第1章/青き咆哮 第6話/夜に詠う傭兵団
一
「では、傭兵部隊の指揮権は俺が執る。いいな」
今度は手当の手を止めて、一斉にハイッ!という言葉が唱和された。
「……うむ、いい兵士になりそうだな」
兵士たちは完全に、アサドに呑まれていた。魂を。
「ファラシャト殿も異存はないな?」
「もちろん。あれだけの実力差を見せられたのだから、異存のある者などいない。……太守、承認を!」
ファラシャトの声に、太守は大きく頷いた。
「かの者を傭兵部隊の長に任ず。任命書は追って用意する」
太守は……期待以上の惨劇を見ることができて、すっかりご満悦の様子だ。
まるで射精が終わった瞬間のように、ぐったりとして小刻みに肩で息をし、しかし顔には愉悦の笑みを浮かべている。
ファラシャトの顔に一瞬なんともいえぬ嫌悪の表情が浮かんだ。
だが、アサドは全く表情も変えず、太守の方に居住まいを正し、
「ついでにもうひとつ。傭兵部隊だけでは数が不十分です。農民部隊を私の指揮下で強化したい。よろしいでしょうか太守よ?」
とさらなる提案を具申した。
「それは私の方からもお願いします」
アサドの声に、太守の脇に控えた老武官から声が挙がった。
近衛隊の副長で砂漠でのアサド達の絶技を目の当たりにした一人だ。
「正直、どこの隊も素人同然の農民部隊には頭を痛めております。かといって彼らを訓練しているような余裕はございません。あんなガキがあれだけの技を使いこなすのですから、アサド殿の、いや赤獅団の教官としての腕に、問題はないでしょう」
「ガキじゃねーよ、ミアトだい!」
簡単に決まってしまった重要な人事に、口を挟もうとするファラシャトを無視するかのように、太守は頷いた。
「好きにせい……。今後の戦略については、ヴィリヤーから詳細を聞け」
軽く頷くと、アサドはヴィリヤー軍師の方へと歩を進めていった。
近付いてくるアサドを見る軍師の顔は、心なしか引きつっている。
残されたファラシャトは、はたかれた頭をさすりながら口をとがらして抗議するミアトを無視して、王宮の方へと歩き出した。
特に用があるわけではない。
とにかくこの場を離れたかった。アサドのそばから離れたかった。
あの男は周囲の空気を変え、その渦の中に人々を巻き込んでしまう。
だから、とにかく一人になりたかった。
二
早足に歩きながら急速に彼女の心は平静を取り戻してきた。
独りで舞い上がっていた自分に気づかされたのだ。
宮殿の中庭へと歩を進め、アサド達の姿が見えなくなったとたん、ファラシャトは壁に寄り掛かり大きなため息をついた。
いろいろな想いが頭を駆けめぐる。
アル・シャルクの兵隊
アサドの神技
クトルブ
瀝青の丘
片耳の男の断末魔の声
ジャーヒルの嫌らしい笑み
戦いに恍惚となって見入る父
アサドの見せた技量の超絶さ───
同時に、あれだけのことを表情ひとつ変えずに実行した冷酷さ。
ファラシャトの人生で、たった半日程の間にこれほどめまぐるしい体験をしたのは初めてで、ひとつひとつの事件を整理する必要があった。
〝やっぱ、お姉ちゃんもアサドの大将に惚れちゃった?〟
……ついつい余計なモノまで思い出した。
(いけない、いけない! あいつ、考えようによってはジャーヒルよりも残酷な人間かも。無駄な攻撃は加えず、一撃で急所を確実に、破壊しているんだもの)
無意識に髪をかき上げていた彼女の手が、不意に止まった。
「そう言えば、あの兵士を殺したクトルブの頭を狩ったとか言っていたっけ。じゃあ何? あいつクトルブの死体は岩影に引きずりこんどいて、人間の死体はグールの喰うにまかせてたって事? 私だって事が済んだら葬ってやろうと考えていたのに……」
そうなのだ。
何に使うか知らないが、あの男は人間よりもクトルブの生首の方が、大事なのだ。
まさかアル・シャルクの兵が来るのを予測していたわけでもあるまい。
いや、むしろ、クトルブの死体を解体するアサド達を見て、アル・シャルクの兵達が恐怖に駆られて襲った可能性もあるのだ。
でなければ、十人に満たないアサド達を危険を冒して襲う必要が無い…そう考えると、アサドの端正な顔の奥底に潜む、何か得体の知れぬどす黒い不気味さを想像してしまう。
「初めてあいつを見たとき妖魔じゃないかと思ったけど……あんがい的を得ているかも」
ファラシャトはそう呟くと、王宮の奥殿へ向かって歩き出した。
三
「大将……いや、明日からは隊長だっけ。農民兵を訓練するって、いったい?」
興味深そうにミアトが訊いた。
城の外の砂地にアサド達は野営していた。城内に用意された部屋を断って、わざわざここに彼らの天幕を張ったのだ。
全てを焼き尽くすかのような過酷な灼熱の地にあって、夜は生命が力を取り戻す時でもある。
古来、彼の地では夜の3分の1は旅し、3分の1は喰らい、3分の1は眠れと言われる。
夜は安息の時間ではなく、むしろ活動の時間なのだ。
だから、昼寝の前の昼食が一番量がある。夜は簡単な食事で済ますことが多い。
平らな硬いパンを素手で掴み、野菜を煮込んだスープに浸して食べる。
簡素な食事が終わり、アサドの部下たちは珈琲豆を鉢ですり潰す者、竪琴を取り出す者、それぞれが思い思いの支度を整える。
「んじゃあ、おいら唄うね!」
先程の食事のスープでクチャクチャに汚れた口をぬぐいながら、ミアトは背筋を延ばすと畏まって唄い出した。
子供らしい高音が、夜の空気に溶ける。
ミアトが一節唄うと今度は誰かがその跡を継いで唄う。
即興詩。
リズミカルに自分なりの旋律を織り込んで、時にはユーモラスに。
時には伝説の中の人々の悲しい姿を唄い紡ぐ。
車座になった傭兵部隊の面々が唄う。
星の煌めく夜空の下、無骨な男たちには不似合いな詩の競演は続く。
やがてアサドが静かに、歌を継いだ。
高き空
万年雪を戴く遠き峰々
風を
はるけき緑の草の海…
深き湖
銀の月を水面に映し
白き花をその手に抱く
はるけき緑の草の海…
誰か思わざる
誰か思わざる
我が帰る大地
我が思いは
はるけき蒼天の下に
高き空
東の空遠く白き雲の舞う
無限に続く蒼き大地
はるけき緑の草の海…
四
男達は皆、眼を閉じてアサドの歌に聞き入っている。
この傭兵達の心の中の〝何か〟を揺さぶるのだろう、いつしか全員が唱和していた。
……高き空
万年雪を戴く遠き峰々
風を孕んで煌めき揺蕩う
はるけき緑の草の海
はるけき緑の草の海…………
この歌が、彼らの夜会の最後の歌なのだろう。
唄い終わるとそれまであちこちに余裕を持って座っていた部下達が、アサドを中心に肩を寄せ合うようにして座りなおした。
そこには先程の感傷的な色は、もう無い。
皆、武人の顔になっている。
一人だけ緊張感のないミアトが、菓子を頬張りながら、
「ちょっと気になったんだけどさ、おいら達だけで遊撃部隊を編成すればいいじゃん。何でわざわざ農民兵なんか面倒見るの?」
アサドは答えず、代わりにサウド副官が答えた。
「農民兵部隊だけで、ウルクルの全兵力の約半数を占める」
サウドの左足は膝から先がなく、左手の薬指と小指も根本からない。
顔や腕に残る歴戦の古傷とは対照的に、顎髭を蓄えた顔は柔和な文人然としている。
「それを使えるようにしないと、勝算はないからな」
まるで祖父が孫にするように、ミアトの汚れた口元をふいてやりながら、サウドが言う。
「ン~そおか、でも意外と簡単に重要な地位を占められたね。あの腹黒太守、何か企んでんのかな?」
「おそらく俺達は今度の戦では先鋒隊にされるだろう。一番先に死んでも問題ないからな」
サウド副官は、事もなげに語った。
■第1章/青き咆哮 第6話/夜に詠う傭兵団/終■
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