12.右傾化の仕組み

いきなりだが、幸福には二つの種類が存在していると思う。

それは相対的な比較の幸福と、絶対的な自己完結の幸福だ。

前者は他者との比較から感じられるものだ。

例えば、極端な話、戦乱の中に在れば生き残っているだけで幸福であろう。

なぜなら周りに転がっているたくさんの死体と比較すれば自分はまだ幸せだからである。

また、食うに困る時代なら、お腹いっぱいになるだけで幸せだし、物がない時代なら生活必需品を持っているだけでじゅうぶんに幸福を感じられるはずだ。

だが逆に、いくら食べ物がたくさんあっても、生活が物で溢れていても、皆が同じ状態であれば幸福は感じない。

例えば、日本が一億総中流だった時代には皆食うに困らず、欲しいものも誰でもある程度手に入ったため、そこに特別感はなかっただろう。

すると人々は今度はお金で買えないもので他者との差別化を図った。

すなわち、恋愛や宗教への依存である。

豊かさを極めたバブル期を頂点に精神的価値を求める新興宗教ブームがあったのもそのためであるし、邦楽の歌詞がうるさいほどラブソングばかりなのもそのためだ。

トレンディードラマもアホみたいに恋愛の話を量産しているし、いい加減よく飽きないものだと思う。

これらが流行る理由は簡単で、それに浸っていれば金銭や物質に依らない特別感を得られるからだ。

宗教にハマれば、まだ心理に近づけていない異教徒や無神論者を上から目線で憐れむことが出来るし、恋愛は当人たちにとっては特別な関係であるので、どちらも幸福な「少数者」でいられるのだ。

しかし、その比較の幸福は、どの観点から見ても他者に対して優位性を見いだせない存在をも生産する。

一億総中流だった時代にも下層階級は存在したし、私みたいにどうしても神を信じられず、どんなに頑張ってもモテない人間もいるのである。

そういう人間は、他者との比較に幸福を求めなくなれば健全である。

例えば、良い文章を書きたい、あの山に登りたい、美味しいものを食べたい、そのように自己満足に幸福感を得られれば、いくら自分が惨めな存在であったとしても、それを意識して卑下することはないだろう。

しかし、世の中にはそういう自分が好きなものも見つけられず、どうしても他者との比較からしか幸福感を得られない人間もいる。

そういう人間はもがき苦しみ、なんとか自分より下の「多数派」はいないだろうか探し続けるのである。

そういった人種が得てしてたどり着くのが国粋主義だ。

つまり、自分と同国人を比較するとどうしても惨めになるので、今度は自分と外国人を比較し始めるのだ。

「中国人に比べたら俺は幸福だね。中国人は悪い政府に支配されている。本当、日本人に生まれて良かった」

「韓国は本当に惨めな国。オリジナリティがなくて歴史は嘘で塗り固められている。日本で良かった」

この様な妄執を以って無理矢理幸福感を模索していくわけである。

「日本はすごい、俺は日本人、だから俺もすごい」

という小学生でも失笑するような雑な三段論法である。

こういう優越感からくる幸福感は明らかに自分と関係がない国との比較では得られない。

例えば、アフリカ某国の難民と自分を比較しても、存在が遠すぎて比較にリアリティが生まれないのである。

比較はあくまでもある程度近しく、自己が所属する特定のカテゴリに属している存在がターゲットとされる。

そういう意味では同じアジア人であり、ある程度の文明フォーマットを共有している中韓がよくターゲットとされるというわけだ。

こういう人間はだんだん自分が日本人であることが唯一の誇れる部分となっていき、やがて国家と自分を同一視し始める。

日本人が偉業を成せばまるで自分が偉くなったかのように気分が昂揚し、日本が貶されればまるで自分自身が貶されたかのように激怒しする。

やがて日本を褒めて他国を蔑むのがライフワークとなっていくのだ。

そして最終的には自己と国家は一蓮托生の様に思うに至る。

そこにはもう個人の生活など些細な事象は存在せず、価値の創出と維持は国家規模で他の日本国民が勝手にやってくれるのである。

社会の底辺層であり、異性にも相手にされない連中は、こういう構造に活路を見出していくことが多い。

しかしこういう愛国者は本来の愛国者ではない。

本来の愛国者とは、郷土であるとか、そこから繋がる地域社会であるとか、実生活と地続きの部分へ愛情を抱いている。

(かつて日本はこのカントリーに対する愛国心を理由にガバメントに奉仕させた過去があるので、一口に愛国心といっても郷土愛由来のものを指す場合と国家に対する忠誠心を指す場合があることに留意する必要がある)

もしくは日本独自の文化に造詣が深く、それを愛してやまないという気持ちからくるものもある。

しかし底辺層の愛国者は日本の優れた部分だけを自己の価値として取り込むだけなので、その愛国心は実生活に即したものではなく、また日本文化に深い理解があるわけでもない。

つまり彼らの愛国心はとても浅薄なものとなる。

以前日本人の精神性は中韓に比べて秀でている等と意味不明なことを言ってくる自称愛国者に出会ったことがあったので、試みに「貴方は万葉仮名が読めますか?万葉集で一番好きな和歌を教えて下さい」と聞いてみた。

それに対し相手は「それと私が言ってることと何の関係があるのか?」と聞いてきたので、「日本人の精神性を語るのに万葉集も読んでないのですか?一体日本人の精神性の何を理解しているんですか?」と言ってやったら完全に沈黙した。

こういう手合が最近増えてきた右傾化している連中なのである。

ではなぜそういう連中が増えているのか。

それは日本が貧しくなっているからである。

つまり、現在の日本人はかつて高みにあった時代の「普通」のハードルを超えることが難しくなって来ており、心の中にまだ存在する普通の日本人と自分を比較することに惨めさを感じるようになってきたのだ。

若者は肌感覚として現在の普通の日本人がそんなに豊かでないことを知っている。

なのでそんなに右傾化している感じは見受けられない。

問題は中高年層の右傾化だ。

彼らはまだ身の丈に合わないハードルを見つめており、それを超えられない自分が負け組だと認識している。

更に、未だ中韓現在どの様に発展したのかの情報がアップデートされていないため、20年ぐらい前の感覚で中韓を見下している。

現実では中国人は自転車ではなく自家用車と地下鉄・バスで通勤しているし、韓国はポップカルチャーでアジアをリードし、日本の若者は韓国人の真似をしているのだ。だが、そんなことは右傾化した中高年には到底認められない。

こうなると、彼らはもう架空の時空で生きているに等しい。

徹底的に見たくない現実を無視して、自分が気持ちよくなれる情報だけに触れて生きているのだ。

そして、こういう層が増えてくると社会に実害をもたらすようになってくる。

例えば、彼らが日本を「より自慢できる存在」として高めてくれると期待して特定の保守政治家を支持し始めると非常に困ったことになるのだ。

なぜなら、彼らの票を得るために政治家が彼らに迎合した公約を作り始めた場合、彼らの妄想の中にある「すごい日本」という架空の存在が、あたかも実在しているかのように扱われてしまうようになるからだ。

これでは20万円しか給料がないのに50万円給料があると思い込んで生活するようなものである。

そんなもの絶対に維持できないし、いつか絶対に破綻がやってくる。

前世紀に大日本帝國が自分たちの実力を見誤って無軌道に戦線拡大したのと同じ失敗を21世紀にわざわざ繰り返す必要はないのだ。

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