毒の夜、勇者の閨にて。

夜猫シ庵

毒の夜、勇者の閨にて。


 私達の夜には、月も、星も見守りに来てはくれない。

毒と雨の寒さからこの幼い勇者を守るものは、始末することをためらわれた炎と、不器用に建てられた襤褸のテントだけだった。

小さな身体をさらに縮こめ、丸くなって眠る少年に、そっと近づく。

―― この寝顔の、なんと無垢なことだろう。

 

 今まで、人間はずっと魔の国へと人を送り込んできた。

和平や貿易の為ではない、ただ敵を討つためだけの使者 ―― 勇者とやらを。

初めのうちは、様々な分野に秀でた、勇者と言って差し支えのない大人達が放たれていた。

しかし、その勇者たちが帰ってこなくなるにつれ、送られる人間は才のある大人から優れた少年へ、少年から無才の大人へ、更に普通の子供へと変わり、今目の前で眠るは哀れな幼子。

この子は何も知らないのだろう。

自分を送り出した者達が、惰性で子供の命の灯火を雨風にさらしていることも。

段々と働かなくなる頭が、この場所の空気による影響だということも。

そしてこの毒たちは、人間のせいでも、私 ―― 魔物と呼ばれるものたちのせいでさえないという事実も。

この子は、知らない。

私は慎重に少年の頭を持ち上げると、眠り続ける勇者の口に、ゆっくりと薬を流し込んだ。

充満する毒の影響を緩和できる貴重な薬は、出来る限り幼い人間へと優先して使うことになっていた。

暗い色をした手で、出来る限り優しく少年の頭を撫でてやる。


 怖いだろう、辛いだろう。

 寂しいだろう、不安だろう。


 私からのお願いだ、どうか先には進まないでおくれ。

君の身体では、これ以上毒に耐えられない。

いなくなった大人達も、みんな毒にやられてしまったんだよ。

たまたま毒に強かっただけの、身体を斬られればすぐに死んでしまうような、弱い魔物わたしたちに一撃与える余力も無いまま、恨んで呪って死んでいった。

不思議かな?どうして私が人間達のことをこんなに知っているのか ――――

なんて、会話をしてもいないのに、聞いてくれるわけもないね。

これから私は、この子供を人間の国ギリギリの位置まで戻しに行く。

これ以上歩かせるわけにはいかないうえに、私達の国に来てはみんなパニックになってしまうだろうから。

私は壊れ物のような子供の体を抱きかかえ、仲間に指示を出しながらテントの外へと這い出した。

子供の背丈に合わせたというよりも、最低限の資源で作成されたもののようで、人間の男程度の背丈を持つ私にはなかなかに窮屈なものであった。

夜が開けるまではまだ時間がある。

腕の中の子供を起こさぬようにと、後方の仲間に目で合図を送り、静かに足を進めていった。

この子がこれ以上進んでいれば、私達が築きかけている壁に打ち当たってしまっていただろう。

否、小さな身体ではその前に毒に倒れてしまっていたか。

私達は今、人間達を諦めさせるための壁を築きながら、毒の出どころを探っている最中だった。

仕方がないのだ、彼らは怯えているのだ。

既にこんな子供を送ってくる程なのだし、壁があるという事実が生まれ、知り渡れば人間達も流石に打ち止めだろう。

そうすれば互いに関わることも、傷つくこともない ―――― そう、信じている。


 「どうか、無事に家に辿り着いておくれ」


 そんな祈りを込めて、寝言を言う子供の頭に優しく触れた。






 昨晩よりも軽い空気に首を傾げながら、子供がテントから顔を出す。

青い空に緑の草、そして遠くに見える人間の国。

突如目の前に現れた見知った景色に、子供は慌てふためいた。

ずうっと向こうにある、ばけもの達の王様をやっつけてくるように言いつけられていたのに、これではもう戻るしかない。

どんな言い訳をしようかと子供が頭を捻っていると、自分の食料箱の上に、一枚の紙が留められていることに気がついた。

不思議に思って子供が手に取ってみると、そこには不格好な人間国の文字で


 『ぼうや おうちにおかえり』


と、書かれているようだった。

さらにその紙の下にはもう一枚、上のものよりも上質な紙が留められている。

そちらは子供がとても読むことなどできない、奇妙な文字で綴られていた。

読み解くことこそ不可能だが、子供はこの文字に見覚えがあった。

これは、大人たちが躍起になって読み解いていた、ばけものの国の文字だ。

そのことに気がつくと、子供の表情は一転して明るいものとなる。

どうしてここに戻って来ているのかも、この手紙を誰が置いていったのかも分からない。

けれど、少なくともこれは、小さな勇者にとって凄いお宝に違いなかった。

早くこの手柄を大人達に褒めてもらおうと、子供は意気揚々と帰り支度を始める。

微かに残った夢の記憶に、そこで聞こえた優しい音に、首を傾げながら。




 それから

     それから

         それから

             それから

         それから

     それから

 それから



        首が落ちる音がした。





 人々が叫ぶ。

 人々が笑う。

 誰も彼もが称賛する。


 ” やったぁ、やったぁ、魔王を倒した ”


 ダレモカレモ、子供のように笑う。

何も分からぬまま立ち尽くす僕を置いて、みんなみんな子供になった。


 ” 偉いね偉いね、君は凄いね ”

 ” 凄いね凄いね、勇者だね ”


 言葉の意味は解らなかった。

僕は何もしていない。

なのに、僕が歩くとみんなが道を開けた。

知らない誰かの首に近づいていく僕を、誰も阻んではくれなかった。

紫でざらざらしていそうな肌が見えた。

真っ黒で艶々している、長い髪の毛が見えた。

目も鼻も口も、お母さんよりもお父さんよりも大きかった。

初めて見たはずなのに、何故だか会ったことがあるような、変な心地。

ぼんやりした頭で、お父さんに聞いてみる。

この人はだあれ、と。

すると、お父さんはとても不思議だというように首を傾けた。

そして、あっけらかんとこう言ったのだ。


 ―――― そりゃあ、××× がこの魔王から怖いお手紙を渡されたんだろう?


 怖いお手紙?


 ―――― 学者さんたちが、あれを頑張って解読してくれて、魔物たちが何を欲しがっていたのかが分かったんだよ。だからそれを逆手に取って、おびき寄せられた。××× は本当に凄いことをしたんだ、英雄だよ。


 欲しがって、いたもの?


 ―――― 人間の子供だよ。



 お父さんの言葉で、僕はあるものを思い出した。

お家でタンスの引き出しの中に入れておいた、もう一枚の、不格好なお手紙。


 『ぼうや おうちにおかえり』


 覚えている。

辛くて怖い夢の中、ぎゅっと抱きしめてくれた温かい誰か。

ぼうや、おうちにおかえり ――――

ぼうや、おうちにおかえり ――――

もう一度、誰かの首に目を向けてみた。

ぼうや、おうちにおかえり ――――

ぼうや、おうちにおかえり ――――


 違う。

 この人は僕をお家に帰してくれたんだ。

そのことを伝えたくて、僕は精一杯口を大きく


 ぐしゃり


 首が、潰される。


 相手は魔王だ、首を落としただけでは復活するかもしれない。

そんな意味合いの言葉を吐きながら、大人達は首を潰す。

何度も、何度も、何度も。

流石に子供には悪影響だと感じたのか、お父さんは僕の目を覆い隠した。

だけど、僕の耳からは色々な音が入り込んできて、夢のなかの優しい音を塗りつぶしていく。


 ぐしゃぐしゃ

 ぼきぼき

 ぐちゃぐちゃ


 生まれて初めて耳にした、生き物の中身が壊れる音。

それが、ずっとずっと。

頭から離れない。








 ぽたり。

屋根のひび割れた隙間から、雨の雫が滴り落ちる。

その冷たさに、僕の意識は一気に引き戻された。

降りしきる雨の音が、僕の鼓膜を揺らしてはひいていく。

雨の日は嫌いだった。

勇者という体で国から追い出されたときのことを思い出してしまう。

幼子にあんな仕打ちをしておいて、魔王退治が上手く行ったら都合よく崇める。

そして、それにも飽きてきたのが現状らしい。

褒美として与えられた家はもうガタが来て雨漏りをしているし、父と母は未だに僕のことをダシにして甘い蜜を吸おうとしている。

直ぐに処分されてしまった、あの不格好な手紙。

あれの見た目も質感も、嗅ぎなれない匂いも、全て脳裏に焼き付いている。

その手紙をきちんと見たのは僕唯一人。

じゃあ、もう一枚の手紙には何と書いてあったのだろう。

魔王を殺してからというもの、もう魔物の言葉の研究は行われていない。

あの解読が間違っていたとしても、それが判明してもしなくても、もう遅い。

魔王あのひとは、本当は何を伝えようとしたのだろう。

―――― 荒れた唇から、鉄の味がした。

殺風景な部屋を大きく占める、シンプルな寝台の上へと寝転がる。

もうこの天井を見るのも最後かと思うと、こんなことでも感慨深い。

気怠い身体を半分起こし、寝台の隣に置いておいた小瓶を手に取る。

数少ない残りの財産で手に入れたものだ。

固く閉められた口を開けると、お世辞にも良い匂いとは言えない香が立ち上った。

しかし魔物の国周辺の毒素が元となっているこれは、同時に少しの懐かしさをも呼び起こしてくる。

大人の身体でも問題なく致死量となる、瓶一本分。

鼻を摘み、それを勢い良く飲み干した。

ずっと食事を取っていないから、きっと直ぐに効いてくるだろう。

寝台に再び横になり、静かに目を閉じる。

遺書も何も書いていないから、周りは混乱するかもしれないな。

でも、理由を述べるなら ———— 僕は、帰りたかったんだ。

怖くて、苦しくて、でもすごくやさしい。

取り返しがつかなくなる前の、あの毒の夜に。


 そして、勇者は一人のヒトとなっていった。

 自らを蝕む毒に、子供のように微笑みながら。




———— 毒の夜、勇者の閨にて。

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毒の夜、勇者の閨にて。 夜猫シ庵 @YoruNeko-Sian

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