第2章/黒き軍団 第1話/農民兵の射撃隊
一
翌朝───
アサドは農民兵と傭兵達を一か所に集めた。
城の風下、だいぶ離れた場所である。
グラグラと煮え立つ湯が、大釜に満たされていた。
傍らには、憤怒の形相もすさまじいクトルブの生首が三十あまり。
無造作に転がされている。
ミアトは自身の身長を軽く超えるクトルブの長い頭髪を、
あたりに強烈な臭気が漂う。
それは、かなり強烈な光景ではあった。
だが、傭兵達は唯々諾々と、アサドの集合の命に従った。
ジャーヒルの惨劇を見て、昨日の今日だ。
従わざるを得なかった
…この隊長はクトルブよりも怖い。
たとえ、このクトルブの頭部を煮込んだスープを飲めと言われても、ほとんどの傭兵どもは従ったであろう。
それは傭兵達を遠巻きにして固まっていた農民兵達も同様であった。
昨日王宮の大広間で起こったことは、その夜のうちにウルクル全体に広まっていたのだ。
「う~ん、もういいかな?」
ドロドロに崩れたクトルブの肉が溶けこんだ大釜を、鼻歌混じりでかき混ぜながらミアトが呟いた。
何がもういいんだ? 傭兵達の間に不安が広がる。
肉が溶け落ち骨だけになったクトルブの首を、ミアトが鍋から
「それじゃあさ、これからクトルブの骨と角と髪を使って、弓矢を作るから」
突然のミアトの言葉に、一同は面食らった。
二
クトルブの死体を使って武器──弓矢を作る?
そんな話は、聞いたことも無い。
「みんなおいらのマネしてね。まずね、下顎の関節をはずして口を大きく開かせて、歯を全部抜くの。これは
ミアトがてきぱきと指示しながら、クトルブの口の中の乱杭歯を、素手でバキバキと引き抜いてゆく。
最初はおそるおそるクトルブに触っていた農民兵達も、早く早くとせかされ、嫌々ながらも手を動かす。
……が、灰褐色の
ガキのくせになんてえ力だ! 誰もがそう思った時、
「ミアトのようにはいかんだろう。#これ__・__#を使え──」
そう言うとアサドは、鍛冶で使うやっとこを農民兵に手渡した。
一人がやっとこで歯を挟みもう一人がクトルブの頭を抑えて、二人がかりでやっと歯が抜けた。
年齢と外見に似合わない、畏るべきミアトの剛力に、農民兵達は驚嘆しながら、作業を続ける。
「クトルブの
補足するアサドの言葉の意味を理解できずに、農民兵達はやはり不安げな顔をしている。
武器などほとんど手にしたことのない農民兵にすれば、獣の皮や髪が弓の材料になること自体が、常識外のことだった。
傭兵達にしても弓と言えば竹かアカシア、
「これがクトルブの皮と鬣で作った弓だ。実際に飛ばしてみせよう」
アサドの部下の一人が小振りの弓を、もう一人が大振りの弓を持って矢をつがえた。
大振りな方は、ウルクルのほとんどの兵が持っている、竹製の弓である。
三
キリキリキリキリ…………
昨日、が偽装したアル・シャルク軍商隊から得た絹から作られた弦が、高音の悲鳴を上げる。限界まで引き絞られた二本の矢は、一条の軌跡を残して蒼天に放たれた。
シュルルルル…ルルル……ルル………ル…………………
風を切り裂く音を耳に残し、地平線の彼方に向かって矢が飛翔していく。
「おおっ!」
ウルクル軍の単弓が城壁の手前で失速したのに対して、クトルブの弓は城壁の遥か頭上を越え───
視界の向こうに消えていったではないか。
「へえ…」
農民兵達の口から、驚きの声が上がった。
自分達の知る弓との圧倒的な性能の違いを見せつけられたのだ、極めて自然な反応であった。
「おまえ達も、使ってみるか?」とアサド。
「い、いいんですかい?! ありがてぇ」と農民兵たち。
「おまえ達の身は、これで守らねばならないのだからな。実際に手に取って、使い勝手を確かめてみるがいい」
アサドの言葉に、農民兵たちは驚いて聞き返した。
「これを私らに? こんな凄い弓を?」
「ああ、全員に1本ずつ渡す。だから、気合いを入れてクトルブの頭を処理してくれよ」
農民達の顔に安堵の色が浮かぶ。
しょせん、自分達農民兵は人数合わせだ。
ろくな武器も渡されずに前線に立たされることは覚悟していた。
だが、この歳若い指揮官は、強力無比な弓を自分達に与えるという。
短剣1本で戦場に立たされるよりは、生存の確率は何倍にも上がるのだ。
喜ばないはずがないではないか。
「けんど、恐ろしく遠くまで飛ぶ弓ですなあ……」
農民兵の一人が、しげしげと弓を見る。
合成弓。
三種類の異なる材質……多くは木と動物の角とを張り合わせ、動物の腱を弓の背に裏打ちすることで作られる、最強の弓である。
同じ材質の薄い板を、三枚張り合わせる合板弓よりも、格段の威力を発揮する。
いま彼ら農民兵たちが、ミアトの指導で作ろうとしているのは、まさにそれであった。
単弓の射程距離に対して、合板弓はその2倍の距離を飛ぶ。
だが、ミアトの作った合成弓は特殊な
新しい玩具を与えられた子供のように、農民兵達は嬉々として、代わる代わる弓に矢をつがえて試射している。
その度に感嘆の声を発しながら。
四
「とんでもない飛距離だ…」
城壁の陰から、この様子を見ていたヴィリヤー軍師の口からも、思わず驚嘆の声が漏れた。
「接近戦は、実戦での慣れが要求されますからのう」
ヴィリヤー軍師のかたわらに立つ、白い長衣の小柄な老人が、ヒゲをしごきながら面白そうに呟いた。
「戦場の恐怖に駆られた兵は、日頃の訓練の十分の一の力も発揮できぬ。だが、射程距離の長い弓矢を持っての、後方からの攻撃なら……農民兵でも比較的簡単にこなせる。敵の顔を直接見ずにすむゆえ、自分が殺し合いをしている現実と実感に、押しつぶされにくいのじゃろうな」
「つまり、敵が近づかないように、撃って撃って撃ちまくればいいのだから、熟練の技もいらぬ…と、そう申されるのですかな、神官殿?」
「そのとおりじゃ。軍師殿は飲み込みが早い」
神官と呼ばれた、聖職者らしき服装の老人は、カラカラと笑った。
ヴィリヤーは戦慄していた。
彼とて、合成弓の存在を知らないわけではない。
いや、むしろ人一倍、軍事に研究熱心であるがゆえに、ウルクルの中では新しい武器の知識には精通しているといっていいだろう。
だが実際の製法となると、どの国もそれが自国の運命を決する軍事機密であるため、流失を極端に警戒する。
ちょっとした工夫で、武器の性能が著しく向上することは、ままあるのだ。
情報は独占しておくに限る。
それでも、間者の伝聞を元に、彼が密かに試作させた合成弓は並みの倍近いの距離を出していた。
だが、今眼にしたアサドの弓の飛距離と比すれば、子供の玩具同然である。
だが、それ以上にヴィリヤーの心胆を寒からしめたのは、アサドの用兵の戦略であった。
しかもこれで、農民兵達のアサドに対する信頼は一気に高まったのだ。
やることに無駄がない、いや、無さ過ぎる。
あの男、いったい何者だ?
ヴィリヤーの胸に、アサドに対する警戒心が、わき起こってきた。
■第2章/黒き軍団 第1話/農民兵の射撃隊/終■
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