第1話

 「なあ、サーヤ。俺の数字はいくつだ?」

 いつからだろう。声が速さを失ったのは。サーヤは空気にキスをしたり空気を噛んだりしたあと唇を結んだ。そうして、空間にサーヤの唇の形をした腫れができた後彼女の返事が響いた。

 「167だよ。ハス。」

 列車が動き出したから、サーヤの潤いのある声は線路の上に置いて行かれた。取り残された彼女の声が僕の耳を過去に呼び戻そうとしているみたいな寂しさがする。サーヤがまた空間にキスした。そうしてできた空間のキスマークが壁をすり抜けて後ろの部屋に見えなくなったとき、彼女の声が聞こえた。

 「君は、137だよ。」

 僕は自分の数字がハスよりも少ないことを意味もなく悔しがる。

 サーヤはいつも尋ねると一人一人にあてがわれた数字を答えてくれる。それがいったい何の数字なのか、僕にもハスにも毬玉にもわからなかった。それは、一人一人にあてがわれた増えていく数でサーヤはそれを数えているらしい。

 「これってさあ、何の数字なの?」

 まだ僕の数字が7だったころ、サーヤにそう尋ねたことがあった。サーヤは頬を染めてそっぽを向きながら「恥ずかしいから秘密」と答えを教えてくれないんだ。ふいに、列車の進行方向から鮮やかな宝石が車室に流れ込んできて、それはカラフルな幽霊みたいに僕たちの胸を貫いて過ぎた線路へと掃けていった。

 ハスが勢いよく立ち上がり車窓を開けて外に顔を出した。室内にはハスに噛まれた空間の青血がやはり後列車両へとすり抜けていく。

 「カラーパ畑だ!!!」

 そう、ハスの声が後列車両から遠く聞こえてきて僕もサーヤも立ち上がってハスの隣から車窓の外に首を出した。僕たち三人は車窓で首をぎゅうぎゅうにしながらも外の景色を求める。


 首のない花が咲き乱れている一面を我らが車両が大蛇のように長く太い腹で抱えている。首のない花たちは列車が起こす風に斬られても、車輪の揺れに晒されてもピクリとも動かず赤や青や黄色や緑や桃や紫や橙の色とりどりの美しさを誇っている。過去も現在も未来をも貫いて咲き続ける霊体の花。色霊(カラーパ)だ。

 列車は独楽から抜ける紐のようにカラーパ畑を過ぎていった。心に穴が空いたみたいに僕は寂しかった。そんな心の穴を殴るみたいにハスの発砲みたいな怒鳴り声がした。

 「死ねよ。死ね。殺してやる」

 そんな声が聞こえてきたときにはすでにハスはサーヤに襲い掛かり彼女の首を絞め始めていた。僕は慌てえてハスをサーヤから引きはがした。ハスは僕の拘束の中で大暴れし足で壁に穴を開けこぶしで車窓を割った。列車が急に暗闇の潜り込んで、あたりが真っ暗になってからもハスは暴れ続けた。ハスを抑えるための僕の力が0になりかけたその時、暗闇が列車から剥がれて光が戻ってきた。すると、ハスも急に大人しくなる。

 「ごめん。ごめんよ」

 ハスは手の甲で涙を隠しながらそう震えた。

 僕は空間を噛んだ。そうしてできたできものみたいな腫れが後列車両へと捌けていく。

 「どうしたんだよハス?」

 僕の声が後列車両から響いた。

 ハスは首をぶんぶん振りながら「どうしたとかじゃないんだよ。みらび、髑髏の首が折れたんだ」


 ゲホゲホとサーヤが首を押さえて咳き込んでいる。その咳を追いかけて咳切虫が半透明なひし形を連ねながら車窓の外へと飛び出していった。毬玉が三日月みたいに凹んだ腹でサーヤを抱いて癒している。そんな様を横目に僕はハスを部屋の外へ連れ出した。


 僕は空間を噛んだ。空間の歯型が廊下を後ろに滑っていく。

 「ハス。タイミングは今じゃない。わかっているだろ?」

 押し殺した僕の声が遅れて廊下の後ろから聞こえてくる。

 ハスは首を振りながら、「わかっている。わかっているさ。でもね、みらび髑髏の首が折れたんだ」

 ”みらび”

 ハスは時折、奇行に走ることがあった。今回みたいに、発作的に暴れだしたりすることもあれば難しい数学の本を読みながらまるでそれが滑稽本であるかのように笑い出したり知らない人に「君が好きだ」といきなり告白したりとにかく行動と感情が一致しない様子がよく見られた。

 そのたびに僕やサーヤは「どうしたの?」とハスに尋ねるのだがいつも「みらび」という言葉を頭につけて全く関係ない事柄を述べるんだ。僕とハスは長いけど、みらびという言葉が何を表すのか僕はいまだにわからない。何かしらの、接続詞であることは確かだけれど本人に説明を求めても「答えたくない。」と断られ、しまいには「なんでわからないんだ?」と逆に詰られる始末だった。

 ハスは息を整えて落ち着いたかと思うと今度は腹を抱えて笑い出した。ハスは廊下に背を転がしてまるで狂ったコマのように笑い続けた。こうなったら、僕やサーヤや毬玉が何を呼び掛けてもハスはどうにもならない。害がなさそうならほっておくのが正しい選択だった。

 僕は空間を噛んだ。そして、僕はサーヤたちがいる車室へと帰っていく。僕の歯型が廊下を滑っていき声が遅れて届く。

 「ハス。先に部屋に戻っているからね。もう一度言うけど、今じゃない。」

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