第4話 ケントとアスカ

「クソがあああああああ!!」


 部屋で目を覚ましたケントが叫び、怯えた侍女が小さく悲鳴を上げた。


「おいミサ! ユキ達を呼んで来い!」

「は、はい! ただいま!」


 ケントが両手の拳を握ると、力強い魔力の洸が溢れ出した。


「オラアアアアア!!」


 振り抜いた拳の先から衝撃波が走り、壁を粉砕してその先の大木を打ち砕く。


 ケントがこの世界に勇者として召喚されてから、およそ一ヶ月が過ぎた。

 王都の外で捕獲され、この館で飼育されている訓練用の魔獣を殺して戦級を上げ、仮面の魔法使いウィンテスが用意した騎士達との戦いで経験を積んだ。


 召喚された直後でも数人の兵士を一蹴する力はあったが、今は二百人の兵士を蹂躙じゅうりんする力を得るに至った。


「ハァ、ハァ、チッ!」

「うわ~、随分と荒れてるねケント」


 壁に空いた大きな穴の端から、逆様に覗く顔がにこりと笑う。


「アスカか」


 顔が引っ込んだ次の瞬間、穴の向こうから一つの影が部屋の中に飛び込んで来た。

 顔の整った涼やかな文学少年という見た目のアスカは、その落ち着いた容姿に反するような行動を非常に好む。


「随分やられたね~。しかも不意打ちにカウンターをもらって失神。最後は当の女の子に治療してもらうってさ。最高にテンプレだよね」

「黙れ。幾らテメエでもそれ以上言えばぶっ殺すぞ」

「ごめんごめん。でもさ、それもすごくテンプレだと思うな~」


 ケントは壁に掛けられている剣に右手を伸ばし、その剣身を握る。

 軽く力を込めれば刃は歪にひしゃげ、両手でこねれば野球ボール大の塊に変わった。


「乱暴な勇者がされるんだよね。やった本人は「あれ? 私何かやっちゃいました?」って感じでさ。やられた勇者は「ぐぬぬぬ」って言って仕返ししようとするんだ。でも全部返り討ちにされちゃってさ。今のケントみたいに最高だよね!」


 ケントの投げ付けた鉄塊が、大砲から撃ち出された砲弾のような音を響かせ、アスカの額へと飛んだ。


 キンッと澄んだ音色が鳴る。

 真っ二つに斬られた鉄塊がそれぞれの方向へ飛んで行き、染み一つ無い真っ白な壁に二つの新しい穴が空いた。


「修理費はケント持ちでよろしくね~」


 アスカは右手に持つ刀の切先を床へ突き刺し、椅子に座って背伸びをする。

 だらしなく着崩した絹の衣服が安っぽく見えて、それがアスカの雰囲気に良く似合っている。

 思わず筆を探したケントは、溜息を吐いて床を蹴った。


「はぁ、テメエがアホ言うからだろうが。修理代はエリートのアスカが払っとけよ」

「わかってないな~ケント。エリートは財布を持たないんだ。今の僕は銅貨一枚持っていないのさ」

「ヒモ野郎」


 アスカは宛がわれた公爵令嬢のステイシーを連れて、いつも館の中をふらふらと歩いている。

 広間で寝るか、庭のテーブルでお茶を飲んでいるか、食堂で軽食を食べているかのどれかで、まるで猫のようだとケントは思っていた。


「おいアスカ。戦級五だからって調子に乗ってんじゃねえぞ。俺も戦級が四になったし、ララもお前に並んだ」

「みたいだね~」

「ララとユキが訓練や勉強会に誘っても逃げてるそうじゃねえか。いつまでも日本のノリでいると、お前死ぬぞ?」

「かもね。でも僕にはハルがいるし、何とかなるんじゃない?」

 

 ケントは放った右拳をアスカの鼻先で止める。

 絹糸のような黒髪は拳風に吹かれて暴れたが、何も映さない黒い瞳は微動だにしなかった。


「あ! 喧嘩けんかしちゃダメ!!」


 部屋に入って来たララが間に入って来て、アスカとの距離が離れた。


「女の子に負けて、さぼりのアスカになら勝てると思ったの? ケント恰好悪かっこわるっ」

「うっせえなユキ。女は黙ってろ」

「ケントもアスカも仲良くしなくちゃダメなんだよっ! 私達は仲間なんだから!」

「そうそう。あ~しらは仲間仲間~」


「うぜ。マジでぶっ殺してえわ」

「もう! あんまり酷いとハルに言っちゃうよ?」


 子鳥のように睨んでくるララにケントは舌打ちし、背中を壁に預ける。

 ハルのステータスをケント達は知らないし、アスカ以上に適当に毎日を過ごしているのを知っている。

 

 だが……。


「それで何の用よケント。あ~しは疲れたからもう寝たいんだけど~」

「ごめん、どっちかというと私も」

「僕も~」

「反省会だよ反省会! 戦いの熱と記憶が残ってる今するのが一番効果的なんだよ!」


 次こそはあの金髪眼鏡の女をぶっ殺すと息巻くケントに、ララ達は溜息を吐いた。


「じゃあ僕は関係ないよね。おやすみ~」

「待てよアスカ。いい機会だからお前も参加しろ。拒否は認めねえからな!」

「はぁ、ケントには負けるよ~」


 ……。


 ケントは一度だけ、夕方の屋根の上に座るアスカとステイシーを見たことがあった。

 裸にガウンを羽織っただけの、いかにも事後という様子で寄り添う二人が夕陽の色に染まっている。


 それは今にも沈んで消えていく、地平の彼方にある太陽を写したようだとケントには思えた。


 キーボートを叩く音を幻視する。


 一年前のせみがまだ鳴いていた金曜日。

 エアコンの調子が悪くて蒸し暑い生徒会室と、古い型のパソコン。

 アスカと二人で作業していて、ふと 全ての音がやんだ瞬間があった。


 奇妙な静けさにケントは顔を上げ、アスカと目が合った。


―― 昔ね、母さんを殺したんだ。


 現実、もしくは白昼夢か。

 蝉の声がまた聞こえて、エアコンの振動が生温い風を送って来る。


 ケントは問い返そうとしたが、音を立てて扉が開き、飲み物を買ったハルが帰って来た。

 水滴の付いたペットボトルを空け、オレンジジュースで喉につかえた言葉を飲み干した。


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