉が、思いきり引かれて開けられた。
「え」
「有栖!」
「おい裕翔、馬鹿野郎!」
息を切らせて入ってきたのは、玲の兄、裕翔。
それに続いて樟葉が駆け込んできて、ひらりと桜の花びらが舞う。ああ、桜華が姿を見せたくないときに『私はここにいる』と示すためのもの。
え、桜?とざわめく女子たちには目もくれず、裕翔も樟葉も慌てて駆け寄ってくるが、玲の腕の中の有栖が強張ったのを察して、玲は慌てて樟葉に対して目配せをした。
「裕翔、とりあえずてめぇは止まれ!」
「いやしかし!」
「運ぶのは、俺の役目だ」
一足先に玲に近寄った樟葉は、そっと有栖の体を玲から受け取った。
有栖にだけ聞こえるように、小さな声で『帰るぞ』と囁いて妹の体を抱き上げれば、そこでようやく安心したのか、他に分からない程度に有栖は頷いた。
幸い、裕翔も有栖が気を失っていると思い込んでくれている。有栖の気絶のフリを知っているのは、玲と樟葉、そして桜華だけだからちょうどいいと言わんばかりに、玲が心配そうに樟葉に訴えかけた。
「樟葉さん、有栖、大丈夫だよね!?」
「ああ、大丈夫だ。もう今日は早退させるから、玲、先生に伝言を頼めるか」
「もちろん!」
そのやり取りを聞いたクラスの委員長が、慌てて手を上げた。
「あ、あの、私が!」
「……は?」
裕翔は手を上げた女子生徒に任せればいいと思っていたのだが、予想していなかった玲の反応に、裕翔も女子生徒も、ぎくりと顔をこ強張らせてしまった。
「何で、あなたが?」
「だって、私は委員長だし…」
「委員長だから?へぇ……。今まで有栖のこと無視して、そもそも存在をないものにしてたくせに?」
「で、でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ?!」
「そうよ阿賀さん!あなた別のクラスなんだから!」
「はぁ!?いつもは有栖を殴るわ蹴るわ、水引っ掻けるわ無視するわ、ありとあらゆる虐め繰り広げてるくせに、有栖がこうなったから掌返してきてるだけじゃないの!?」
――今、妹は何と言った?
釣り書きに書かれていた有栖の日常についての内容が、裕翔の頭をよぎっていくが、目の前の女子たちの反応を見るからに、本当なのだと理解せざるを得なかった。
まさか、今のこのご時世に異能がないからと、本当に虐めをクラス単位で彼女らはしていたのか、と絶句していると、何だ何だと別で着替えていた男子たちが、いつまでたってもやってこない女子生徒たちを気にしてクラスまでやって来た。
「何やってんだ?あ、ハズレ倒れてんじゃん」
「お、おい馬鹿!樟葉先輩いるんだぞ!」
「あ」
裕翔が『あ』と思った瞬間、そして失言をしてしまった男子生徒の言葉を聞いた瞬間に、樟葉と玲の温度が一気に下がった気がした。
そして、ここには桜華だっている。
有栖のことを大切に想っている人の前で、彼女のことを侮辱しようものなら、そうなるよな、と。
ほんの少し前、裕翔もやってしまったから、これからどうなるのかが予測できてしまい、うっかり発言をした男子が玲と樟葉を見て真っ青になっている。
「いや、あの」
「…アンタ、相変わらず有栖のこと、そんな風に呼んでるわけ…」
玲の、こんなにも低い声を裕翔は聞いたことがない。
そして、いつもいつも、有栖はこんな扱いを日常的に受け続けているのかと知って、裕翔は今すぐ土下座でもなんでもしたかった。
だが、謝ったところで『翡翠眼目当てなんでしょう?』と言われることは目に見えている。
「ハズレ、ねぇ」
冷たく、淡々と樟葉が呟く。
「当たりハズレを人が決められんなら、てめぇはとんでもない大ハズレ、だな」
鼻で笑ってそう言って、樟葉は有栖の体を横抱きにした。
ふわりと抱き上げた体が思っていたよりも軽く、訝しげな顔を一瞬浮かべるが、すぐに桜華が樟葉にだけ聞こえるように力を調整して話しかけてくる。
『姫様の体重、少し減っておるぞ。消費する分に対しての栄養補給が追いついておらぬ』
「消費…?」
『今日、翡翠眼がほんの少し目覚めた』
「……」
だからか、と樟葉はすぐに理解した。
桜華はとても簡潔に『姫様が気絶したフリをしておるから、早々に迎えに来い』と伝えていたから、どうしてそうなったかまでは聞いていなかった。
理由を聞けば納得できてしまう。
普段は虐めている対象が、とんでもない能力の持ち主だと分かった途端、掌返しをしてくることは目に見えている。だから有栖はひた隠しにして能無しということにしていたが、いつかはバレてしまうことだ。
なお、裕翔は有栖と向き合おうとして、ある意味良い理由での掌返しをしているが、このクラスの面々は違う。
彼らは、有栖が翡翠眼を持っていることを知らなかった。そして、今知ってしまった。
異能持ち同士の婚約に関しても、話が広がるのは早い。より良き縁を繋ぐためなら、彼らの親世代、祖父母世代は、間違いなくこぞって婚約を申し込んでくるだろうことも推測できてしまう。
有栖と裕翔については、既に婚約が成されていないことも知られているに違いない。
家に帰って話せば、きっと有栖への見合いは殺到するだろう。
存在しているだけで幸福を与えてくれるなんて、とても良き道具になる。
「玲、先生に有栖の早退を伝えてくれ。…しばらく休ませる」
「はーい」
あっけらかんと言う玲と、やって来たもののどうしていいのか分からなくて困惑している裕翔。
桜華は樟葉にしか見えないように力を調整しているから、裕翔や玲には見えていない。もちろん、クラスの面々にも見えていない。
「待って、阿賀さん!」
「待たない。」
すっぱりと言い切った玲は、突っ立っている兄の足を思い切り踏みつけた。
「い、っ!」
「お兄ちゃんはクラスに戻りなよ。私、有栖の早退を先生に伝えたら授業にちゃんと出るから」
「……だからって、足踏むことないだろ……!」
「そもそも何もできないお兄ちゃんが来た意味が分かんない」
「玲の言う通りだな」
クラスの面々を置いてけぼりにして、玲も樟葉も裕翔も普通に会話をしている。
──どうしたらいいんだ、どうしたら取り返せる?
──何をどうしたら、元に戻せるのだろう。
「それじゃあね、有栖のクラスの皆様。あぁ、そうだ」
全員の思考回路が気持ち悪いくらいに一致していたまさにその時、教室を出ていこうとしていた玲が振り向いて、微笑んでからこう告げた。
「やり直すも何も、あなた達には何もないじゃない」
玲のその言葉が突き刺さり、気まずそうな顔をしているクラスの面々を放置したままで玲含め四人は出て行った。
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