第7話 折檻娘(その1)

「ひとり、足りないな」

 入ってきた海唯子と地依子に、環士がメモを後ろ手に隠しながら声を掛ける。

 これをふたりに見つかるわけにはいかない。このメモが見つかれば、当然のように紗登子を巻き込むことになるのだから。

「ああ、ちょっとね」

 口ごもる海唯子のとなりで地依子が声を上げる。

「風羽子は今日は休みだよー」

「休み?」

 海唯子が環士に顔を寄せて声を潜める。

「当面は夜のドルド丸捜しも休止せざるを得なくなった」

「どうして」

「環士を召喚するのと混成体化――イカとかウツボとかカニとかと環士を混ぜるには三人そろってないとダメなんだよ」

 その原理はもちろん環士にはわからないが、マリイが言うならそうなのだろう。

 なので、それについては訊いても意味がないと質問を変える。

「で? フィーマ、いや、鵜飼が休みなのはどうして?」

 そこへ紗登子が戻ってきた。

「あ、サトコー」

 手を振る地依子に紗登子が応える。

「お疲れさま」

 そして、すぐに気付く。

風羽子ふーちゃんは?」

「休みだよー」

 無邪気に答える地依子に、紗登子が心配顔で問い返す。

「体調?」

 答えたのは海唯子。

「いや、ママともめてね」

「!」と耳を疑う環士。

「?」と釈然としない表情の紗登子。

 そんな紗登子に環士は考える。

 ドルド丸とつながっていることがはっきりした紗登子にこれ以上三人と関わらせてはいけない。風羽子とママの関係について問わせてはならない、風羽子のことを心配させてはならない。少しでも紗登子と三人の間を距離を離さねばならない――。

 話を逸らせるように慌てて問い掛ける。

「なんか面白い話、ありましたか? 部長連絡会」

「え? あ、う~ん。いつもどおり」

 そう言って困ったような笑顔を見せる。

 その間に地依子は窓から身を乗り出してブチロウを捜す。

「今日はいないねー、ブチロウ」

 昼寝から覚めてどこかへ移動したのだろう。

 その言葉に海唯子も中庭を見下ろす。

校内巡回パトロールに行ってんだろ」

 環士はその隙に紗登子へ身を寄せると、ささやいてメモを差し出す。

「さっき梅小路さんが来て……忘れ物だって」

「あ……ありがと」

 紗登子は受け取ったメモに目を落とし、書かれている内容を視認すると瞬時に赤く染まった頬で慌ててポケットに押し込む。

 そして、代わりに折りたたんだ校内新聞の号外を取り出して黒板横の掲示スペースに画鋲で留める。

「これ、もらってきたの」

 窓の外を見ている地依子と海唯子の背中に声を掛ける。

「注意してね。怪しい人とかいるかもしれないから」

 そのとなりで号外を見る環士は自然と渋面になる。

 当然である。

 ヘビとウツボを誤認されたとはいえ、自分自身が小見出しになっているのだから。

 いつのまにか、かたわらに立っている海唯子がささやく。

「心配するな。誰も信じちゃいないよ」

「本当に大丈夫か?」

 確かに信じがたい話ではあるが、当事者としてはやはり不安になる。

 海唯子が“安心しろ”と言わんばかりに、環士の背中に手を当てる。

「“錯乱状態の戯言”って書いてあるだろ。もし、警察や学校がヘビ男だかウツボ男だかの存在を信じているなら、学校側からもなんらかの注意喚起がなされるはず。変態野郎以上のやべえ存在だからな。それがないってことはそういうことだよ」

「そうだな」

 そう言われて、ようやく安心する環士だった。


 部活動を終えた環士は海唯子、地依子と一緒に部室を出た。

 今日は三人で連れだって歩く。

 とはいえ“仲良く”という雰囲気ではない。

 海唯子が環士に確かめる。

「本当に来るのか」

 環士が頷く。

「行く」

 その行き先は三人の家――グマイジア時空であり、理由はもちろんフィーマの様子が心配だから。

 しかし、冷静に考えてみれば環士が行ったところでどうにかなるとは思えない。

 他人に期待しない環士は積極的に他人に関わろうとも思わない人生を歩んできた。

 他人に期待しないとは、自分が困っている時には誰も助けてくれないと思っているということである。ならば、他人が困っていても助けるのは自分の役目ではない。誰も自分を助けてくれないのに、なぜ自分が他人を助けなければならないのか――本気でそう考えている。

 そんな誰からも相手にされない性格の環士が“行かねばっ”という気持ちに引っ張られているのは、マリイの言う性格制御による仲間意識のせいなのだろう。

「こっちだよ」

 不意に掛けられた地依子の声に顔を向ける。

 地依子が生徒玄関の奥に位置する地下への階段から手を振っていた。


 階段の先、突き当たりにあるのは地下の雑品庫である。

 軋みながら扉を開いた雑品庫には、その名の通り大小のダンボール箱が雑多に積み上げられている。それぞれの中には、使われなくなった教材や備品が収まっているのだろう。

 ほこり臭い空気に一瞬顔を背けた環士に構わず、海唯子が手にしていたペンライトで奥の壁を照らす。

 照らされた壁の一画に高さ二メートル、幅一メートルほどの黒い長方形が浮かび上がった。それはまるで開け放した扉のようにも見えた。

「このライトが鍵になってる」

 つぶやいた海唯子が長方形の中へと消えていく。

「怖い? きひひ」

 立ち止まっている環士を地依子が覗き込む。

「いや、大丈夫。びっくりしただけ」

「じゃ、行こー」

 地依子が環士の手を引いて長方形へと飛び込む。

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