エスト

ラッセルリッツ・リツ

0.燦燦

不自由のない平凡な春だった。

僕は一人、学校の桜を見上げ、大した思い出もなかった学ランの、ほどけかけているボタンを触っていた。


「ああ、これからどうしようか。なんもやりたいことないな、あるとすればゲームしたいな」


燦燦とみなす桜と別れに校門への道は涙ぐむ、だが僕にとっては変わり映えのない帰路でしかなかった。抱く感情もまたそうだった。


始めて触ったゲームは西洋ファンタジーのアクションゲームだった。

確か小学一年の時、動画サイトの小さな枠の中、幻想的な森の風景と剣を振り回す主人公に一目惚れして、学校から自宅へまたその画面、世界の中へ引き込まれた。


それからもゲームという現実とはまったく異なる世界に好奇心が尽きることはなく、しだいに僕はドッジボールよりも鉛筆よりも、ゲームのコントローラーばかりを触るようになっていた。


して今まで至り、あの時ほどの好奇心は無く、また闘争心も無く、やや退廃した心の居場所として、また画面に僕は向かって行った。

現実なんてどうでもよかった、そう思い込むために僕は鞄をすぐ置いて、PCの電源を押すのだ。


ああ、そうさ。楽しくなんてない。見飽きてしまったのだ、この現実と同じように。

そして限界を感じたんだ、どこにあるのかもわからない自分と存在もしない世界に。



こんな性根に育ったからだろう。そのおよそ14年でも揺らがなかった習慣は、また社会人になっても変わることなく、僕はついに廃れ切ってしまった――――病にかかった。


大したことないと、興味もないと捨て置いた咳の音は気付かぬ間に激しくなり、ついに倒れるまで僕はイヤホンを外すことはなかったようだ。


このような有様に納得し、すでに立つことすらままならくなって、ゲームもできなくなったというのに僕は苛立つことはなかった。

すでに病は治らぬと告げられたことで、むしろようやっと退廃が終わるのだと安堵していた。



ああ、桜をこうもはっきり見ようとしたのはいつぶりだろうか――――枕から僕を屈んで覗く桃色の桜、鮮やかな青の空。


「こんなにも綺麗だったのか」


最後にわかった。いや、突きつけられたのだ。

決して僕は現実を知り尽くしてなどいなかった、つまらないなどと言いきれなかったのだ。

もしもそうならば、なぜ僕は花びらを取ろうとへ桜へあまり伸びぬ手を伸ばすのだろう。


あのとき僕を見下したような桜は、きっとここにある桜と同じように、僕を優しく見守っていただけだったのだろう。

でも、そうと知れたことで僕は悔いは静まる、この息は潜んで消えていけばいい。



――――――――目が覚める。


撫でるような風が香り、青に止まったように進む雲、聳える山脈の白い肌と広大な芝の緑、坂の下りに溶け込む石の家々、小さな麦の町。


視覚は、あるいは脳は僕がここにいると教えるが、西洋的な空間と、こうして地を踏んで立っている自分がここは夢の中だと信じさせる。


「お兄ちゃん、見かけないね?」

「わっ!?」


突然の声に夢心地は吹き飛んだ。いったいいつからいたのか、小さな女の子が純粋な眼差しで僕に話しかけてきた。


「ねぇ、どこから来たの?」

「いや、えっと……」


ジロジロと珍しそうに僕を見つめるこの子に、またその現実味に、僕は焦っていた。

その質問の答えなんかそっちのけで、ここはどこなのか、とか、どうして僕は立てるのか、そもそも何が起こってるのか、頭の中にいろいろが飛び交っていた。


「ところでさ……」

「な、なに?」

「なんで服着てないの?」


――――え? あれ?


気付く肌寒さに思考停止、混乱も混乱して自滅した。


「なんで僕、服着てないの?」

「はぇ?」


広い大地、木霊する女の子の疑問符。

ああ、これが夢だったらよかったのに。


「ところで、ここはどこなの?」

「ここはね――――ホワイトヘッドのペルキピ」

「アメリカのどこかなのか?」

「あめりか? 違うよ、ホワイトヘッドのペルキピだよ! お兄ちゃん、馬鹿だね!」


おっと、純粋な笑顔が僕の心をへし折ろうとしてくる。悪気はなく、本当に馬鹿と思われてる。


「とにかく、はい、これ、温かいよ」

「あ、どうも」


女の子はどこから取り出したのか、僕の体全部を包み込めるほど大きな毛布を渡してくれた。

ああ、温かい。衣類って最高じゃないか――――、


「とりあえず、お兄ちゃん、なんか怪しいし、馬鹿すぎるし、変態だし、なんかの病かもしれないから……拘束するね!」


「え、え、ちょ待っ――――!?」


――――そうして僕は、石の町ペルキピ? で捕まった。


なんなのかはわからない。僕はほんとに馬鹿かもしれない、変態ではないが、馬鹿かもしれない。

石の檻の中、僕はボロボロの麻の服と毛布に包まって、寒さに凍えていた。


ああ、今日もコッペパンに牛乳か。美味い。でも――――、


「早くここから出してくれー!!」


石の廊下に響く僕の叫びは、ただ響くだけだった。

ああ、どうしてこうなったんだよ。

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