カリカリポテト消失事件
寄辺なき
カリカリポテト消失事件
「ない……あえて残しておいたカリカリポテトがない!!」
ここは某有名ハンバーガーチェーン店のボックス席。
確かにあったはずのそれが失くなったことに気づいて、僕はなりふりかまわず嘆きの絶叫を響かせた。
当然、周囲から注目を浴びる。
けれど、僕以上に視線を集めたのは、向かいの席に座っているクラスメイトの女子だった。
「……ぐすっ」
少々ぶかぶかな制服に身を包んだ小巻さん。
彼女へ向けられるのは、哀れみ、それから同情の目線だ。
『見ろよあれ』
『痴話喧嘩かしら』
男女二人だけのボックス席。片方は怒っていて、もう片方は泣いている。傍目から見たら僕が悪く映ってしまうのも無理はない。やがて、周囲の人々は目を三角にして僕を言葉なく叱責し始める。
小巻さんの見た目が実年齢より幼いというのも拍車をかけているのだろう。僕が無罪を主張したとしても、信じてくれる人は皆無に違いない。
これ以上騒ぎになるのはまずい。
「急に大きな声を出して悪かったよ」
あくまで僕は体裁を保つために彼女を慰める。
本心から自分が悪いと思っているわけではない。
非情な男に思われるかもしれないが、僕らの出会い方からして、小巻さんは同級生の男から詰め寄られたぐらいで泣きべそをかくような玉ではないとだけ言い訳させてもらう。
親身に声をかけ続ける僕の姿勢が評価されたのか、僕らへの注目はしだいに薄まっていった。
店内が再び平穏を取り戻した頃、涙をひと拭いした小巻さんは、笑みを浮かべて言った。蠱惑的な表情だ。
「大森くんは、カリカリのポテトと、シナシナのポテト、どっちが好き?」
「……う」
回答に困ったのはなにも答えに迷ったからではない。小巻さんがよくないことを考えているときの顔をしていたからだ。経験上、この無邪気な笑顔のときは確実に何かしら企んでいる。
「どっちが好きなの?」
追い打ちをかけるように小巻さんは繰り返した。
僕はどうにか言葉を絞り出す。
「えっと、僕はもちろんカリカリだけど、小巻さんは?」
深く頷いて小巻さんは言う。
「うん。私もカリカリの方が好きなの」
果たしてこの会話になんの意味があったのだろうか。
さっきまで涙を浮かべていた小巻さんはどこへやら。ただひたすらに、不穏な笑みを湛えている。
あ、そういえば。
「僕のカリカリポテト知らない?」
「大森くんのカリカリポテト?」
さっき僕の声を聞いていただろうに。
「うん、さっきまであったカリカリポテトがなくなっていたんだ。トレーの上から」
「ふーん」
小巻さんはあんまり関心がないようだ。自分のことじゃないから、まあしょうがない。そのことに僕もとりわけ腹を立てたりしない。僕らはそういう関係なのだ。
このことについて僕はもう話を終わらせようと思ったけど、小巻さんは違ったようだ。
「もしかして、私が食べたんじゃないかって疑ってる?」
僕は思わず体を動かしてしまった。いわゆる図星というやつだ。小巻さんの瞳はその間も絶えず僕の顔を射抜き続けていて、僕は正直に話す他なかった。
「僕がうっかり食べたとかじゃなかったら、その線が濃厚だと思っている。だって小巻さん以外に手が届く位置にいる人がいないからね。僕はずっと席を外してないし」
似たような状況に陥ったら誰もがそう考えるだろう。
「でも、大森くんは私が食べたところを見ていないんだよね」
そうなのだ。スマートフォンの画面に夢中になっていたか、上の空だったか覚えていないけど、テーブルから目を離した隙に、カリカリポテトがなくなっていた。決定的な瞬間を僕は見逃してしまっている。
「僕の不注意が原因だから誰も責められないな」
「私もカリカリ派だから、大森くんの気持ちはよく分かるよ」
ここで君が食べたんだろ、と根拠なく糾弾するのは簡単だ。でもそんなことは僕の良心……いや正直に言おう、僕のプライドが許さない。
とはいえ、証拠といえる証拠を僕が持ち合わせていないのも事実だ。
手も足も出ない状況だったが、小巻さんはなんと僕へ助け舟を出してくれた。
「一つ思ったのだけど、大森くんが最後まで残そうとしていたのだからお目当てのそれは、とってもカリカリしていたんでしょ。お口の中に入れて噛んだとしたら、カリッと音が鳴らない? それこそ近くの人にも聞こえるくらいの音が」
目から鱗が落ちるとはまさにこのことだろう。
小巻さんはすでにポテトを食べ終えていた。目を離している間に、小気味よい音が聞こえたとしたら、少なくとも誰か盗んだ犯人がいることになる。
でも……
「うーん。そんな音聞こえたかなぁ」
「私も言ってみたはいいけど、鳴った覚えはないの」
結局手詰まりだ。
このままお蔵入りになると考えると、ちょっと悔しい。必死に頭を回転させる。
どうやら僕の頭はまだ錆びついていなかったようだ。
「僕も一つ思いついたんだけど、犯人が僕のカリカリポテトをくすねた後に、口の中に入れっぱなしにしていたらどう? 食べたことと、音が鳴らなかったこと、どっちも両立するよね」
小巻さんは顔を青くする。
それから、怒っていることを示すように頬をわざとらしく膨らませた。その状態で器用に口を尖らせて僕をにらむ。
「大森くん、ひどい」
僕なにかやらかしたっけ。
「何も分かっていなかったのね。カリカリ派じゃなかったの?」
ここまで説明されてようやく気づいた。とても大切なことを見落としていた。口の中に入れっぱなしにしていたら、唾液でカリカリさが損なわれてしまう。果たしてそのような暴挙を、カリカリ派である彼女が許すのか。僕でもわかる。ありえないと。
そもそもカリカリが食べたくて手を出したのに、味わおうとしなくてどうするんだ。
「疑って悪かった」
「いいよ」
でも、小巻さんが食べていないとしたら、僕のポテトはどこへ。
さすがに第三者が取ったら僕らのどちらかが気づくだろうし。現実的じゃない。
これとは別に、謎がもう一つあったのを思い出す。
「そういえば、小巻さんはさっき何で泣いていたの?」
なんてことないように彼女は言う。
「びっくりしちゃったの」
びっくりしたのは本当だろうから疑うつもりはない。でも、びっくりして泣いたというのは、やっぱりにわかに信じがたい。僕が出した声だって、決して小巻さんへ向けたものではないのだ。それだけで、あんなに悲しそうに泣くなんて。
……悲しそう?
はたと思いついた。
「いくつか確認してもいい?」
「確認? なにかあったの?」
小巻さんは小首をかしげた。
「うん。僕のカリカリポテトが失くなった件だけど、ちょっと思うところがあってね」
「問題ないよ。なんでも聞いて」
確認といっても、難しい質問は何一つしない。これまで出た情報をまとめて、総ざらいするだけだ。
「じゃあさっそく。小巻さんは本当にカリカリのポテトが好きなのかい?」
「何度も言ったでしょ。私はカリカリ派よ」
よかった。この前提が間違っていたらすべてが破綻するところだった。
「次に、口の中にまだポテトが入ったままじゃない?」
小巻さんは手のひらを支えにして、テーブルの上に身を乗り出した。
「ほら、ふぃう」
何をするのかと思ったら、もう片方の手の指を口に引っ掛けて、中を僕に見せてきた。いきなりの出来事で直視できない。ジェスチャーを駆使して彼女をどうにか元の場所に座らせる。
「そこまでしてくれなくてもよかったのに」
「でも、口の中に残ってないのはよくわかったでしょ」
目をそらすのが間に合わなくて、数瞬だけまじまじと見つめてしまったのに気づいていたらしい。実際は観察する余裕はなく、歯並びがいいなと思うので精一杯だった。
でも、材料は十分にそろった。
「小巻さん」
「なあに」
小巻さんは、いまにも探偵役に指を差されようとしていることに気づいているのだろうか。そんなはずはないのだけれど、あまりにリラックスしているので不安になる。
「ふふ」
いや、彼女は待っているのだ。自らの悪事が暴かれる瞬間を。
ならば遠慮なく言わせてもらう。
「小巻さん、うまくくすねたものが自分のものになる寸前で転げ落ちていった気分はどう?」
「ぅ~~~ッ」
小巻さんは再び泣き出してしまった。
握りこぶしを両膝に押し付け、目尻に涙を浮かべている。
「あまりに魅力的で、がまんできなかったの」
これが彼女の言い訳らしい。
つまりこういうことだ。
小巻さんは僕の目を盗んでトレーの上のポテトの中から、僕が意図的に手をつけずにいたカリカリのポテトをくすねた。そうして手に入れたポテトを口に入れた瞬間、運悪くタイミングが噛み合った僕の大声に驚いて、あろうことか、カリカリのポテトを噛まずに飲み込んでしまったのだ。
カリカリの食感を味わうことなく飲み込んでしまった彼女を襲った喪失感は、想像に難くない。
僕へ挑戦的な物言いをしたのも。音について言及してミスリードを誘ったのも。すべては鬱憤晴らしをしたかったからだろう。
人間に対してはどこまでも冷酷になれる小巻さんだけど、食に関してはめっぽう弱い。そのときの彼女の心境を想像すると、泣いてしまうのも仕方がないといえる。被害者は僕なんだけど。
小巻さんの完全なる自業自得だ。
とはいえ、彼女をこのまま放置するのも気が引ける。
僕は席を立って、レジの方に体を向けながら、顔だけを振り向かせた。
「食べたりないからもう一個ポテト買ってくるよ。小巻さんもどう?」
小巻さんは満面の笑みを浮かべた。
「ありがと、大森くん」
カリカリポテト消失事件 寄辺なき @yoruyorube
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