黒竜公の結婚

鳴瀬憂

聖なる乙女は黒き焔に抱かれる

プロローグ

 聖女ラヴィエラがもたらした奇跡は誰もが知っている。

 

 ラヴィエラにより光の加護が授けられたブリューテ王国騎士団が、悪獣を退け厳重な防護壁を築いたのである。それによって長年苦しんでいた外敵――悪獣がブリューテ王国へ侵入する頻度は格段に減少した。


 人々は聖女ラヴィエラを崇拝し、愛した。

 彼女が与えた光の奇跡を見たいと聖都ラウムには多くの王国民が押し寄せ、一時期は王都エリッセよりも賑わっていた。

 

 どうか私にも奇跡をお与えください。


 治癒の祝福を求めて病人や怪我人が訪れ、事業の繁栄や家内安全を願って商人や貴族までこぞってラヴィエラに面会を求めた。


 新しい聖女が王都エリッセに現れるまでは。



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 とさ、と軽い音が背中で聞こえた。程よい硬さのベッドのスプリングがぎし、と軋んでアンジュの体重を受け止めた。このまま目を瞑っているうちにすべてが終わっていればどれほど楽だろうと思ったのだけれど、それを目の前の男は許してくれそうにはなかった。


「……ふふ、嫌そうな顔をしているね」

「嫌じゃないとでも思っているとしたらよほど能天気なのですね、黒竜公は」


 アンジュの切り返しに黒竜公――カイル・エヴァリストはにこりと微笑んだ。カイルの黒髪がさらりとカーテンのように頬にかかり、くすぐったさに顔をしかめるとなぜだか嬉しそうに見えた。


「愉しんでいる振り、だけでもいいんだよ。こういうのは」

「楽しくないのに笑うのは難しいです――ふだんからこういう顔ですもの」


 むすっとしていると言われたと思ったので、さらに唇をきゅっと引き締めたアンジュの頬をそっとカイルは撫でた。まるで愛おしんでいるかのような仕草ではあったが、そこに感情が伴っていないことはアンジュは了解していた。

 これから行われるのはただの儀式である。

 そういうものとして、求婚を受け容れて――黒竜公の花嫁になるとアンジュは決めたのだから。

 はだけたシャツから覗く黒い竜の傷をアンジュは見上げる。黒竜公と呼ばれるエヴァリストの一族が持つ呪いの証――悪獣レーヴァテインを討伐したときに刻まれたそれに手を伸ばし、触れた。


「どうしたの――積極的じゃないか」

「……いえ、痛むと聞いたので」

「優しいんだね。そういうところが君の可愛らしいところだ」


 くつくつと喉を鳴らして笑いながら、カイルはアンジュの身体に手を伸ばした。

 聖女の娘を貪り、喰らうために。


 今宵、黒竜公カイル・エヴァリストとアンジュ・ロージェルの婚姻は成立する。


 それを待ち望んだ者もいれば、最後まで反対し続けた者もいる。

 結婚というある種の契約が成功に至ったかどうかは――今後のふたりにかかっているのだった。

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