第10話

「なにを言っている。知っているだろう」

「いや、知らないよ」


 あまりにも堂々と彼が宣うので、うっかり苛立ちが飛び出してしまった。

 はっとして顔を上げたものの、もう遅い。不思議そうな青い瞳に、アルドリックは開き直った。

 半分は自棄だったが、言葉にしないと腹の中で膿んでしまいそうだったのだ。


「僕が知ってるのは、僕より随分と背が低かったころのきみだけだよ。今のきみのほとんどを僕は知らない」


 大人になった彼と再会して三ヶ月。たったそれだけの期間で、知らなかった彼のすべてを埋めることなど、できるはずがない。多少の表情変化がわかったところで、本当に些末事だ。


「知っているのは、あいかわらず甘いものが好きだっていうことと、対人関係をすぐに面倒くさがること。でも、なんだかんだと言って、優しいところがある。その程度の上っ面のことだよ」


 少し前。自分を善人と評した彼の声が、棘になって胸に刺さっている。違う。そんなはずはない。

 自分は、狭い村で過ごした十五年より、高等学院に入ってからの日々をはるかに楽しんだ。充実した時間の中で、エリアスのこともほとんど思い出そうとしなかった。


 ――きみの言う「好き」を放置していることも、わかっているだろうに。


 それ以上のなにを求めないことをいいことに、仕事相手として楽な距離に居座っている。

 感情が収まらず、アルドリックは深く息を吐いた。


「きみがなんで僕を好きだと言うのかも、はっきり言ってまったく理解できない」

「理解できなくとも構わない。俺がおまえを好きというだけのことだ」

「だから、それが」


 堂々巡りの気配に、前髪を掻き混ぜる。仕事中に、なにを個人的なことを言い争っているのか、と。心底自分に呆れた。


「もういいよ。ごめん」


 不貞腐れた言い方になったけれど、エリアスはなにも言わなかった。沈黙が居た堪れず、視線を落とす。平常を保つつもりだった。だが。


「でも、僕は、きみがここでつらい思いをしていたことも、なにも知らなかったよ」


 再びこぼれた非難に、勝手なことを言っているなぁと思った。

 高等学院に進学して以降、彼とろくに話をしなかったのは自分だ。たまの帰省で顔を合わすことはあっても、気まずさと罪悪感で表面的な会話しかしなかった。

 相談してくれたらよかったのに、なんて。言う資格はないだろう。


 ――相談してもらっても、僕に言えることはなかっただろうけど。


 でも、と唇を噛む。共感することくらいはできたはずだ。いい加減に面倒になったのか、呆れたように息を吐く気配がした。


「おまえに言っても、なんの意味もないだろう」

「わかってるよ!」


 思っていたとおりのことを言われ、かっとした声になる。仕事中にどうのこうのという段階を超え、完全に子どもの癇癪だ。

 本当にどうかしている。声音を落ち着けて、アルドリックは言い直した。


「わかってる、ごめん」

「アルドリック」

「ごめん。昼休みも少し残っているし、校舎に戻るよ」


 一件目も、二件目も、発生から十日以上が経過している。現場から新規の証拠を得ることは現実的でなく、三件目の予兆があるまでは、生徒の対人関係を中心に探らざるを得ない状況だ。無論、彼は彼で様々な検証を行っているようだけれど。

 

「じゃあ、また夜に。定期報告で顔を出すよ」


 にこりとした笑みをつくり、部屋を出る。引き留める声がかからなかったことに安堵するやら、恥ずかしいやらで、アルドリックは深々と溜息を吐いた。

 本当にみっともない。こんなの、ただの八つ当たりじゃないか。


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