第10話 治癒魔術とレリーフ

 レイは治癒魔術の練習をしに、公園近くの治癒院に来ていた。


 治癒魔術については、癒しの精霊の右に出る者はいないため、ウィルフレッドよりも治癒院の院長に習った方が良いと判断されたためだ。

 今日は治癒院の院長——エルネストが、レイの魔術を見るので、ウィルフレッドは溜まってきていたユグドラの仕事をこなしている。



 治癒院は全体が白い煉瓦積みで、グレー色のトンガリ屋根の建物だ。ここだけ教会のような清浄さがあり、特別な感じがする。庭の瑞々しい芝生は短く刈り込まれ、白いベンチがいくつか置かれている。


 教会のような治癒院の中は、全面白漆喰の壁になっていて、窓から入る日の光が白い壁に反射して、部屋の中がより明るい空間になっている。待合室には木製のベンチがいくつか置かれていて、ほっこりとあたたかみがある。


「こんにちは!」

「いらっしゃい、待ってたよ」


 レイが治癒院の木製扉を開けて中へ入ると、部屋の奥から白衣を着た男性が出て来て、笑顔で迎え入れられた。


 白衣の男性は、治癒院の院長のエルネストだ。管理者でもある。


 エルネストは、癒しの魔術を司る、癒しの精霊女王の弟の一人だ。時々、ユグドラの外に出ては旅の治癒師のふりをして、世界各地の情報収集をしたり、他の管理者のサポートをしている。

 緑色の髪を低い位置で一つに結んでいて、中性的で誠実そうな顔立ちは、パリッとした白衣がよく似合っている。淡い黄色の瞳は、優しく親しみやすい印象だ。


「本日はよろしくお願いします」


 レイはぺこりと挨拶をした。


「うん、こちらこそよろしく。じゃあ、早速だけどこっちに来て。やり方を教えるから」


 レイは挨拶もそこそこに、エルネストに手招きされて、奥の治療室へ向かった。



***



「治癒魔術はとにかく場数だよ! 数をこなせばこなすほど練度が上がって、より複雑な治癒もできるようになるから!」


 エルネストは優しそうな見かけによらず、スパルタだった。治癒魔術のやり方を簡単に教えてくれた後は、レイは治癒院のお客さんの手当てをどんどん手伝わされた。


 怪我した場所をお客さんに聞いて、怪我の状態に合わせて魔力量を調整して、治癒魔術を発動する。

 治療をして「ありがとう」とお客さんに言われる度、レイは誰かの役に立てていることにほっこりと嬉しくなった。

 そして、ほっと一息つく暇もなく、エルネストに次のお客さんの担当に回された。



 午前の最後のお客さんの治療が終わった。


「ふう……結構大変ですね」


 レイはふっと肩の力を抜いて息を吐いた。慣れない治癒魔術の施術で、ずっと緊張していたようだ。


「初めてにしては筋がいい方かな。ここは平和だしそこまで酷い怪我人はいないけど、戦場とかまわるとすごいよ。怪我の状態もそうだけど、自分の命を守りつつ治療する必要が出てくるからね。今度、防御壁部隊の定期訓練があるから一緒に来る? ランクの高い魔物も参加するから、結構怪我人が多くてさ、いい練習になるよ」

「確かに、すごく練習になりそうですね。師匠に相談してみます」


「じゃあお客さんも途切れたし、一旦、休憩にしよっか。お弁当があるならここで食べてもいいけど、近くに公園があるからそっちで食べてもいいよ」

「公園! まだ行ったことないです。そっちに行って来ますね」


 精霊のエルネストは、ユグドラに溢れている魔力を取り込むため、食事は特には摂らないらしい。午後のお客さんが来る前に軽く昼寝をして、コンディションを整えるそうだ。


(……前回は図書館に行くのに、公園は横を通っただけだから、今日はいろいろ見てみよう!)



***



「メルヴィン! こんにちは!」

「よう、レイ! 今日はどうした?」


 レイがお弁当を持って上機嫌で公園へ行ってみると、ドワーフ鍛冶士のメルヴィンとかち合った。公園のメンテナンスの手伝いに来ているそうだ。


 レイはメルヴィンと一緒にお昼を食べることにした。

 公園のベンチに並んで座ると、ちょうど大きなレリーフが見えた。


 ユグドラの街と森を分けている防御壁の内側には、巨大なレリーフが彫られている。

 題材は、二百年ほど前に実際に起こったユグドラ防衛戦だ。今はもう滅んでしまった大国が、数十万の兵を率いてユグドラに攻め入って来たのだ。

 レリーフには、たくさんの敵兵と、ユグドラの樹を背後に守りつつ、敵兵に立ち向かうユグドラの住民たちの勇姿が見事に表現されている。登場人物全員の顔が横方向を向いた彫りが原始的な感じがするが、大きくて力強く、とても迫力がある。


 中でも、精霊馬に跨った剣聖と、三大魔女と黒竜は大きく立派に彫られている。この防衛戦での立役者だからだ。


 剣聖が精霊馬に乗って戦場を駆けて敵兵を翻弄し、

 黒竜がそのブレスと魔術と巨体を使って敵兵をなぎ倒し、

 三大魔女が聖属性の極大魔術で敵兵を沈黙させた後、

 ユグドラの森と人間達が住む領域の間に、緩衝地帯として白の領域を作った。


 メルヴィンがにやにやしながら昔話を説明してくれた。メルヴィンは二百年前には既にユグドラにいたので、この時の防衛戦に参加したのだ。


「管理者の諺で『世界は必然を運んでくる』っていうのがあるんだ。この時ほどそれを実感したことは無いな。一番強い管理者がどうしても手が離せない案件でユグドラの外に出ていた時に、敵国の侵攻が始まったんだ。ただ、三大魔女の一人が情報を掴んで知らせてくれて、ちょうどユグドラの森で迷子になってた剣聖も来てくれた。黒竜も珍しく協力してくれてな、どうにかなったんだ。一歩間違えたら陥落してたかもな。それだけ敵は本気だった」


 レイは少しゾクッとした。実際には陥落していなくても、そうなっていた可能性があるというだけで恐ろしかった。


(……みんなが無事で良かった)


 レイは胸元でキュッと拳を握った。


「当時の剣聖はこの防衛戦で有名になってな、今でも人気の剣聖だ。観劇や絵画とかのいい題材だよ」


 メルヴィンは、剣聖のレリーフの方を、懐かしそうに鋼色の目を細めて眺めて言った。


「三大魔女はもう全員代替わりしちまったが、黒竜は今ではドラゴニアの王都で商会を立ち上げて、うちの武器や酒を販売してるぞ。時々仕入れにユグドラに来るから、そのうち会うこともあるだろう」


 ユグドラで人気のドワーフ酒は、この時に剣聖がもたらしたものだ。剣聖の酒に感銘を受けた、メルヴィンの弟で管理者のモーガンが、真似て改良を重ね、今のドワーフ酒がある。


 黒竜は、この酒を知る人ぞ知る銘酒として仕入れて流通させているそうだ。この酒のファンは多く、ユグドラの大事な収入源の一つでもある。



「お、ミランダからだな」


 グレー色の魔法猫が、メルヴィンの足に飛び付いてきた。魔法猫はぐりぐりと頭をメルヴィンに擦り付けた後、自身の首輪に付いている手紙をメルヴィンに見せた。

 メルヴィンが手紙を首輪から取って読み始めた。


「武器の補修か……」


 ふむふむと手紙を読むと、メルヴィンは腰に下げてる空間魔術付きポーチから筆記具を取り出して、手紙の返事を書き始めた。


 魔法猫は、よく使い魔として使われている。紫系統の瞳の色で、毛色や毛の長さは様々だ。主に影魔術を使って移動し、主人の手紙の受け渡しをしている。個体によっては影魔術以外も使えるそうだ。


 ミランダの魔法猫は、レイの元の世界でいうロシアンブルーのような品の良い猫で、大きな瞳はミランダと同じ深い紫色をしている。


「かわいい!」


 メルヴィンが手紙の返事を書いている間に、レイが魔法猫を撫でようとすると、パシッと猫パンチを手にくらった。お触りは禁止らしい。


「いいな、魔法猫」


 レイはとても残念そうな顔をして、じーっとミランダの魔法猫を見つめた。


「なんだ? レイは使い魔は魔法猫がいいのか?」


 メルヴィンが、手紙を魔法猫の首輪に付けつつ訊いてきた。


「昔から猫を飼ってみたかったんです。弟が猫の毛がダメで飼えなかったので……」

「魔法猫はかなり気まぐれで主人を選ぶからな。使い魔になってくれる奴を見つけるには、結構な数に会わないとだな」

「猫ちゃん……」


 レイが眉を下げてしょぼくれているのを見て、「こういうのは縁だからな、そのうち見つかるさ」とメルヴィンはガハハと笑った。



「レイー! 午後のお客さんが来るよー!」

「はーい!」


 エルネストが、公園までレイを探しに来てくれた。


「頑張れよ!」

「ありがとうございます。メルヴィンも頑張ってね!」


 レイはメルヴィンと別れて治癒院に戻って行った。



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