魔法少女アサシン☆せつな

@rock_book373

第1話日本最強の殺し屋、クビになった

吉野殺奈よしのせつな、お前クビな」


 その事務所の中は蚊取り線香の匂いが充満していた。部屋の中にはいろんなゴミが散乱している。すでに読み終えて紐で縛った雑誌類の山、植物由来のカップ麺の容器の山、くちゃくちゃに丸めた大量の書類。とりわけひと目を引くのは、部屋の中央の低いテーブルに無造作に置かれた拳銃グロック。日本の銃刀法に喧嘩を売る凶器がその存在を主張していた。ブラインドの掛けられた窓から差す夕日が屋内を淡く照らす。その中で、ひとりの女性は目の前の執務机に向かう無精ひげの男性にそう告げられた。


 その女性の容姿は端麗のひと言に尽きる。腰まで長くたゆたう髪と双眸は黒曜石のような美しさだ。いくぶんか幼さを残す顔立ちは深窓の令嬢の麗しさに匹敵している。また、黒色のジャージに包まれたその肉体は、モデルと言い張られても信じてしまう抜群のプロポーションだ。


 まさに彼女は、誰も彼もが羨む絶世の美女だ。


 しかし、その彼女の可愛らしい顔から困惑の表情が浮かび上がり、たらりと冷や汗が流れる。無精ひげの男性に告げられた解雇通知が、よほど精神に深く突き刺さっているんだろう。


 吉野殺奈よしのせつなは、狼狽してしまう気持ちを必死に抑えながら、


「……黒木社長。私、なにか至らぬことをしてしまったのでしょうか?」


「……はあ」


 黒木社長は、げんなりするようなため息を吐いたのち、クリップで留められた書類の束をどさっと執務机に放る。


 三日前に暗殺したターゲットに関する事後処理代の書類だ。それを放った黒木社長は両腕を組みながら、


「この前の竹田組の組長の暗殺依頼、お前、ターゲットを含めた構成員全員皆殺しにしたよな?」


「はい。それのなにが問題なんですか?」


「問題おおありだ! どこの世界に暴力団を壊滅させた殺し屋がいるんだ!」


「ここにいますよ?」


「うるさい!」


 黒木社長はおでこに青筋を立てながら、右手を握り執務机に強く打ち付けた。


 そう、吉野殺奈はこの殺し屋事務所を経営している黒木社長に雇われた凄腕の殺し屋だ。


 その腕前は、日本の殺し屋業界のトップに君臨できるほどの切れ味を誇っている。


 どんな手段を使ってでも必ず暗殺することを信条としている彼女は、裏社会から恐れられている。


 たとえターゲットがどんな場所に潜伏していても、関係なくすべて暗殺してきた。


 あらゆる脅威に打ち勝ってきた彼女の暗殺術は、まさに前衛的なアートと言えよう。


 だが、彼女は最強ゆえに手加減を知らず、毎回ターゲットの取り巻きも皆殺しにしてしまう。黒木社長から必要最低限の暗殺に留めろ、と忠言されているのに。


 ひどいときは、事務所の備品のロケットランチャーを勝手に持ち出し、暗殺対象もろとも辺り一帯を吹き飛ばしたりした。殺奈の暗殺がニュースに取り上げられたことも。おかげで黒木社長の頭痛は全然治らない。


 まあ、殺奈的には叱られる筋合いはないと思っている。ちゃんとターゲットを暗殺しているから。


 ……それに、この事務所に送られる依頼のターゲットのほとんどは犯罪集団の要人。世の中を汚すゴミクズ野郎たちだ。


 つまり、ターゲットとそれに組する徒党を根こそぎ暗殺おそうじしてきた殺奈は、社会の役に立っている功労者なのだ。ボーナスをもらってもいい存在なのだ。


 しかし、黒木社長に殺奈の言い訳の念が通じるはずもなく、その無精ひげに覆われた口からぐちぐちと不満が流れ出ていく。


「……ったく、事後処理代だって馬鹿にならないんだぞ。おまけにお前は、いつもいつも事務所の備品を持ち出すし、お盆用のいなり寿司を勝手に食べるし……」


「……それで、退職金は?」


 クビの決定事項は揺るぎないモノになってしまっているので、とりあえず殺奈は去り際のお金をせびる。なにももらわずに辞めさせられる訳にはいかない。


 だが、


「ねえよ、そんなもん」


「……黒木社長、冗談が上手いですね」


「冗談じゃねえよ。……本来ならお前に事後処理代を請求してやりたいが、いままでの働きに免じてなしにしてやる。その代わり、退職金もなしだ。わかったな?」


 非情に告げられた支払い拒否の言葉。そのセリフは、殺奈の脳髄をバチバチと麻痺させ、思考能力を奪っていく。


 これから私はどうやって生きていけばいいの?


 一秒でも早く借金を返済しないといけないのに。


 そんな独白が頭の中をぐるぐると回り、視界が少しずつ潤んでいく。


 そのかわいそうな雰囲気を察した黒木社長は、どこか申し訳なさそうにしながら、


「……あー、そういえば餞別を渡しそびれたな」


 そう呟きつつ、黒木社長はおもむろに懐からタバコのパッケージを取り出し、それを殺奈に投げ捨てた。黒地に赤い三日月のデザイン。【BLOODY CRESCENT】と銘打たれている。殺奈の好きな裏社会流通のタバコのブランドだ。


「それ持って、とっととここから出て行け。……ああそれと、今日から人殺しはすんなよ。もうお前はここの従業員じゃねえからな」


 殺奈はそのセリフを聞いたのち、どうしようもない現実から目を背けながら、事務所から退室した。

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