第1話 三人の侵入部員(その3)
環士は制服のまま仰向けになっていた。
見渡すまでもなく、そこが自分の部屋であることを瞬時に認識する。
六畳一間で備え付けのベッドと机、そして、ロッカーがそれぞれ二セットあるだけの殺風景な部屋。
ここは自宅――ではなく、学校の寮である。
ベッドと机とロッカーが二セットずつあるのは、当初は二人部屋として作られたものの近年の生徒数と寮の利用者の減少から、今年度から一人部屋として使われるようになったから。
現在の入寮者は、環士の他には同じ二年生が三人と一年生がふたり。
上級生がいないことで居心地はいい。
ポケットから取り出したスマホが示す現在時刻は十八時半。
見渡す室内も見下ろす自身も、なんの異常もない。
スクールバッグもいつもどおりロッカーの前に放り出してある。
「どうやって帰ってきたんだっけ?」
あえて確認するように口にする。
しかし、ケガひとつなく帰ってきている以上は思い出す必要もないと考え直す。
「ま、いっかあ」
部屋着のスエットに着替えて、いつも通りに風呂セットと替えの下着を手に部屋を出る。
入浴を終えるとそのまま食堂へ直行し、賄い人が調理した夕食をいただく。
食堂には共用の大画面テレビがあるが環士の定位置はテレビから最も離れたうえ、一本の巨大な柱に視界が遮られた奥の席である。
この“唯一、テレビを見ることができない不人気ナンバーワンの席”が環士の席なのは、強制されたわけでもジャンケンで負けたわけでもなく環士自身の意思による。
なぜなら環士はテレビを見ないから、幼い頃からテレビを視聴する習慣がなかったから。
家にあったテレビは一台だけで、それはこどもが自由に見ることが許されない“父専用機”だった。なので、見たい番組があれば父親の許可が必要になるのだが、許可が得られることはほとんどなかった。理由は単にうるさいから。幼い環士が見たい番組など、父親が見て面白いわけがないので当然といえば当然なのだが。
だから、環士はテレビをほとんど見ずに育った。
食事を終えると部屋へ帰る前に食堂に隣接する集会室へ立ち寄る。
教室の半分ほどの広さで長机と椅子が十数脚と本棚とテレビがある。
しかし、人がいることはほとんどない。
昔はここでみんなでテレビを見ていた時代もあったのだろうが、現代はそれぞれが自室でスマホ視聴のご時世ゆえか、この部屋に人がいるのを環士は見たことがなかった。
そんな部屋へ環士が立ち寄る目的は壁一面を埋めている巨大な本棚にある。
ここの本棚には歴代の寮生が読み終えたものや卒業生が捨てていった雑誌やマンガや文庫本が詰め込まれているのだ。
とはいえ、関心のある本はすべて読み終えているので、新しく捨てられた本がないかを確かめて、あれば部屋へ持ち込んで読む。そして、読み終えればここへ戻す。
その日、新しく捨てられていたのはバスケットボールの専門誌が一冊だけ。おそらくバスケ部の二年生が捨てたものだろう。
興味がないので、そのまま手に取ることもなく部屋へ帰る。
曲がりなりにも文芸部員なのだから、学校の図書室からなにか借りてきてもよさそうなものだが、そこまでして読もうとは思わない。
そもそも、あまり読書はする方ではない。
環士に限らず、田舎に行くほどこどもは本を読まない。
なによりも、読書習慣を身につけさせることにオトナタチが熱心ではない。
環士の両親はどちらも本を読まない人間だった。
だから、環士が小遣いをためて本――マンガではあったが――を買うことにいい顔をしなかった。
それどころか“親が苦しい家計の中から捻出してやった小遣いなのに、本を買うなどというくだらないことに使いやがって”と機嫌の悪い日の父親に殴られることも珍しくなかった。
母親からも、わずか数冊の“蔵書”に対して“多すぎる。こんなに集めてどうするの。どうせ一度に一冊しか読めないくせに”と捨てられることも当たり前にあった。
そんな家庭環境ばかりでなく、学校にも同様に本好きが生まれる土壌はなかった。
教師たちは“本を読む暇があったら外で遊べ、体を動かせ”と、こどもたちの尻を叩く。
小学生の頃、教室に“がんばった表”が貼り出されていた。
“帰りの会”でひとりずつがんばったことを発表すると、担任がその内容に応じて丸シールを貼っていく。
「まみちゃんはなにをしましたか」
「ひるやすみにろうかにおちているごみをひろいました」
「えらいねえ。シールを三枚」
「こうちゃんはなにをしましたか」
「ひるやすみにみんなと三角ベースをしてホームランをうちました」
「すごいねえ。シールを五枚」
環士の番になった。
「かんちゃんはなにをしましたか」
「ひるやすみにとしょしつでどうぶつずかんをぜんぶよみました」
「おやおや、どうしてみんなと遊ばないのかな、シールはサービスして……一枚だ」
こんな担任のもとで本を読むこどもが育つわけがないのだ。
さらに、今いる中学校も似たようなものである。
「みんなと一緒に身体を動かし、汗を流すことで得られる感覚や経験こそがかけがえのないすばらしい青春なのだ。本なんか帰ってひとりで勝手に読んでろ」
そんな言葉を担任――しかも、国語教師――が放つ。
この担任が校長の掲げる今年度の指導方針のひとつである“多様性を尊重すべき”に基づき“ひとりひとりが好きなこと、得意なことを伸ばそう。個性を尊重しよう”と言い出した時、環士は呆れた。“どの口で言ってんだ”と。
そんな具合に幼少時から読書を取り上げられてきた環士が文芸部に所属している理由はひとつだけ。
紗登子がいるから。
ただ、それだけ。
他に理由はない。
部屋に戻った環士は洗濯物をバスケットに放り込んで、バスタオルを干す。
そして、ベッドで横になる。
もちろん部屋にテレビはなく、スマホ視聴に興じることもない。
そんなプライベートではなんの楽しみもない環士なので、寝るのは他の寮生よりずっと早い。
さらに今日は、なぜかいつも以上に身体がだるい。
このまま眠ろう――そんなことを思った時、三人の新入部員が頭をよぎった。
生意気そうな三人組。
自分的にはあまり好きではない、むしろジャマな“侵入部員”。
でも、いいよ。
サトさんが喜んでいるんだから。
そんなことを思いながら、意識が沈んでいくのを感じた。
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