序之章/赤き砂塵 第1話/屍肉喰いと商隊

   一


「隊長ォ〰〰! 〝屍肉喰いグール〟です!」

 髭面の男の野太い声に、〝隊長〟と呼ばれた少女は、騎乗した戦車の上で振り向いた。


 戦車といっても、かなり豪華な造りである。

 左右に突き出した大きな車輪と、それに支えられた車箱。車箱の下から前に突き出した長い柄──ながえがあり、柄の先には横木──衝がT字型にわたされている。

 それらのすべてに凝った意匠の彫刻が施され、見た目は戦いより凱旋行進にふさわしい。

 だが二頭引きのため、かなりの重量を引け速度も速い。さらにこの地方では貴重な馬に引かせているので、部下達が騎乗する驢馬ヒマールの戦車よりも格段にはやさと機動性が高い。


「屍肉喰い? クトルブか?」

「そんな上等な奴じゃあ、ありやせん。図体はでけぇが、腐肉専門のグールです」

 同じ妖魔でも、グールとクトルブでは、狂暴性も腕力も格段に違う。

 男の声に、微かな安堵感が混じっていた。

 髭面の男が指した方角に、隊長と呼ばれた少女は、視線を送った。

「ありゃあ? 何か喰ってるな……あれは! 兵士の死体を喰っていますよ」

 だが、それを見つめているのもかかわらず、少女の表情は変わらず返答もない。


 少女の指示を促すように、男が続ける。

「人間が喰われるのは…見ててあまり気持ちのいいもんじゃありませんな……どうします? 隊長」

「ほおっておけ。食われたものは今更どうしようもない。それよりも商隊の姿は?」

 感情のかけらも見せず、少女は冷たく言い放った。

「まだ見えませんな……と、来ました!双子岩の後方!」

「人数は?」

「八人! ……とロバが四頭。ラクダはいません。どうしますか?」

「積み荷は?」

 男の指差す方向に目をすえたまま、少女は聞き返した。



   二


 少女の頬にかかった後れ毛が風に揺れる。

 …美しい。

 年は十代半ば。

 まだどこか幼さが残るが、すっきりとした瓜実形の輪郭に、彫りの深い目鼻だち。

 この地方の人間にしては珍しいぐらい肌が白い。

 この荒野にもむくつけき男共にも、これほど不似合いな存在もあるまい。

 大きな瞳は淡い青。

 少女の顔立ちの、ややきつい印象は、少しつり上がった目尻とこの瞳の色のせいだろうか。酸性度が高く魚が全く棲めない湖のような、透明度の高い青。


 じっと見つめていると、こちらの心は溶かしこみそうなくせに、こちらからの侵入は断固として拒絶する…そんな色だ。

 大部分の住人の瞳の色が、濃い黒か希に栗色の瞳がほとんどのこの地では、珍しい色だ。

 北方の異民族バルバロイの血でも引いているのであろうか。

 髪は黒、漆黒の重い黒。

 まるで炭をわざと塗り付けたような、光沢のない長い黒髪をうなじで一つに束ねている。

 少女の容貌には重すぎる色だ。


 顔全体の造形が絶妙なバランスを保っているだけに、この黒髪にはどこか不自然な違和感がある。

 その淡い青の眼と乳白色の肌からすれば、北方の人間の持つ明るい陽の光のような、金髪であっても不思議はない。

 だが、それ以上に、彼女の服装が違和感の固まりであった。

 動きやすいように、袖と裾を絞った地味な色合いの上着とズボン。

 強烈な日差しを避けるために肌の露出を極力抑えた、厚地のたっぷりとした服。

 その上には革の胴鎧を着け、腰に巻いたベルトには細みの剣を釣っている。

 どう見てもそれは戦いのための装いであった。


 あえてその年頃の少女に相応しい彩りといえるのは、小さな赤い宝石を嵌め込んだ、黄金の耳飾りだけ。

 華美な装飾を施した儀礼用のものならともかく、実戦用の機能重視一点張りの服などおよそこの少女には似つかわしく無い。そのうえ「隊長」だ。

 彼女にふさわしい呼び掛けは「お嬢様」か「姫様」であろう。



   三


「積み荷はロバの背に二つずつ! 篭と壺です」

 もう一度、男の野太い声がした。

 彼も騎乗服の上に、胸や臑や手首に革製の当てものをしている。

 この男の他に同じように武装してロバの引く戦車に乗った男が九人、少女の周りを囲んでいる。

 総勢十人。

「ヴィリヤー、作戦は?」

 少女は脇に控えていた、ロバに騎乗した男に声をかけた。

 それは他の無骨な男たちとは対照的に、華奢な印象の男だった。

 細面の顔は日焼けしていないためか、青白く見える。年令は二十代半ばほどか。

 男はその顔立に相応しい落ちついた、だがやや神経質そうな声で少女に答えた。彼がこの集団の参謀格なのだろうか?

「しばらくは様子見でしょう。瀝青の丘の前に来たら包囲するがよろしいかと」

「妥当だな。散開!」


 砂塵の中を人間とロバの影が近付いてくる。

 人影は八つ。各々長めの杖を手にしていた。かたわらを歩く四頭のロバの背には、大きな素焼きの壺と葦で編んだ篭が結びつけられている。

 少女がスッと右手を挙げると、男達の戦車が二台ずつ左右に散った。

 速い。

 しかも、ほとんど物音を立てない。見事に訓練された無駄の無い動きであった。

 その動きが違和感を倍加する。

 三十半ばの大の男が、十六、七の小娘に敬語を使うのも滑稽だが、それ以上に、どう見ても深窓の令嬢か姫君としか思えない風貌の少女が、この荒野にいることが…だ。


 だが、少女は自分の倍以上は体重がありそうな男どもを、手足のように使っている。彼らが商隊を狙う盗賊だとしても、やはり異常な光景であろう。

「右のムバラクとグルスの動きが遅い。あれじゃあ子供のほうがましだぞ。」

 少女の言葉とは裏腹に、音もなく『瀝青れきせいおか』と呼ばれる、小高い丘陵の左右に展開した四人は、しかし商隊にはその存在すら気づかれていない。

「いくぞ!」

 少女の号令とほぼ同時に、十人の男たちは砂煙りをあげて商隊を一斉に包囲した。

 一瞬の出来事だった。



   四


「な…何事か!?」

 突然の来客に、八人の男と四頭のロバからなる商隊は、あわてふためいた。

 相手は剣や槍で武装し屈強なロバの引く戦車に騎乗して、商隊の周囲をぐるりと包囲している。

 商隊の八人の目に恐怖の色が宿った。

 盗賊か!?

 遠地との交易は、常に莫大な利益と危険との背中合わせである。盗賊の略奪など日常茶飯事だ。

 商隊の男たちはとっさに手にした杖を構えた。

 身長よりもはるかに長い7キュビット弱もあるこの杖は、いざとなれば有効な武器になる。

 鉄はおろか青銅製の武器さえ、簡単に手に入らないこの地域では、硬くしなりのある杖は、商人が望みうる最良の武器であった。


 商隊の先頭に立っている長とおぼしき男だけは、腰の短刀を抜いて身構えている。

 商隊の男達に目もくれず、戦車を降りた少女は長の前に大股に歩み寄ると、よく通る声で言い放った。

「ここから先はウルクルの国の領土だ。故なき者を通すわけにはいかない。このあたりを旅するものなら承知していようが、現在いま我がウルクルと、東方のアル・シャルクは交戦中だ」」

 それでも緊張を解かない商隊に、言い聞かせるように彼女は言った。

「私はウルクル軍の近衛隊長ファラシャトである。アル・シャルクの間者が今宵商隊にまぎれて城郭に潜入するという情報を得て、検問を敷いていた」


 盗賊ではない、ということがわかり、初めて商隊の緊張が解けた。

「おお……これはこれは、お役目ご苦労さまでございまする」

 手にした短剣を素早く納めると、商隊の長は胸に手を当て軽く腰を曲げた。目上の人間に対する略式の礼である。

「しかし私どもはウルクルの国との交易を生業とする者。もうかれこれ二十年もこの仕事を続けておりまする。間者とは合点の行かぬご詮議でございますなあ」

 商隊の長は少女の前に進み出て申し開きをした。

「荷は何だ?」

 その言葉など耳に入らぬように、ファラシャトと名乗った少女は尋ねた。

「絹にタマネギ、そして香辛料の丁字クローブを少々」

 衣類である絹に食料のタマネギ、そして香辛料として貴重な丁字。


 このあたりを旅する商隊としてはごく標準的な交易品である。

「お疑いとあらば、どうぞ荷をご検分くださいませ」

 ファラシャトが顎をしゃくると、左右に控えていた部下達がすばやく荷の検分にかかった。

「ご禁制の品を密かに隠し持ってもおりません。いわんやアル・シャルクの間者などとは…。私どもはなんらやましいことはございません」


■序之章/赤き砂塵 第1話/屍肉喰いと商隊/終■

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