夕焼けの帰り道


 何だか疲れがどっと出て、6限の数学の授業は寝て過ごした。


そして、誰も起こしてくれないまま……気がついたら放課後になっていた。


カラスの鳴き声で目を覚ますと、窓の外はもう夕暮れ。


人っ子ひとりいないクラスの中で、俺はのそのそと立ちがった。


ぐっすり睡眠をとったため、やけにすっきりした頭で校門を出る。


遅い時間とはいえ、まだグラウンドでは野球部や陸上部が練習をしていたし、吹奏楽部の練習の音も聞こえてくる。


皆、夏の大会に向けて頑張っているのだろう。


ただ惰眠のために居残っていたのは俺くらいだ。


そんなことを考えていると、ふとクダラノで見た最後の風景が思い出された。


薄暗い共同安置所、光の中で舞う埃、横たわる3人の少女達。


ひと眠りしたせいで余計に遠い昔の出来事に感じるが、まだあれから数時間しか経っていない。


それが、なんだか不思議なかんじがした。


「あれ、亜汰流?」


そんな自分を可笑しく思っていると、背後から声をかけられる。


振り返ると、竹刀袋を担いだ天野 碧子がこちらに手を振っていた。


「お、おう」


美女3人組と呼ばれる一角。

まばらに歩いていた他の生徒の注目を集めるが、当の本人はそんなことは気にしてないらしい。


「いま帰り?」


屈託のない笑顔が、自然に俺の隣へと駆け寄る。


「まあ」

「もしかして、あのままずっと寝てたの?」


楽し気に笑う黒い大きな瞳と黒く長い髪。


今風ながら大和撫子的な雰囲気もあり、校内はもちろん学校外の男子達からも大層人気があるらしい。


「天野……は、何でこんな時間まで?」

「碧子」

「……碧子は、何でこんな時間まで?」


言い争うのも面倒なため、素直に従うことにした。


「部活」


彼女の答えは簡潔だった。


確かに言われてみれば制汗剤の良い香りが微かに漂っている。


「ああ、剣道部なんだっけ?」

「そう。亜汰流は知らなかったみたいだけどね」


イタズラそうな流し目で言われ、榎がバラしたのだと察しがついた。


「他の奴等は何の部に入ってるんだ?」


話題を変えようと、どうでも良いことを尋ねてみる。


このD高では、生徒は必ず何らかの部活かクラブに所属しなければならない。


ちなみに俺はオカルト研究会という名の帰宅部だ。


「廣花は家庭科クラブで、茜は将棋部」


しかし、返ってきた返答はどちらも意外なものだった。


「両方イメージじゃないな」

「そう? 廣花はああ見えて料理上手だし、茜は趣味が競馬と野球と将棋なの」


榎はいいとして戸田は日曜日のおっさんかよ。と思ったが、また本人に告げ口されそうなので黙っておいた。


「碧子は、部活の後も自主練とかしてるんだ」

「え?」


特に深い意味なく尋ねた言葉だったが、いつの間にか並んで横を歩く碧子は驚いたように俺を見る。


「いや。竹刀袋持ってたから、そうかなって思っただけで」


彼女の左肩にかかった布製の袋を指さすと、その顔は更に不思議そうに眉を寄せる。


「亜汰流って剣道やってた? 普通の人は竹刀袋なんて言葉知らないでしょ」


逆に聞かれたが、別に隠すことでもないので素直に俺は頷いた。


「ガキの頃だけど、じいちゃんに教わってた」

「おじいさん?」

「隣町にある佐貫剣道道場。あそこの道場主なんだよ」


つまり俺の母親の父にあたる人だ。


その名には碧子も聞き覚えがあったらしい。


「知ってる。私の通ってる道場でも出稽古に伺うことがあるの」

「そうなんだ、俺は今は全然やってないけど」


代わりにゲームの中でアマテラスとして刀を振り回していると知ったらじいちゃんは泣くだろう。


「どうして やめちゃったの?」

「特に理由はないけど。俺が子供の頃に母さんが死んで、そのまま何となく」


なるべく軽く言ったつもりだったが、やっぱり碧子の表情には影が差した。


「ごめんなさい」

「いや、別に昔のことだし」


本当に強がりではない。


確かに母さんがいなくなったことは今でも悲しいけれど、きちんと自分の中で消化は出来ている。


「ていうか、謝るのは俺のほうだよな」


そんなことを言うと碧子は首を傾げて俺を見た。


「謝る?」


実は、ミドリコが迷いなく刀を振り下ろす姿を見てから、ずっと考えていた。


「あんだけ動けるなら、クダラノでバトルもやってみたかったんじゃないか?」


それを俺が、女の子は戦うのは好きじゃないと決めつけて違う方へ誘導してしまった。


「ああ」


その意図に気づいたのか、夕陽に照らされた唇が小さく呟く。


「まあ、興味があったのは確かだけど。でも私は皆とワイワイできたのが一番楽しかったよ」


そして、顔を上げた時の笑顔に嘘はないように見えた。


「それなら、良かったけど」


そこまで言いかけ、俺はちょっと立ち止まった。


この先の言葉は、言っても良いものだろうか。


「どうしたの?」


数歩先に行ってしまった碧子が、くるりと俺を振り返る。


その体の向こうに広がる空は、もう夜の色に近づいていた。


「……いや」

「なに、言ってみて」


けれど、深く考える必要なんてないのかもしれない。


元々は、一生関わるはずのなかった相手。

俺の勘違いなら、またその関係に戻るだけのことなのだから。


「あの、碧子が良ければだけどさ。また、一緒にクダラノに行かないか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る