第17話 「Polyphonic lines 5」
翌日、火曜日の放課後。ゴールデンウィークの前日。
俺と弦華、絵梨歌の三人は、『聖火』のミュージックビデオのアップロードをするため、久しぶりにこの空き教室に集まっていた。
絵梨歌と弦華は、前とは何か様子が違うようだった。あの二回目の撮影の時以来、二人が話しているのは見てこなかった。だから何か険悪な雰囲気なのかと心配していたのだが——どうやら杞憂だった。
「……なんか、弦華ちゃん雰囲気変わった?」
「え、どうだろ? ……でもそうだね。もう辞めたんだ、嘘をつくのは」
俺にはわからない二人だけの会話。弦華の言葉を受けて、絵梨歌はフッと笑っていた。
「……そっか、どうりで。……じゃあこれでいよいよ、対等な真剣勝負ができるね」
「アハハハ、勝負なんてとんでもないよ。だってこれは、絵梨歌がくれたきっかけがあったからだもん! だから、ありがとう」
「——っ! そ、そんなことないけど……。……まあでも、完成したMV、すごく良かった、と思う……」
「——っっっ〜‼︎ 絵梨歌〜‼︎」
「わあ⁈」
弦華が絵梨歌に飛びつき、絵梨歌がそれを
二人の間に何があったのか、あの撮影の日に何があったのか、俺はとうとう知ることができなかった。けれど、もう知らなくていいと思う。たとえばそれは、夕日がとびきり綺麗なある日のように——理由を知ろうとするよりも先に、感動がやってくるように——二人がこうして笑っていることが、俺を満たす
「——よし! あげるよ⁈ あげちゃうよ⁈」
弦華の大声で、俺は意識を目の前に戻す。
弦華のスマホの画面には、たった今作成したばかりのYouTubeアカウント、そこにタイトルやサムネイルなどの各項目の設定を終えた『聖火』のMVと、「アップロード」という文字が表示されている。
「……これ、公開予約とかはしなくていいのか? 今あげちゃっていいのか? もっとこう、アクセスが集まりやすい時間とか——」
「——いい! 今あげる! 二人が見守ってくれてる、今公開したい!」
弦華は鼻息が見えるかのように言い切った。
「……それに、本当に届けたい人には、もう届いたみたいだから」
「——っ!」
弦華はチラリと振り返り、ニコリと笑った。
俺は息を詰まらせ、絵梨歌がそれをつまらなそうに見ている。
「……そうか」
「よし‼︎ いくよ〜⁈」
——アップロード‼︎
画面が変化し、処理が開始される。俺たちはそれを
「——できた? これ、できたよね? アップロード、完了したよね⁈」
「……うん、私のスマホからも見れるようになってる」
「俺のスマホからも」
「——っつ〜‼︎」
俺たちは三人で目を合わせ、大きくハイタッチをした。
「やった〜‼︎ 完成した〜‼︎」
「おめでとう、弦華」
「……お疲れ様、弦華ちゃん」
「うん、うん! ありがとう二人とも! ほんっとうに、ありがとう……‼︎」
弦華はぴょんぴょんと飛び跳ね、喜びを全身で表現する。
この眩しい笑顔は忘れても、ほとばしるエネルギーのままに跳ね回るこの姿はきっと忘れられないだろうな、と、俺は晴れやかに笑った。
*
「あっ、俺教室に忘れものしたかも! わるい、先歩いてて! 走ってとってくる!」
「え、それなら私もついてくよ! もうカレン達もいないと思うし」
「あっ……、じゃあ私も!」
一通りはしゃぎ切った俺たちは、一度教室に寄ってから駅に向かって歩き始めた。
俺たちは、ゆっくり歩いた。他愛もない会話を、馬鹿みたいに楽しそうに繰り返した。
——今日で終わり。MV制作で繋がっていたこの関係も、今日で終わり。
明日になればきっと、クラスでしか顔を合わせることもなくなる。これまで通り、クラスの中心に咲く花と、その隅で咲いている何か。弦華とこうして話すことも、もう無いのかもしれない。そう思うと、なんだかとても寂しかった……。
『——まもなく、
車内のモニター表示とともに、聞き馴染んだ音声が終わりの到来を告げる。この駅で俺は乗り換え、弦華と絵梨歌はもう少しこのままこの電車に乗る。
俺と弦華の最後の日が、こうして終わろうとしていた。
そのことをとても寂しがっている自分を鑑みて、女々しい奴だなと自嘲した。
——プシュー、ガーッ。
扉が開き、俺は降りるために踵を返した。
せめて笑顔で——
「俺ここだから、じゃあね!」
「あっ、そっか! じゃあね!」
「またね、秀叶くん」
小さく振られた手に小さく応えて、俺は足早に車内をあとにした。一瞬でもためらったら、絶対に未練を残してしまうから。円満に今日を終えるために、すぐにここを離れようと思った。一瞬でも、笑顔の裏の表情を見せることがないように——
「——ごめん! やっぱり私もここで降りるね! また明日、絵梨歌!」
「え? 弦華ちゃん⁈」
——プシュー、バン。ウィーン……
ドアが閉まり、電車が動き出す。
降車した人達が歩き回っているホームに、俺と弦華だけが残った。
「え……、弦華? どうして……」
「ど、どうしても! 秀叶に言っておきたいことがあって……!」
弦華は自分の行動を少し恥ずかしがるように、どこか落ち着きのないワタワタとした様子で俺の前に立っていた。
「……あの、さ……」
「う、うん……」
その顔は真っ赤で、いつも堂々としている彼女からは考えられないほど目も泳いでいる。その様子に、俺は妙な結論を導き出し、背筋を改める。
——なんだ? 何をそんなに恥ずかしがってる? わざわざ電車を降りてまで二人になって、それで伝えたいこと? それってもしや……
「あの……、私……!」
「う、うん……!」
身を引き締める俺の前で、弦華はついに俺の目をはっきり見て大きく息を吸い込んだ。
「——私、絶対作るから! 次の曲!」
「……へ?」
予想外の言葉に、俺は間抜けな声を出してしまう。
「……これで終わらせない! 私ちゃんと、歌い続ける、書き続けるから! また、MV作るから……‼︎ だから、さ——」
そこまで言って、弦華はニッと笑った。
「——その時はまた、手伝ってね、秀叶!」
その言葉で、俺はようやく笑えた。
そんなことを伝えるために、あんなに赤面していた弦華がたまらなく面白かった。
「え、ここ笑うとこ……?」
弦華が困惑気味に言う。
「いやわるい,……ハハッ! 弦華があまりに真剣な顔してたから、何言われるのかと思って……、ハハッ!」
「笑うとかひどくないっ⁈ これでも勇気出したんだけど私! ……もう!」
「ハハハ、そうだな、ごめんごめん」
プンプンという効果音がつきそうな弦華を見て、俺はようやく息を整えた。
「——もちろんいいよ、ぜひ手伝わせてくれ! 俺もまだカメラマンやりたいと思ってたし、……また弦華と話せる機会があればいいなと思ってたからさ」
俺がそう言うと、弦華はパーっと笑顔になって両手を胸の前でグーにした。
「やった! ありがとう! ……ん? でもなんで今、もう話せないみたいな言い方したの?」
「え⁈ いや、それは……」
「こんなに濃い時間を一緒にしたんだよ? もうとっくに、他人じゃないでしょ! 私、まだまだ秀叶と話したいこといっぱいあるんだけど?」
弦華は一歩下がり距離を取ると、少し身体を倒して下から見上げるように俺を見て、いたずらっぽくはにかんだ。
「だからまた、ゴールデンウィーク明けにね! それだけ言っておきたかったの!」
その瞬間、俺は心がブワッと暖かくなるのを感じた。
——つながった気がした。
きっと、俺だけじゃなかった。この日々が終わってほしくないと思っていたのは……。
『——
「——ほら、電車でちゃうよ! 早く乗って!」
「あ……!」
言われるがまま、俺は後ろにとまっている電車へと駆け出す。
「秀叶! またね!」
弦華の声で、俺は振り返った。
「——うん! またゴールデンウイーク明けに!」
——プシュー、バン。ウィーン……
やがて電車は走り出し、手を振る弦華も窓の外を流れていった。
俺は小さく振っていた手を止めると、そのままそれを握りしめガッツポーズをした。
胸がいっぱいだった。
——またね!
弦華の声が、いつまでも耳に残っていた。
こうして俺たちは、『聖火』のMVを完成させ、それを公開した。
そして、そんな大きな目標を達成したこの日を、「またね」の言葉でしめることができたのだった。
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