赤き獅子の王 ~銀月綺譚黎明編~
篁千夏
プロローグ/東方から来た男
砂塵が舞っている。
この地特有の、赤褐色の砂が───
鉄分を多く含むこの砂漠は、遠目には永遠に続く、赤い海原にも見える。
夕日に照らされるときには、まるで血に染まったかのように輝く。
乾燥しきったこの地を、昼に旅するものなどめったにいない。
多くの
そう、一攫千金をめざす商人と、
影───
今、その砂漠を生き物の影がひとつ、移動している。
だいぶ日が傾いたとはいえ、いまだ砂漠の熱さは肌を焦がす。
ゆらゆらと定まらぬ影は、
その熱を感じる様子もなく歩を進め、
やがて立ち止まった。
何者か?
近付いて見る者があれば、その影のシルエットが微妙に人間とは異なるのに、気付いたであろう。
長い両腕、まっすぐ直立すれば指先が膝まで届く程に長い。
薄汚れた黒い髪は野放図に伸び、
背中へと続き尻のあたりでいったん薄くなると、
ダラリとぶら下がった牛に似た尻尾へと繋がっている。
黄色く濁った目で周囲をキョロキョロと見渡し、ひしゃげた大きな鼻をひくつかせ、先の尖った三角形の耳をせわしなく前後に動かしては何かを捜している。
捜しているのは死体…。おのが生きる糧となる人間の死体を捜しているのだ
───
この世界に、人や獣のほかに存在するもの。
古来より人間達が恐れてやまぬもの。
闇の主シャイターンの
人間を襲い、
それは妖魔の中でも最も下級の屍肉喰い…グールと呼ばれる生き物であった。
人間に倍する体躯と醜悪な外見に似ず、生きた獲物を狩ることはめったに無い。
人間や動物の死体を主に食し、腐肉を好む。
しかし数は少ないが、狩りをする凶暴なグールがいないわけではない。
それらは、クトルブと呼ばれている。
大きく裂けた口からはみ出した乱杭歯の隙間には前回の〝お食事〟の残りかすが挟まり、強烈な腐敗臭を放つ。
影の主は、自分で狩りをするクトルブであった。
キョロキョロとせわしなく辺りを見回していたクトルブが、突然砂漠の真ん中に向かって走り出した。
…………いた!
クトルブが走っていく前方に、薄汚れ血にまみれた胴衣を着た若い男が、ヨロヨロと足を運んでいる。
おそらく、数日前のこの砂漠の戦で敗走したか、脱走した兵士だろう。
敵軍には殺されなかったが、今、兵士は砂漠に殺されようとしていた。
久しぶりの御馳走に、驚喜したクトルブは足音をひそませる事もなく、兵士に近付く。
狩りをするとはいえ餌はできるだけ弱っているのが好ましい。
しかし、病気の者は避けたい。
新鮮で弱っている…この兵士は理想的な獲物であった。
足音に気づいた兵士が振り向いた瞬間、クトルブは一気に跳んでいた。
兵士の喉笛を鋭利な爪が引き裂き、一瞬にしてその命が吹き飛ぶ。
クトルブは、いきなり獲物の腹に食らいついた。
鍵爪で肉を引きちぎるのももどかしそうに、
頭を死体の腹につっこむと、
ピチャピチャと音を立ててむさぼり喰う。
久しぶりの新鮮な食事にクトルブは喚起の声を上げた。
ギッ…
ギッッギギ
ギギーアアアアア
アアオオオオオオオ〰〰〰〰ン…………
それは近くにいる仲間へ、獲物の在処を知らせる
だが…、
咆吼はふいに、
途絶えた。
おのれに向かって発せられた、別の獣の咆吼をその尖った耳が捕らえたのだ。
それはとうてい人の耳では捕らえられぬ、巨大な殺気が発した咆吼であった。
だが、最下級の妖魔であっても、クトルブの肉食の獣の本能が、彼に危機を訴えている。
なにかが、近付いてくる。
自分の
沸き上がる赤い砂塵の、遥か彼方から〝彼〟はやって来た───
■プロローグ/東方から来た男/終■
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