第9話 ハルのお願いと友人からの手紙

「ブレイブ00、いえ今はイフリートと名乗っている彼と戦うことになったら、お願いだから逃げてちょうだい」

「はは、ハルの『お願い』なんていつぶりだろうね~」


 アスカはに会ったハルを誘って、館の庭のテーブルでティータイムを楽しんでいた。

 ハルは淡々と今まで何をしてきたかを語り、アスカは笑みを浮かべて相槌を打つ。

 時折静かな風が吹き、メイド服姿のステイシーが空になった茶杯に新しい紅茶を注ぐ。


「ハルはまた随分と暴れ回ったんだね。こんなことならも一緒に行けばよかったよ~」


 ハルの目がステイシーを映す。

 アスカ達を召喚した仮面の魔法使いウィンテスが用意した、勇者達の付き人の一人。

 トギラ王国の名門であるコルナン公爵家の娘であり、保有する魔力量は多いが戦うすべを持たない少女だった。

 小柄で愛くるしい容姿をしており、彼女が動くたびに豊かな胸が柔らかく揺れる。

 家柄だけではなくその容姿の虜になった貴公子の数は少なくなく、元婚約者がしたためた羊羹のような厚さの手紙が今も頻繁に届いており、ウィンテスが溜息を吐いていた。


「あの、ハル様もどうぞ。と、東方から取り寄せた茶葉で淹れてみましたっ」

「……ありがとう」


 ハルが紅茶の満ちた茶杯を傾ける。

 空になった茶杯が置かれると、ハルの朱唇からは感嘆の吐息が漏れた。

 

「……とても、美味しいわ」

「お、お口に合ってよかったですっ!」


 ステイシーが勢いよく頭を下げた時、首から下げたペンダントがその豊かな胸の上で跳ねた。


「……

「あ、ありがとうございます。このペンダント、私の宝物なんです!!」


 ハルの言葉はアスカに向けたものだったが、それに答えたのは柔らかな笑みを浮かべたステイシーだった。


「……それ、アスカが選んだの?」


 ペンダントの『十三枚の翼を持つ黒い月』というデザインは、公爵令嬢ののアクセサリーというイメージからは離れたものだった。


 金属ともセラミックスとも違う光沢を持ち、神秘的というには雰囲気の主張が強い。


 今のメイド服には不思議と似合っているが、華やかで瀟洒しょうしゃな令嬢のドレスに合うかと聞かれれば、ハルは首を傾げてしまう。


「結果的にはかな~。貰い物なんだけど、身に付けるかどうかはステイシーに判断してもらったんだ」

「あ、あの、に、似合ってないでしょうか?」


 アスカの左腕に抱き付いたステイシーが、不安そうに顔を上げる。

 アスカを覗く桃色の瞳には弱く儚い光が揺れ、その体は小さく震えていた。


「……とても似合っているよ。けどダイヤモンドのペンダントにしなかったことは、少し後悔している」

「わ、私は、これがいい、です」


 アスカはステイシーの額に口付けし、軽く抱き上げた体を腕の中に収めた。

 ピンクブロンドの髪を優しく撫でると、ステイシーの頬は熟れた林檎のように真っ赤に染まり、小さな唇からは「あう~」という声が漏れた。


「……けるわね」

「じゃあハルは右手だね。ほらおいで~」


 アスカは右手を広げたが、ハルは首を横に振って椅子から立ち上がった。


「……嬉しいお誘いだけど、また今度にするわ。あなたの子猫に怒られそうだから」

「わ、私はえっと、その、だ、大丈夫です!」


 目をぐるぐる回してテンパりながら訴えるステイシーの顎にハルの右手の人差し指が軽く触れる。

 ステイシーの顔を覆った黒い影は、その唇で一瞬だけステイシーの口を塞いで離れて行った。


「はわ? っは、はわわわわ~~~~」

「……とても可愛い子ね。アスカには勿体ないわ」

「はぁ、ホントにハルの行動って予測不能だよね~。僕の従者を寝取ろうとするなんて酷いじゃないか」


 アスカは右手でハルを抱き寄せ、その唇を奪ってから胸元を吸った。


「君は誰のものだい?」

「あなたものよ。ずっとずっとね」


 今度は逆にアスカの唇が襲われ、口の中でハルの舌が八つ当たりのように暴れた。


「……あまり外を動き回らないで。勇者の力でも太刀打ちできない存在ものはいるんだから。私だって、あなたの危機に間に合うとは言えないのよ」

「それは例えばカナンちゃんみたいな?」


 アスカのお道化た質問の返答は、ハルの強烈なデコピンだった。


ってぇ―――、頭割れるかと思った。ハルの本気マジはNGだって~」

「……カナンに手を出したらダメよ。そしてもう一度言うわ。彼女の魔法、イフリートとは戦っちゃダメ」


「ブレイブ00ってそんなにヤバいの? ブレイブシリーズの試作品で、核になったプロト・アーククリスタルは、僕達のアーククリスタルより大分劣る性能だって聞いたけど?」

「……それ誰に聞いたのよ」


 勇者召喚の媒体となった宝玉と、勇者の核であるアーククリスタルは別物だ。

 アーククリスタルは概念封印されており、宝玉の状態では観測のできない幻のようになっている。


 宝玉が勇者に取り込まれることで初めて実体化し、その機能を司る核となるのである。


 これは古代文明の研究を行い勇者召喚を行ったウィンテスも、彼女に協力した私部隊パーティーのメンバー達も知らない事実であった。


「困っていたお姉さんを助けたら教えてくれたんだよ。あ、危ないことはしてないよ~。彼女両替を忘れててさ、持ってた外国のお金で支払うことができなくて泣いてたんだよ」

「そ、そうなんですっ!」


「……はぁ。まあアスカには無理だものね」

「これは手厳しいね~」


 ハルがテーブルの上に白と黒の小さな瓶を置いた。

 陶器製のそれらは、蓋と本体の境目が溶かした金属で固められていた。


「……白のエリクシルと黒のエリクシルよ」

「へぇ、錬金術の秘薬中の秘薬じゃないか。流石はハルといったところだね~」


 アスカは二つの瓶をステイシーに渡し、ハルが頷いた。


「……イフリートは一人で【四竜心玉護封陣】を破壊したわ」

「えっ!?」


 ステイシーが絶句する。

 結界魔法の奥義である【四竜心玉護封陣】は人の手で破ることは能わず、千年を超えて生きる老竜の攻撃さえ防ぐといわれているのだ。

 この国の王城にも施されており、歴史を紐解けば、七十年前の『大隕石』の破滅さえ凌ぎ切ったという。


「……鑑定でイフリートを見た時、凄く歪な存在だと思ったわ。私達が最高時速三百七十キロで走るF1マシンなら、彼は自壊してでも三百七十キロ以上を出そうとするマシンという感じね」

「ぷっ、あ――はっはっは! ハルらしくない、本当にハルらしくないよ!!」


 発狂おかしくなりそうな程に可笑おかしくなって、アスカの笑いが止まらなくなった。


「くく、そういう言い方すると、僕は手を出したくなる性分だって、ぷぷ、ハルは知ってるよね?」

「……そうよ。だから「お願い」と言ったわ」

「はぁ、それをハルに言われちゃどうしようもない、か。あ――もうっ、酷いお預けだよ~」


 アスカは右手で顔を覆い、天を仰ぐ。

 今の顔を見ることができる者は誰もいない。

 ハルは静かに佇み、ステイシーはアスカをぎゅっと抱き締める。

 

「わかった。努力する」

「……ごめんなさいアスカ。それじゃ、私は行くわね」


 ハルがきびすを返すと同時に、その姿が一瞬で消えた。


「……アスカさん」


 アスカは何も言わず、ステイシーを強く抱き締める。

 お互いの顔が近付いて行き、自然と唇が重なった。


「あらあら、熱々ね~」


 ハルの座っていた椅子を引いて、ニヤニヤと笑いながら女が座った。


「あっ、あっ、あ、しっ、しし師匠!!」

「ゲルトルードさん……」


 テーブルに頬杖を突き、にやけた赤と碧のオッドアイがアスカ達を映している。

 肩口で切り揃えた金色の髪と、少しだけ尖った耳が楽しそうに揺れる。


「ウフフのフ~、若い子達の恋愛から取れる栄養ってのがあってね~。近くに寄ったから、君達のラブラブな様子を見に来たってわけよ~」


 アスカは瞬時に生成した苦無くないをゲルトルード目掛けて放つ。

 マテリアルライフルに匹敵する威力のそれは、しかしゲルトルードに届く前に塵よりも細かく刻まれて散っていった。


「……本当に、らしくない人助けはするもんじゃないね」

「はっはっは、情けは人の為ならずってね。お陰で私というスーパー美人で超強いお姉さんと知り合えたじゃないの」


 アスカは珍しく憮然ぶぜんとした顔をし、ステイシーは完熟トマトのように赤くなった顔を両手で隠した。


「で、何の用ですかゲルトルードさん。僕はこれから不審者を衛兵に突き出さないといけなくなって、忙しいんですが?」

「その不審者って誰のことかしら~? って冗談よ。はい、用件」


 ゲルトルードが胸元から出した一通の封書を放る。

 ヒュンッと風切り音を鳴らして飛んで来たそれをアスカは指の間に挟んで止め、宛名の書かれていない表を裏返した。


―― 蜜蜂と宝槍の紋章が描かれた封蝋。


「東の槍王から西の剣王へですって。について書いてあるそうよ」

「……承ったと、彼に伝えて下さい」


 ゲルトルードが頷く。

 ステイシーの両手がアスカの左手を包み込む。


 そしてアスカは暗く深い闇を湛えた瞳を閉じて、右手の手紙を握り潰した。

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