第7話 ぬいぐるみの鬼 七
夕方。南の区域の裏路地で白狼会の男三人が酒を飲みながら談笑していると、若い男が近付いて来た。
「よお。あんた達白狼会のメンバーだろ?」
「あ? だったら何だ?」
ロキは何気なく歩いて来て男達に触れると次々とぬいぐるみに変えた。
「え? あれ?」
「なんだ?」
ロキはぬいぐるみの首を落とすと何事も無かったかのように通りに出て行った。
入れ替わるように別の一人が路地裏に入って来て、ぶつかりそうになった男が声をかけながらすれ違った。
「おっとごめんよ坊や」
「いや」
男が路地裏に入ると強烈な死臭に顔をしかめた。
「うっ! 何だこりゃあ……おい!」
ロキは声を聞いて走り出し、男もすぐにロキを追い掛けてくる。
「待ちやがれてめえ!」
男の前でロキが通りを曲がり、男も曲がると仲間が男に気付いた。
「おいどうした!?」
すれ違ったロキを見ながら男に叫ぶと、走っていた男は仲間に叫んだ。
「奴を止めろ! 仲間を殺りやがった!」
「なんだと!?」
「待ちやがれ!」
ロキを追いかける男が三人に増えた所で、ロキは樽が積まれている荷馬車に跳び乗るとぬいぐるみになって布の張ってある屋根によじ昇り、屋根からさらに隣の建物の屋根に向かって跳ぶと空中で人間に戻り、屋根に着地して走って行った。それを目撃した白狼会の男達は立ち止まって目をこすった。
「ん? な、なんだ? 俺なんか今目が……」
「お前もか? なんか今あいつ変じゃなかったか?」
「あ、ああ……」
ロキが屋根の向こうに消えると、男達は気を取り直した。
「あっくそっ! 向こうにまわれ! 絶対に逃がすな!」
ロキが飛び降りて走り出すと、騒ぎを聞きつけた男達が新たに二人ロキの前に立ち塞がった。ロキは止まらず間合いを詰めると男達をぬいぐるみにして掴み、二体の首を切り離して走りながら茂みにばら撒いた。
「いたぞ! あそこだ!」
先程の三人が角から出て来てロキを指差した。
「くそっ待ちやがれ!」
ロキは突き当りの家の小さな窓にぬいぐるみになって飛び込んだ。中では老夫婦が夕食の準備をしてちょうどテーブルに座った所だった。テーブルの上に着地したロキは老夫婦が見ている前をそのまま走り抜けて反対側の窓から飛び出して行った。
驚いて固まっている老夫婦の家に男達が押し入った。
「おいジジイ! さっきのガキはどこ行った!?」
「え? ああ……なんか今ぬいぐるみみたいなのがそこを駆け抜けて行ったがの……」
「ボケてる場合じゃねえんだよ! ガキだよ! どこ行った!?」
老婆が首を傾げながら窓を指差すと男達は舌打ちしながらバタバタと窓から出て行った。
ロキはその後も小競り合いを繰り返しながら区画内の逃走を続けた。交戦して違う道に出た途端に新たな別の敵に見つかり、なかなか振り切る事ができない。空は薄暗くなって来ていた。
「けっこういるんだな白狼会ってのは……おっ」
走るロキの前に今までより一回り大きな敵とリヤカーを見つけた。
「ちょうどいいなお前」
「なっなんだてめ……!」
ロキは男をぬいぐるみに変えて掴むとリヤカーの手すりに足を乗せ、男を荷台に向かって放り投げた。空中で男を人間に戻すと同時にロキはぬいぐるみになり、男が荷台に落下するとドカンと音を立てながら跳ね上がった手すりがロキを天高く吹き飛ばした。
白狼会がロキの追跡を諦めた頃、一日の労働の終わりを告げる教会の鐘の音が鳴り出した。やがて夜の闇が街を覆いつくすと、鍾塔からぬいぐるみが飛び降りた。
「まだザングを殺った奴は見つからねえのか?」
荒れた小さな図書館の二階に広い閲覧室があり、その中心には大きな机が置かれている。机の上に座って酒をグイッと飲んだスキンヘッドの男が瓶を投げ捨てた。乱雑に床に散らばった本達の上にボスッと乗り、飛沫が開かれたページを濡らした。取り巻きの男が頭を掻いた。
「それがどうもその辺のガキに殺られたって話なんですよ」
「だからその辺のガキが何で見つからねえんだ? すぐ引っ張ってくりゃいいじゃねえか」
「最近来たガキらしくて、知ってる奴がいないらしいです」
「チッ!」
夜の激しい雨音が会話を妨げようと窓を打ち付けてくる。一階にも本が置かれているスペースがあり、受付は空っぽで、本棚の間を縫うように白狼会の人間が何人か歩いて警備をしていた。最も白狼会の人間がウロウロしている建物にわざわざ来る馬鹿はいない。警備の人間も欠伸をしながら本達につまらなそうな視線を注いだ。二階の閲覧室は扉がある方向以外の全ての壁に窓があり、雨の音が余計に大きく感じる。
「このままじゃ将軍に示しが付かねえな」
スキンヘッドの男が机から立ち上がり、窓際に行くと外の雨を眺めた。今日は風も少し吹いていて、時折窓ガラスが音を立て、隙間風で机に置かれた蝋燭の火が揺れる。窓ガラスに立つと男の姿を蝋燭の明かりがぼんやりと映した。
「東の連中はどうした?」
「特に連絡はありません」
「あいつら自分のシマで起きたのに何やってんだまったく」
蝋燭の火が再び揺れた。
「来週将軍が遠征から戻って来るんだぞ? 何て報告すりゃいいんだ? このままにしておけるかよ。東の連中にももう一回喝を入れておけ!」
返事が無かった。
「おい! 聞いてんのか?」
スキンヘッドの男が振り返ると、いつの間にか机の向こうに茶色の布のローブを来た男が立っていた。フードを被り、陰になって顔はよく見えない。蝋燭の明かりの向こうでローブの裾から水滴がポタリと落ちた。
「東の奴等ならもういないぞ」
ローブの男がボソリと呟いた。
「だ、誰だお前?」
「ボ、ボス……」
取り巻きの男の震える声がどこかから聞こえる。
「どこだ? ダンをどこにやった?」
ローブの男の近くからダンの声が聞こえるが姿は見えなかった。男は机を見やり、雑に置かれた本のうちの一冊を見た。開いて置かれた本のページには卑猥な画像が描かれている。
「お前等は所詮こんな本しか読まないんだな」
「てめえかザングを殺ったのは」
スキンヘッドの男は腰の剣を抜いた。男は丸腰なのに剣を見て動揺する素振りも無い。スキンヘッドの男は背中に冷たい汗をかいた。
「将軍が戻って来るんだって? 奴はどこでお前等に会うつもりなんだ? 場所は聞いてるのか?」
そう言って男が本を静かに閉じると突然男の姿が消えた。
「!?」
スキンヘッドの男は反射的に剣を構えた。気配も消え全く足音がしない。スキンヘッドの男は左右に気を配ったが男の姿は無い。ほんの僅かに衣擦れのような音がして反射的に音のした方向を見ると、机の下から自分の右足の方に向かって、先程のローブの男にそっくりなぬいぐるみがゆっくりと歩いて出て来る所だった。スキンヘッドの男がギクリとして周りを見ながら叫んだ。
「な、何だこりゃ! て、てめえふざけてんのか!?」
周りとぬいぐるみを交互に見る。ぬいぐるみはトテトテと少しずつ歩いて近付いて来る。
「く、くそ! 来るんじゃねえ!」
すぐ側まで近付いて来たぬいぐるみをスキンヘッドの男は蹴飛ばそうとした。その瞬間ぬいぐるみは歩きながら元の人間に戻り、スキンヘッドの男の右手首を掴んだ。
「え?」
そして気が付くとスキンヘッドの男の目の前に巨人の足があった。なぜか体が動かない。右手に持っていた剣はペラペラの布になっていた。なんとか視線だけを動かし、上を見るとフードの巨人が自分を見下ろしていた。
「な、何だ? どうなってる?」
巨人の顔をよく見るとまだ少年だった。
「どこで会うのか聞いてるのか? どうなんだ?」
ロキはスキンヘッドのぬいぐるみを持ち上げると机に置いた。
「あいつどこやったかな? ああいたいた」
ロキは少し歩くと蹴飛ばされて壁の方に転がっていたダンと呼ばれた男のぬいぐるみも持って来てスキンヘッドのぬいぐるみの横に並べた。
「早く答えろよスキンヘッド」
ロキは床に落ちていた有名な本を見付けると手でホコリを払って椅子に静かに座った。ロキを見上げながらスキンヘッドはダンの手前、ギリギリの所で踏み止まって強がった。
「てめえ……白狼会に弓引いてただで済むと思ってんのか?」
ロキは本をパラパラとページをめくりながら答えた。
「お前等はそればっかりだな。いちいちビビると思ってんのか? 殺るか殺られるかの話をしてんだよ。さっさと俺の質問に答えろよ面倒くせえ」
脅されてもロキは平然としている。
「そっちの金髪はどうだ? 何か聞いてるか?」
ぬいぐるみのダンはすっかり狼狽えていた。
「あ、ああえっと」
「おいバカ! 言うんじゃねえ! 将軍に殺されてえのか!」
ロキはため息をつきながら小さなカバンから裁ちバサミを取り出した。そしてスキンヘッドのぬいぐるみの首を裁ちバサミでジョキンと切り離した。ぬいぐるみの頭がポトリと机に転がると、さっきまで騒いでいたスキンヘッドのぬいぐるみは急に静かになった。ロキは持っていたぬいぐるみの胴体をダンの目の前に置いた。横になったスキンヘッドのぬいぐるみの頭がダンをじっと見ている。異様な形で命を無慈悲に刈り取られた様子を見てダンは恐怖に息を引きつらせた。
「ひ……ひ……」
「なあダン。お前等白狼会は将軍を後ろ盾にしてさんざん好き勝手やってただろ。裁かれる時が来たんだよ。将軍は俺達が倒す。分かるだろ? お前等はもうすぐ死ぬんだよ。でもお前が今ここで将軍と来週会う場所を教えてくれるなら生かしてやってもいいと言ってるんだ。俺の言ってる事はそんなに難しい事か?」
ダンの表情は変わらないが人間の姿だったらおそらく今泣いているのだろう。そのくらいロキの追い詰め方は容赦が無かった。
「お前は場所を知ってるんだろう? 言っておくがここで喋らないならお前をアジトに持ち帰ってじっくりと話を聞かせてもらうぞ。今ここで喋らなかった事を死ぬ程後悔させてやる。人間の形で死ねると思うなよ」
ダンは生き延びるための選択をした。
「お、俺達の担当は将軍じゃなくて、ジュードっていう男がいて、中心街の劇場でそいつと会って仕事の上がりとかそういうのを定期的に報告をする事になってます」
「ジュードってどんな奴だ?」
「他国で山賊として暴れ回っていたらしいです。将軍が遠征した時に出会って雇ったとかって」
山賊みたいな男。ロキは木の穴を覗いて来た男かもしれないと思い至った。
「たまにしか将軍は俺等には顔を見せません。たいていはジュードに報告してそれで終わりです。将軍は東の連中にはよく顔を見せてます」
ロキは舌打ちした。
「マジかよ。向こうを先に潰すんじゃなかったぜ」
ダンはロキの言葉を待っている。
「み、見逃してくれるんですよね?」
「もう一つ。少し前にここから西にあるキャンプを将軍が襲撃した事は知ってるか?」
「は、はい。俺も行きましたから」
「何?」
「白狼会も一緒に行ったんですけどあいつら大して金も持ってなかったし別に行く事無かったなって。俺が逃がしちまったガキが見つからなくて」
ロキの顔が見る見るうちに険しくなって来た。
「それで俺が追い掛けて森に入った……んですけど……」
フードに隠れていたロキの顔をまじまじと見てダンの顔が青ざめた。
「あれ? なんか……」
「お前がラナの父親を殺したのか?」
「ち、違います! 違います! 俺じゃない! や、やだなあ俺調子こいちゃったよ! 悪ぶっちゃってもう! 本当はここで留守番してて! 森には行ってませんよ! あんなに大規模なキャンプの襲撃に俺なんて小物を連れて行ってくれる訳無いですよ!」
「行ってないのにどうしてキャンプの規模が分かるんだ?」
「あ……」
ダンは取り返しのつかない事を喋ってしまった事に気付いた。
「お前が殺したのは俺の恋人の父親だよ。まったく大した悪党だ。ブルッちまうぜ。よりによって俺にベラベラそんな事を喋っちまうとはな」
あまりの怒りにロキがヒクヒクと笑うような顔で話している。
「お前をラナに会わせてやらないとな」
「あ……あ……」
「お望み通り生かしといてやる。ラナが満足するまでな。ラナが好きな時にここに来てお前を好きなだけ解体できるように」
ロキは紐でダンの手足を縛って身動きが取れないようにした。ダンはあまりの恐怖に気が狂いそうになった。ロキは立ち上がって閲覧室の出口に向かって行き、振り返って笑った。蝋燭の炎で心底嬉しそうな顔が浮かび上がった。
「ラナが望むタイミングでお前を人間に戻してやる。楽しみだよ、その時どんな苦痛がお前を襲うのか」
「や、やめてくれ……お願いだ……俺が悪かった……」
ロキは静かにフッと息を吹きかけ蝋燭の火を消した。暗闇の中でダンだけを残し、ぬいぐるみの残骸が転がる夜の図書館にいつまでも雨が打ち付けていた。
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