Act.1 Rainy Days-街に降る雨-
朝と言っても四六時中真夜中の街である。そこら中でネオンライトが点灯していることもあり、雨が降ると濡れた路面に光が反射して、すこぶる視界が悪い。すると自然に車の運転速度が低下し、通勤ラッシュの大渋滞を招くのだ。
「ったく、みんな【天気予告】見ないのか? 雨が降るって最初からわかってるんだから、ちょっと早めに起きて行動すればいいのに」
「いつも通りの時間に起きた僕たちも人のこと言えないね~」
真紅のバイクに乗った二人が、そんな悪態を吐く。
ハンドルを握るのは小柄な少年。フルフェイスのヘルメットの下には森の色をした大きな瞳と木肌色の髪が隠されている。
長くしなやかな足を後部座席から伸ばした同乗者は、バイクと同色のヘルメットを装着した運転手の後頭部にしゅっとしたあごを乗せた。ハーフヘルメットからはみ出た藍色の髪を雨が濡らすことはない。魔力タンクから吸い上げた動力でドーム状に展開した透明なシールドが雨避けになっているからだ。
シティ第二層東区七番通りのヨモスガラビル二階に事務所を構える
愛車の
交差点の先頭付近にいるのだが、青信号でも先が詰まりすぎていて進む気配はない。車両をすり抜け無理に進むこともできたが、視界不良の交差点内は魔窟だ。車に跳ねられたらひとたまりもない。
「こりゃ遅刻確定だな」
「ガルガ、今のうちにミラージュに連絡しておいて」
「はぁ、また減給かよ……」
社長は経費削減の鬼である。栄えあるオフィシャルシティガードになってもそれは変わらない。一分一秒の遅刻も漏れなく欠勤扱いになる。
運転手のマホロに変わり、ガルガが胸ポケットからパクトを取り出した。ネイビーのスタイリッシュな二つ折りのボディに、愛らしいショートケーキのスクイーズストラップが揺れる。切れ長の目に鋭い牙を持つウルフ系獣人族の青年は、糖を愛し糖に愛された生粋の
「えーっと、ミラージュ、ミラージュっと……」
電話帳から目当ての連絡先を探していると、交差点奥の反対車線からけたましいクラクションが鳴り響いた。耳も過敏なガルガはヘルメット越しでもその音に驚いたようで、思わずマホロにしがみついてしまう。
背骨が軋むほど熱烈なバックハグをされても大して表情を変えない静かな緑の目が、クラクションの鳴った方へ向けられた。
ヘッドライトが反射する濡れた道路と雨のブラインドに目を凝らす。そこには道端でハザードランプを点けて停まる大型トラックがいた。一般的な成人ヒューマ男性と同じくらいの大きさのタイヤの前で右往左往しているのは運転手だろうか。
「パンクでもしたのかな?」
「うわぁ、運転手も後続車もドンマイだな」
スペアタイヤがあるにしても、あの大きさでは作業が終わるまでしばらく時間がかかるだろう。罰が悪そうな顔をした運転手に、後方の渋滞から苛立ったクラクションが浴びせられる。
すると、ちょうど真後ろで足止めを食らっていた車が、ウィンカーを出して無理やりトラックを追い抜いた。よほど急いでいるのだろう。青信号が点滅し始めた交差点へ猛スピードで侵入する。
荒っぽい運転に、マホロが呆れ気味にため息を吐いた。が、連なる車の隙間から赤信号の横断歩道を渡る小さな人影が見えて、ゾクリと悪寒が走る。条件反射でアクセル全開で飛び出した。前触れのない急発進に驚いたガルガが、また後ろからしがみつく。
「おい、マホロ!?」
「捕まってて」
渋滞の列を針の穴を通すようにすり抜けて横断歩道を過ぎ、交差点に進入した車の前に躍り出る。ブレーキを巧みに捜査して車体をスライドさせ、あわてんぼうが乗るフロントガラスへ水しぶきを浴びせた。突然現れたバイクに驚いた運転手は急ブレーキを踏み込む。あわや正面衝突しそうな距離で、二台はどうにか止まることができた。
ここまでの時間、わずか五秒足らず。
ガルガは何が起きたのかわからないまま、マホロの背中で目を白黒させる。
「あぶねーな! どこ見て走ってやがる!」
「そっちこそ、そんなスピードで交差点に突っ込むもんじゃないよ」
窓を開けて怒鳴り散らすオークの運転手に目もくれずに言い返すと、マホロは腹の前をがっしりホールドする両手をぽんと叩いた。ガルガがハッとして解放すると、何の説明もなく
「おじいちゃん、大丈夫?」
ヘルメットを脱いだマホロが手を差し出したのは、腰を抜かしたヒューマの老人男性。悲惨な人身事故を防いだ少年に、周囲からは自然と拍手が沸き起こった。
❖
『轢き殺されそうになった徘徊老人を保護した~!?』
「うん。傘も差さないで歩いてたから変だなと思って。しかも裸足で。住民カードも持ち歩いてなかったから念のため生活局に問い合わせたら、ちょうど介護施設から行方不明届が出されたところでさ」
パクトの通話でミラージュに説明をするマホロの隣では、ガルガが老人の手を握ってあれこれ話しかけている。屋根のあるバス停に一時的に移動して、施設の担当者が迎えに来るのを待っている状態だ。
「じーちゃん、もうすぐ迎えが来るってよ」
「かえりたい」
「だよなぁ。こんな雨の中、寒かったよなぁ」
「いえに、かえりたい」
「……ん。帰れるといいなぁ」
雨が降りしきる虚空を見つめたがらんどうな目で、老人はうわ言のようにつぶやく。
きっとこの老人は、慣れ親しんだ我が家を求めて施設から飛び出したのだろう。雨の中一晩中歩き通したのか、身体は冷え切って、膝は笑っている。車に轢かれそうにはなったものの、大きな怪我もなく保護できてよかった。
『事情はわかったわ。とりあえずお迎えが来るまで一緒にいてあげて』
「うん。ところでこれって遅刻扱いになる?」
『本当はそうしたいところだけど、立ち寄り出勤ってことにしてあげる。用が済んだらなるべく早く来てね! 今日は依頼人の予約があるんだから!』
「はーい」
通話を終え、マホロはガルガと老人を挟むようにベンチへ座った。
シティ人口の半数を占めるヒューマは、短い定命種。せいぜい百年生きれば大往生だ。一方で、ヒューマの急速な老齢化に街の機能設備、そして住民たちの理解が追いついていないのが現状である。
今まで種族間戦争の旗振り役をしてきた強力な種族たちは、百年の寿命を知っていても、それがどういうことなのか認識できていなかった。だからシティ建立百周年を目前にして、多くの老いたヒューマのケアは、シティ全体の課題になっている。
「マホロもあっという間にじいさんになるんだろうなぁ」
「そりゃあね。でもあんまり老後は心配してないんだ」
「長生きする気がないとか言うなよ、マジで」
ガルガは端正な顔を苦々しく歪める。マホロなら言いかねない。何せ自分の命にとことん執着がないのだ。さっきの交差点での出来事だって、運が悪ければ老人の代わりに轢かれていたのはマホロだ。
「その時はその時だよ。でももし長生きできたら、ガルガが面倒見てくれるでしょ?」
「……勝手な奴」
あるかもわからない何十年後かのビジョンに、当然のように紺色の美しいオオカミがいる。獣人族はヒューマと比べたら断然長命だから、きっと今と変わらぬ姿のまま看取ってくれるだろう。だからマホロは何も心配していない。
本当に心配なのは、残されるガルガの方だ。
「ヒューマと生きていくっていうのは、そういうことだから」
時間は平等ではない。物差しの誤差は多種族が共に生きようとすれば必ずぶつかる障害だ。シティとガルガは、これからその現実と向き合っていく必要がある。でも、まだ実感も覚悟もない。それはマホロも一緒だ。
老人の骨と皮の両手を二人でそれぞれ握る。
迎えは、まだ来ない。
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<用語解説>
【天気予告】
雲は
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