第10話 誰の味方だ?
この日、ヘンリーが屋敷に戻ってきたのは12時をとうに過ぎた頃だった。
ガラガラと走る辻馬車に揺られながら、うたた寝をしていると突然扉が開かれて声をかけられた。
「ヘンリー様。屋敷に到着しましたよ」
「んあ? 着いたのか?」
半分寝ぼけながら自分を起こした御者を見つめる。
「ええ。到着しました。それで、お代の方は……」
恐る恐る男性御者はヘンリーに尋ねる。
「ああ、代金か? ツケ払いにしておいてくれ」
ヘンリーは馬車を降りながら返事をした。
「ええ!? そ、そんな! 勘弁してくださいよ、ツケ払いなんて! もうどのくらいツケがたまっているか知っていますか!? ヘンリー様は先月からずっと馬車代を滞納されているんですよ!?」
御者がヘンリーの足にしがみつく。
「うわ! な、何だよ! しがみつくなって! 離せ!」
「いいえ! 離しません! こうなったら本日分だけでも支払っていただかない限り、絶対にこの足を離しませんから!」
「何だって言うんだよ! 来月にまとめて払ってやる! いいから離せ!」
「そんな言葉信用出来ますか!」
払え、払わないと押し問答を繰り返していた時。
「お帰りなさいませ、旦那様。随分と遅い御帰宅でいらっしゃいましたね」
凛とした声が2人の背後で聞こえた。
「何だよ! お前、まだいたのかよ! とっくに諦めて実家に帰ったかと思っていたのに!」
うんざりした様子でヘンリーが喚く。
「いいえ、帰るはずありません。私は貴方の妻ですから」
「はぁ!? だから、俺はお前を妻になんて……」
すると、ヘンリーの足にしがみついていた御者がその腕を離してジャンヌに訴えてきた。
「ヘンリー様の奥様でいらっしゃいますか!?」
「ええ、そうです」
「違うと言ってるだろう!?」
「一体夫が何かやらかしたのですか?」
喚くヘンリーに耳も貸さずにジャンヌは御者に問いかける。
「だから夫じゃ……」
「少し黙っていて頂けますか!?」
ピシャリと言ってのけるジャンヌに、さすがのヘンリーも口を閉ざす。その様子を見て満足気にジャンヌは頷くと、再び御者に問いかけた。
「さ、何があったのか話してみて下さい」
「じ、実はヘンリー様がぁ……」
御者は涙ながらに訴えた。
もう先月から何度も辻馬車を出させられたにも関わらず、ずっと滞納されていると。
「うっうっ……そのせいで、まともな食材を買えずに幼い子どもたちと、年老いた母がいつもお腹をすかせているんです……うっうっ……」
「おい! お前の家には幼い子供なんていないだろう!? 妻と二人暮らしじゃないか!」
「黙っていてくださいと申し上げたはずです!」
再びピシャリと言われて、ヘンリーは「うっ」と呻く。
「お気の毒に……家族構成がどうであれ、夫が馬車代を滞納しているのは事実。訴えの書状で確認しておりますよ? さ、ここに今までの馬車代3万8千フロンあります。収めて下さい」
ジャンヌは懐から財布を取り出すと、中の紙幣3万8千フロンを差し出した。
「ありがとうございます! 奥様!」
大喜びで受け取る御者に、青ざめるヘンリー。
「あ! そ、それは俺のへそくりじゃないか! 返せ!」
「いいえ、返しません! もうこれは馬車代として奥様から頂いたものですから! それでは失礼します!」
御者は受け取った紙幣を無造作にポケットに突っ込むと、素早く御者台に乗り込んだ。
「またのご利用をお待ちしております! はいよーッ!」
そして手綱を握ると、ものすごい速さで馬を走らせ、あっという間に走り去っていった。
「こらーっ!! 返せ! 泥棒!!」
悔しそうに叫ぶヘンリーにジャンヌは言い切った。
「いいえ、ツケを踏み倒そうとする旦那様のほうが余程泥棒です。こそ泥以下ですね」
「こ、こそ泥だと……お前、一体誰に向かってそんな口を叩くんだよ! 俺はここの次期領主になるんだぞ! 少しは口を慎め!!」
ヘンリーが怒鳴ったその時。
「口を慎むのはヘンリー様の方です!!」
大きな声が響き渡り、ヘンリーは驚いて振り向いた。
すると屋敷の前に、執事長マイクを筆頭に使用人たちが全員集合している。
「な、何だ! お前たちは……一体誰の味方なんだよ!」
ヘンリーは使用人たちを順番に指さしていく。
『奥様です!!』
「な、何だって!?」
全員一致の返答にグラリと揺らめくヘンリー。
「これで分かりましたか、旦那様? 誰が正義なのか?」
ジャンヌが笑顔で声をかける。
「う、うるさい。笑うな! 気色悪い!」
「気色悪い……これも記録に残しておいたほうが良さそうね」
眼鏡の奥から冷たい瞳で呟くジャンヌ。
「何だ? 今、何か言ったかよ?」
「いいえ、別に何も。では話も済んだことですし、仕事をしに書斎に参りますよ」
「はぁ!? 俺は今から寝るつもりなんだが!?」
すると、執事長マイクが進み出てきた。
「ヘンリー様。奥様の言うことを聞かなければ……」
「き、聞かなければ何だよ?」
「ヘンリー様のお世話をボイコットさせて頂きます!!」
「はぁ!? じょ、冗談だろう!?」
「いいえ。こんな話、冗談で出来るはずありません。さぁ、仕事に戻りますか? それとも……」
ジリジリ迫ってくるマイクに、ついにヘンリーは観念した。
「分かった! 仕事をすればいいんだろう! すれば!」
「分かれば結構です。では仕事に戻りましょう? 旦那様」
ジャンヌがヘンリーの腕をガシッと掴むと、再び笑みを浮かべるのだった――
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