地雷針

小狸

短編

 私が、小説を執筆していた時の話である。


 それは、突然やってきた。


「いい加減にして!」

 

 リビングで作業していたので、突然のその声に困惑することになった。


 すぐにそれが、母から発せられたものであることが分かった。


 私は反応できなかった。

 

 母は間髪入れずに続けた。


「読んでいれば、『意地の悪い上司への復讐』だの、『虐待親への反抗』だの『追放された組合の後悔』だのって、どうしてあなたは、そうなの! いつもいつもそう! どうして思い通りにならないの! そんなあなたが本当に嫌! せっかく小説家になったのに、どうしてそういう作品ばっかり書くのよ! ずっと我慢してきたけれど、もう限界!」


「お母、さん?」

 

 コミュニケーションが成立していなかった。


 母は続けた。


 堰を切ったように。


「どうして世の中を、そういう風にしか捉えることができないの! どうして世界を、そういう風にしか切り取ることができないの! あなたの小説が本っっっっっ当に不快! どうしようもなく不快! 不愉快! 読んでいて苛々するのよ! 何! 駄目なひとが無理矢理救われて、可哀想な子が無理矢理幸せになって、孤独な冒険者が無理矢理力を付けられて、それで閲覧数を稼げるの? 読者に読んでもらえるの? 見え透いてるのよ、そういう魂胆が! 意図が! いい加減にして! もっと幸せな物語を書きなさい!」


 それは、まごうことなき本音であった。


 何かの拍子に、母のスイッチが入ったのだろう。


 どこかに、母の地雷があったのだろう。

 

 それとも、私が職業小説家として成功していることを良く思わなかったのだろうか。


 あるいはその両方か。


 いずれにせよ、もうこの家にはいることができないと思った。


「もう辞めなさい! 書くのは! 辞めないのなら――」

 

 と、母がこちらに近付いてきたので、私は椅子から立ち上がった。


 恐らく、パソコンを奪取、または破壊しようとしに来たのだろう。

 

 私はそれを察知して、すぐさま内容を保存し、電源を切った。ここで保存されずとも、万が一パソコンを破壊されようとも、クラウド上にはデータは残っている。


 耄碌もうろくした母よりは力も背丈もあるつもりである。


 が、それを超えるだけの凄味が、今の母にはあった。


 母は時折こうなる。


 かんしゃくを起こし、私に当たる。


 私にだけだ。


 妹には甘い。


 多分、可愛いからだろう。


 そんな母が、私は私より妹より大嫌いだ。


 母が怒る度に、私は冷静になっていった。


「な、何よ! 私の言うことを聞けないって言うの――誰が育ててやったと思って――」


「そんなに私、似てる?」


「は、はぁ!? 何言ってるのよ!」


 それは逆鱗であった。


 触れてはならぬ鱗。



「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」


 母は、金切り声を上げて、私に飛び掛かってきた。


 迷う暇は無かった。


 ノートパソコンを持ちあげて、角があたるように、思いっきり母に向けて投擲とうてきした。


「■■■!」

 

 多分、痛いと言ったのだろう。


 パソコンは母の顔面に直撃し、そのまま音を立てて床に落ちた。

 

 あーあ、このノーパソ、高かったんだけどな。

 

 まあ、収入がある今、それは気にならないか。


 データは取ってある。また新しいのを買えば良い。


 ただ、家族はそうはいかない。


 代替がきかない。


 それがいくら、毒だとしても。


 だったら――。


 うずくまる母を尻目に、距離を取りながら、私は言った。


「お母さん、もう終わりにしよ。私一人暮らしするから。お母さんのお世話は、莉奈がやってくれるよ。私達、縁切ろう。そうしよ。もう無理だよ」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■、なんで、なんでよ、なんであんたたちは、いつもそうやって私の邪魔をするのよ、なんで私の思い通りにならないのよ、あんたはに似てる、だから嫌い、気に喰わない、我慢してやったのに、何でもそつなくこなして、夢も叶えて、小説も私への当てつけなんでしょどうせ、私が、私は、私に、私で、私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私――」


「うん、もういいよ、いいから。手続きは私がしておくから、ね。お母さんはゆっくり休んで。やっぱり私はここに居ない方がいいんだよ。一緒には暮らせないよね。私が出ていくから」



 噛み合わない。


 狂っている。


 まあ、最初からどこか無理だったんだろうなと思う。


 父と離婚してからの母は、おかしくなった。

 

 そろそろ限界だろう、色々と。


 それに、こいつの介護なんて死んでもしたくない。


 私はまとめておいた最低限の荷物を持って、玄関に出た。


 母が何かを言っていたが、聞き取れなかった。


「じゃあね。お母さんは勝手に幸せになりなね。私も私で、勝手に幸せになるから」


 そう言って私は、家を出た。


 その後は知らない。


 妹が母の癇癪を抑えられるとは思えない。


 甘やかされて育った者同士だ、お似合いだろう。


 そう思って、私は踵を返した。


 目的地は決まっていない。


 取り敢えず今は、この場所から離れることを第一に考えよう。 

 

 母方の祖父母も、母を大分甘やかしているから、敵と認識して良いだろう。


 移住先はもういくつか候補がある。不動産屋に連絡して、転出と転入の手続きは後日行おう、幸い実家と市役所は離れている。そこでばったりということはないだろう。


 母の発狂とは裏腹に、私の心はどこか晴れていた。


 キャリーケースを転がして、駅へと向かった。


 後ろは振り返らなかった。


 令和6年の3月21日の話である。




(「地雷針」――了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地雷針 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ