第79話 それから・・・#2
小川を眺めていた視線そのままの、ぼんやりした感覚で新しい仕事に就いたルピナスがまず感じたのは、
ここに自分の敵はいない、ということだった。
それは、自分を精神的に追い詰めたり、成果の実現を邪魔してくる利害関係者が存在しない、という意味でもあったが、
それよりも、真に全身全霊を投入し、自分の限界を超越する試みによってしか達成し得ない仕事はない、という認識だった。
ルピナスは予定された、ないしは想定の範囲内の仕事を、彼が対応可能な範疇でこなしていけばそれでよかった。
仕事の量と、それに取り組む人員のバランスが良好、何なら後者に傾いているという事情もあった。
アマリリスが勤務初日に図書館組織に抱いた感想「どんだけ部署」は、業務への無知から生じたものでありつつ、正鵠を射た指摘でもあり、
2人で片付けられそうな仕事を3人で分け合うような非効率性が、文化として根付いている。
その文化に底流するものでもあるが、職場に揺蕩う安息の本質は、図書館という事業の性質にあった。
営利、非営利を問わず、世の中には2種類の事業がある。
すなわち、サービスを利用する顧客に合わせて営まれる事業と、
提供されるサービスに合わせて顧客が利用する事業。
前者は顧客がサービスを選び、サービスの提供側が顧客の獲得と繋ぎ留めのために努力を払う。
後者はサービスが顧客を選び、利用のための努力は顧客側に委ねられる。
製罐工場は前者の典型であり、図書館は後者の典型だった。
勿論図書館の仕事でも、何らかのトラブルなど、いっとき職場が騒然とするような波紋が広がることはある。
そんな時、生え抜きの職員は、勤めの長いベテランでも、あたふたと右往左往しているのを見かけるが、
ルピナスにしてみれば、ほとんどは想定の範囲内の想定外でしかなかった。
「想定外」の状況と思えても、その状況を見て何が起きているのか把握できるなら、手に余る状況であることは滅多にない。
そして、どうしてそうなったのかを理解できたなら、解決の糸口は見えたも同然だ。
前職の経験で学んだルピナスは、落ち着き払って、周囲から見れば瞬く間に対処の手を打ってくる。
あとは、さざ波が収まるのを眺めていればよかった。
そしてほとんどの日は、そういう波風すら立たなかった。
心穏やかに過ぎる日々、しかしルピナスには、そうして安閑と歳月を送るだけの人生が、本当の自分なのだろうかという考えもあった。
今にしてそう思うのであれば、やはり企業人としての職に、辛くとも、石にかじりついても留まるべきだったのだろうか、
それを言うならもっと以前、どうして、はじめに夢見た天文学の道を、もっと真剣に追求しなかったのか――
しかしその迷いや悔いには、すぐに答えが返ってくる。
今だからそう思うのだ。
当時の自分、あの時の俺には無理だった、やり抜くことはできなかった、耐えられなかったのだと。
だから必然的に、”本当の自分”を生きることがない。
同化出来ない空疎な自分だから、過ごす歳月に実感がなく、時が止まったようで、
この街に何年住んでも一向に、自分の街だという感覚がしない、
地に足の付くことのない根無し草なわけで、、、
「ルピナスさんもそう思うんだ。
実はあたしもなんです❤なんか、旅の途中で立ち寄った場所、みたいな。
ふふっ、似てるのかもしれませんね、あたしたち。」
アマリリスの言葉に、ルピナスはどこか微睡みから醒めたような感覚で目を
「・・・アマリリスさんは、根無し草っていうよりも、
どこか面白そうな街を他に見つけたらすっ飛んでいってしまう、渡り鳥っぽいですよね。」
「うまいこと言う!」
帰路、坂の途中のアパートへと向かうクルマの中で、ルピナスは少しバツの悪い思いを感じはじめていた。
「すみません、何だか僕が一方的に喋ってばかりで。」
「え、どうして?とっても楽しかったですよ。」
そうは言っても、こんないい年したおっさんが、一回りも違う女の子に人生相談みたいな、、
普通逆だろうと。
「むふっ。
そのうち・・・あたしの人生相談に乗ってもらう、のかなっ?
その時がきたらお話しますよ、ドン引きしないでくださいね❤」
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