第6章/碧き烈母 第2話/第一王子の処刑

   一


 ───どうやってあの激流の中を泳きったのか、よく覚えていない。

 だが何とか、下流へ下流へと泳いだ俺は、ディフィディの包囲網を突破した。

 俺は、父の乳兄弟の部族に匿われていた弟と妹達、そして従僕を連れ、すぐさまそこから逃げようとした。

 ディフィディがアティルガン家の王位継承者である俺達に、追っ手をかけることは明白だったからだ。

 だが弟と妹達は俺の話しに脅え、そこから動きたくないと言い張った。


 弟はまだ六才の子供。しかも生来身体が弱かった。

 少しでも健康になるようにと、幼いころから度々その部族に預けられていたから、長一家への愛着が強い。

 このままそこにいたいと言うのも無理はない。

 俺は迷った。幼い弟と足弱な妹二人を連れ、果たして全員無事に逃げ延びられるか?

 そして考えた末、弟をそこに預けることにした。


 ただし、髪を黒く染め、衣服を替え、部族の子供の一人に見せかけるように頼み。

 妹達は、一人ひとり別々の部族に預けてくれるように頼んだ。

 四人がバラバラになれば、誰かが生き残る確率が少しでも高くなるだろうと考えたのだ。

 部族の長は父との友誼にかけて弟達を守ると誓ってくれ、直ちに護衛を付けて妹達を長の縁戚の部族に送りだした。


 ディフディの王位簒奪は迅速に遂行され、アル・シャルクの王都はアーバス家の私兵マムルークとジェッダの兵で溢れていた。

 前王の側近やアハマル家の成人した男達はことごとく捕らえられ、その場で処刑された。

 そんな状態が三日も続くと、家から出る者はほとんどいなくなる。

 都の住民は息をひそめて血の粛清から逃れようと小さくなっていた。

 もちろん、小規模な小競り合いが何度かあったが、それもすぐに鎮圧された。



   二


 俺は、その都の真ん中に潜伏していた。

砂漠のテントから離れ、その足で俺は都の中心に逃げ込んだのだ。

 ディフィディは砂漠と草原の遊牧部族を、虱潰しに探索していた。

 アル・シャルクでは昔から王家に何か事あらば、世継ぎの王子や王女を友好関係にある遊牧民の部族に預けることが慣わしとなっていたからだ。


 だから、かえって街の中は比較的詮議が甘かった。

 まさか、アティルガン王家の第一王子が、王宮の目と鼻の先にいるとは、想像もしなかったのだろう。

 遊牧の民は素早く移動する。

 もともと遊牧民が中心のアル・シャルクだ。ディフィディが躍起になって数ある部族の総てを探索しようとすれば、捜査の網はどんどん拡大されていく。

 そのため王宮付近の兵の数は少なくなり、ますます俺は安全になるという計算だった。

 俺は機を見て弟の元に戻り、何とか説得して都へ連れてくるつもりだった。


 潜伏して七日目のある日、突然街が賑やかになった。

 それまで人の姿がほとんど見えなかった道々が、急に以前の活気を取り戻したようだった。

 だが、その活気の理由を従者に聞いて、俺は唖然とした。

「明日、アティルガン家第一王子の処刑が行われるという噂でございます」

「第一王子? 俺が……この俺が処刑されると言うのか!?」

 その意味に気づいて、俺は戦慄した。


 従者は、状況を解説してくれた。

「ディフィディは焦っております。有力なアハマル家の男子はほとんど捕らえて処刑しましたが、第一王位継承者である殿下が、未だ発見できないでは、反乱軍の士気に関わりますから」

「ディフィディの臆病者め! 身代わりを立ててまでも、アティルガン王家滅亡を民に喧伝したいか」

「おそらくは、それだけではありますまい。この処刑に対して、不審な行動を起こすものをあぶり出し、見つけだし次第、一網打尽に───」

「罠か。だが罠と分かっていても……行くぞ!」

 俺は短刀ジャンビーヤを帯に差すと、きっぱり宣言した。



   三


 処刑場は王宮前の広場だった。

 簡単な柵に仕切られた、板の舞台の上で「それ」は行われようとしていた。

 アーバス家によるアル・シャルク簒奪の勝利宣言。

 ただ、そのためだけの舞台。

 頭巾を深くかぶり顔を隠した俺の眼に、舞台正面に立てられた四本の長槍が飛び込んできた。


 その先に、見慣れた首が四つ。

 父と妹二人と、幼い弟の小さな首。

 父の首は血と泥にまみれ、罪人の印に髪を剃り上げられている。

 常に叡知をたたえていた茶色の眼はくりぬかれ、只のうつろな穴となっていた。

 妹達がすでに首だけになっていたのは、幸いだったのかもしれない。

 彼女たちはおそらくあの父の首を正視できなかっただろうから…。


 俺の背後で誰かがヒソヒソと話している。

「幼い王子と王女二人を捕らえるために、ディフィディ様は三つの部族を全滅させたそうだ」

「まさか? 遊牧民は勇猛だぞ。そう簡単に全滅させるなんて事ができるはずが無い」

「それが、えらく強い助っ人がディフィディ様についてるらしい」

「ジェッダの軍か? しかし…」

「いや違う、何でも……」

 俺が全身を耳にして話しを聞き取ろうとしていた時

「王子が来たぞ!」

 群衆の中から声が上がった。


 皆の視線が一斉に同じ方向に向く。

 目隠しをされ猿轡を噛まされた赤い髪の少年が、刑吏に引きずられている。

 荒縄で縛られた「俺」。

 処刑人に無理矢理歩かされている少年の全身を、疲労と恐怖が包んでいる。

 かつて父が座していた王宮のテラスに、ディフィディ・アーバス新王の姿が現れたとき、民衆のざわめきがピタリとやんだ。

「これよりアティルガン家第一王子、カマル・アル・アザンの処刑を行う!」

 私兵の声が響きわたり、型どおりの罪状が読み上げられる。



   四


「…………よってアティルガン家が嫡子に死をもって臨む」

 宣言が締めくくられた。

 と、民衆の中から鋭い声が上がった。

「その者の目隠しを、今すぐ取りなさいっ!」

 一瞬、兵達の動きが止まった。

 声の意図するところは、明らかだった。

 俺の赤髪碧眼はアル・シャルクでは赤児までもが知っていた。

 赤髪は染めれば作れるし、バルバロ人の血を引く者も少なくはない。

 身代わりはいくらでも調達できる。


 だが、アル・シャルクの民の誰もが知っている、母譲りのこの蒼い眼は作れない。

 この少年が確かに第一王位継承者カマル・アル・アザンだと主張するのなら、目隠しを取りその眼を見開かせ、民に納得させなくてはならない。

「是非に及ばず!」

 ディフィディの声が響いた。

「今、声を発した者はアティルガン家の者に違いない。衛兵! すぐにひっ捕らえて主と同じ運命を与えよ!」

 ディフィディ新王の声に、群衆が一斉に身を引いた。

 声の主のトバッチリを食わないための、浅ましい行為。

 だが、彼らを責められようか?


 潮が引くように割れた人垣の中に、ほっそりとした婦人が姿を現した。

 衛兵達の槍が婦人に向けられる。

「さがりやっ! 無礼者! わらわはラハマト3世が正妃にして、そこなカマル・アル・アザンの母である。我が腹を痛めて生みし息子か否か、それを判ずるに妾以上の適役があろうか?」

 そこに存在するはずのない人間の出現に、広場は騒然となった。

 皆が息を飲む中、母の凛とした声が響いた。

「それが確かに我が息子であるというのならば、目隠しを取られよ! ディフィディ殿」


 粗末な身なりではあったが、陽を受けて輝く金の髪は、確かにユフラテ大河で分かれた母であった。

 アル・シャルクのあおい宝石とうたわれた、紺碧の眼。

 母の圧倒的な気迫に兵達が躊躇した。周りを囲むものの、それ以上近づけない。

 母は死を賭して、ディフィディに挑戦したのだ。

 たとえ、自分がここで捕らえられ殺されても、アティルガン王家の血は絶えてはいないことを民に知らしめることができれば、希望は残る。わずかでも。


「あの夜、カマル・アル・アザン王子は妾と共に、ユフラテを泳いで逃げた。そこに捕らえられているはずがないであろう、ディフィディ殿」



■第6章/碧き烈母 第2話/第一王子の処刑/終■

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